見田宗介という人について

日本の社会学を切り開いた見田宗介。
懐が広い人なので、どういう人か説明するのが難しい。
著書はわかりやすい。
なるほどそういう切り口があったかと感動します。
でも、何が書いてあったか説明しようとすると行き詰まる。
言葉にできない。
こういうのは天才の仕事だなと思う。

そうした見田宗介に「入門」するには対談集がいい。
聞き手に同一化すれば、少なくとも何かは伝わってきます。
河合隼雄との対談もあるけれど、入りやすさでは大澤先生のがおすすめ。
お弟子さんですからね、先生の本質を掴んでいる。
聞くべきところを聞いている。
身内の閉じた雑談にしていない。
見田先生も安心して自分の全てをさらけ出している。
自分の思想の変遷を子ども時代に遡って辿り直しています。

見田哲学にあるのは「むなしさ」と「さみしさ」。
この二つを近代社会の病と見、それを乗り越える道を探っている。
「むなしさ」は時間感覚から生まれます。
均質なまま無限に流れていく時間という捉え方。
それは近代を形成する時間感覚なのですが、未来に獲得する成果によって現在を評価するシステムになっている。

この時間感覚に疑問を持たないと「むなしさ」が生まれます。
未来を担保にし、現在を否定することで成り立っているからです。
努力はいつか報われる、という考え方は、時間の無限性を前提にしている。
でも人間は有限な存在です。
いつかは死にます。
何もかもが無になる。
この矛盾の中で「来世」や「天国」が仮想されたのだけど、その近代の宗教装置が現代に通用しなくなった。
じゃあ、どうすればいいか。
そのためのアイデアをメキシコやインドを旅しながら見田宗介は考えました。

この本の面白いところは柄谷行人の対談も載っているところです。
大澤先生は見田宗介と柄谷行人に共通するものを感じている。
ヨーロッパやアメリカに比べ「周辺」である日本のアドバンテージとして、近代を享受しながら、距離を置きつつ分析もできる。
「関与しながらの観察」のポジションに日本はいます。
その利点を活かしている思想家がこのふたりである、と。

最後に大澤先生の解説がついていますが、これもいい論文だと思います。
ソクラテスが行った対話術が心理療法だった、という話です。
時代が移り変わろうとする過渡期に、ソクラテスは「近代の始まり」を嗅ぎつけて、それを解毒するための方法を探った。
それが他者との対話です。
見田先生にあるのも、その視点です。
他者との交響体。
「むなしさ」や「さみしさ」を乗り越える鍵はそこにある。

対話といっても、対等な関係での会話ではありません。
「私は知らない」という立場での「聞き手」です。
そうした聞き手の存在が、「意味」に囚われ苦しんでいる人を救う。
その機序について正確な考察がされています。
「あなたはこういう人間です」と意味づけてくる他者ほど恐ろしいモノはありません。
そして近代はそうした他者に囲まれています。

その地獄から抜け出すには「無知」を背負ってくれる他者が必要です。
「無知」というか「非知」かもしれない。
共感などに逃げず、「わからない」に耐えることのできる人。
セラピストとはそういう仕事です。
大澤先生がうまく言語化してくれている。
ありがとう。

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