ハリー・スタック・サリヴァン入門

面接の第二段階の「偵察 reconnaissance」に衝撃を受けた。実はこの概念、ラカンの『フロイトの技法論』にも出てくる。クライエントの現在の主訴に傾聴しながら、その話に出てくる「他者」について質問しつつ、対人関係の側面を探索し深めていく。そうした聞き方のコツが「偵察」である。

フランス語のreconnaissanceは「再び共に生きること」というニュアンスを持ち「再認」と訳されることもある。「共に生きる」とは「他者とともに生きる」であり、ハイデガーの「共存在 Mitsein」が読み込まれている。人間は他者との関係の中で存在している。真空の中にいるのではない。生まれてからは母子関係があり、家族との関係があり、友人関係に発展し、学校や社会の中で他者と出会い続ける。その中で「私」という主体が形成されていく。他者と同調したり、ぶつかったり、自己主張したり、譲ったりする。その歴史が「私」となっていく。

この歴史を再び生きること。サリヴァンが考えているのはフロイトの「想起」だろう。自分の生きてきた歴史を追体験し、再び共存在を思い出すこと。フロイトは単に「過去のトラウマが症状の原因」くらいの認識だが、サリヴァンはさらに一歩進め「対人関係の傷つきは対人関係で修復する」と考えている。というか、セラピストが介入できるレベルはそこである。深層心理と言われても、そこに介入する方法がないなら、わかったところで意味がない。

そういう意味で行動療法に近い。治療的に介入できるものを対象にする。プラグマティズムがある。ただ行動療法は、ややもすると個人に固有な水準に囚われやすい。個人内の問題に落とし込んでしまうと、これも介入のしようがない。対人関係として捉えることでセラピストにチャンスが訪れる。そして、その「対人関係の場」がサリヴァンにとっての「無意識」、つまりは「セラピストも普段は注意を払えてないこと」になる。その場には様々な「他者」が棲んでいる。

reconnaissanceは英語にすればrememberだろう。「想起する」と「再びメンバーを集める」のダブルミーニングを持つ。ナラティヴ・アプローチの「リメンバリング」を連想させる。自分の歴史は、ただの「傷つき」だけではない。他者との間で支えたり支えられたりした関係も含んでいる。その関係を再び想起し、自分の仲間として集めること。今まで挫けそうになる重圧に耐えながらも、潰れずに生き抜いてきた。そこにある「サポーティヴな対人関係」を味方につける。reconnaissanceにはそのニュアンスもあるのではないか。

ただ漫然と傾聴してもリメンバリングは起こらない。トリガーが必要である。それ故、セラピストがそのトリガーになること。「今のこの雰囲気、そう言えば、どこかで感じたことがある」。そうクライエントが感じたとき想起は起こる。サリヴァンの面接理論は、そこを主眼と考えると一貫性のあるものになる。

もっとも、この入門書では「現代にも通じること」を力説しすぎて、このトリガーを見落としているのがもったいない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?