情動と感情

うまく使い分けできない言葉に「情動」と「感情」がある。この二つはどう違うのだろうか。

心理学を大学で習ったとき、英語にemotion, affect, feeling, moodの区別があることを教わる。それぞれ、情動、情緒、感情、気分と訳しわける。でも、そのあと心理学の本を読むと、この訳しわけが守られていない。とくに臨床心理学関係は全滅である。英語に当たらないと、何を指しているかさえ判別できない。臨床心理学でこそ、この区別が重要だと思うのに、無頓着に使われている。

では、どういう区別があるのだろうか。基本となるのは情動と感情の違いで、情動が一次的な反応、感情が二次的反応を指す。出来事と遭遇したとき、直接引き起こされるのが情動で、その出来事を解釈して出てくるのが感情。人とぶつかって「痛い」と思うのが情動で、「こいつ、わざとぶつかってきたな」と腹が立つのが感情である。あいだに思考が入る。だから、情動のコントロールはできないが、感情は解釈を変えれば別のものに変わる。そういう違いがある。

情動自体を観察すると、身体的反応と心理的反応の二種類がある。日本語は便利で、「重い」や「しんどい」のように「い」で終わる形容詞が身体的反応。それに対し、「悲しい」や「楽しい」のように「しい」で終わるのが心理的反応である。この心理的反応を「情緒」とも呼ぶ。

前回の「情動調律」はaffective attunementなので、正確には「情緒調律」である。affectは、遡るとスピノザの「変性 affectus」に由来する用語で、哲学的ニュアンスを重視する人がよく使う。

ただaffective disorderが「感情障害」と訳されるのでややこしい。たぶん「情緒障害」という言葉が先にあったため、それと混同されないようにしたのだろう。「情緒障害」はemotional disturbanceで、情動障害である。情緒ではない。翻訳者が悪い。あと、disorderとdisturbanceも訳しわけないから、disorderが「障害」と見られる不都合が起こる。disorderは「機能不全」である。それまでの疾病観や障害観を一掃するために、新しく提唱されたものだ。「障がい」と書くかどうかではない。

「気分」は情動などと違い、時間的に継続するものを指す。「朝のあいだはずっと気分がすぐれなくて、鬱々と過ごしている」。そういうニュアンスで「気分」という言葉は使われる。情動や感情が瞬間的な反応であるのに対し、気分には時間的な幅がある。急に寒波が来て、それに体調が反応している場合もあるし、昨日恋人とケンカしたことが気がかりな場合もある。身体的かもしれないし、心理的かもしれない。気分をさらに分割する言葉はなさそうだ。

さて、情動で不思議なのが「怒り」の感情である。これは日本語で「しい」が付かない。「腹が立つ」「ムカつく」と言われても形容詞ではないのだ。つまり「悲しい」や「嬉しい」とは別物である。動詞だと思っているわけである。これは何を表すのだろうか。もちろん「腹立たしい」や「苛立たしい」という形容詞はあるが、どちらも「苛立つ」などの動詞から派生している。「苛立たしみ」という名詞も作れない。一次的な反応として「怒り」は出てこない。Fight or flight というけれど、日本人には fight の反応はないのかもしれない。

意外と心理療法的にはありそうなことで、「怒り」に関わる話はよくよく聴いていくと、「悲しい」や「苦しい」という別の情動に行き着く。そこがaffectなところなのだろう。ここまで来て初めて調律ができる。

なので、ちゃんと訳しわけてほしいなあ、と思うのである。

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