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続々「本社・工場」ってどこ?──故郷へ (エッセイ)

続きです。
《社長》は、狭い《営業所》から出発し、ついに《ホントの本社》を大通り沿いに《進出》させました。

その後、連絡が途絶えた理由ははっきりしません。
リーマンショックと何らかの関係があるのか、あるいは、僕たち夫婦がしばらく日本を離れることになった、というこちら側の問題だったかもしれません。

連絡がなくなってから10年ほど後、唐突に《社長》から年賀状が届きました。住所は、中国地方の小都市に変わっていました。
差出は会社名ではなく、個人名でした。
そして、
 *月*日のTV番組「**」に出ます
と書かれていました。
(……リタイヤしたんだろうか)
《社長》はおそらく、60代になっているはずでした。

その番組は、毎週、特定の地域をテーマに、名所・建物や自然・風景、名産品などを探索・紹介していく企画になっています。その週の対象地域には、たしかに年賀状に書かれていた地方都市が含まれていました。

番組が始まって間もなく、僕たちは画面に懐かしい顔を見ました。いくらか皺が刻まれていましたが、長身で精悍な顔つきは、間違いなく《社長》その人でした。
その人物は地域活性化活動に取り組んでいると紹介され、故郷の原野を自力で拓いて整地している現場がTVに映されていました。
「僕たちは山野を駆け回って遊んだけど、今は山林が荒れてしまった。子供たちが、自然の中で遊べるような広場を山の中に作っているんですよ」
若い頃に比べると、いくらか抑制気味ではありましたが、《夢》を語る口調は変わっていませんでした。

番組の後、ネットで調べてみると、《社長》はNPO法人の代表者として、医療関連のコンサルティングなどを行っていました。

それから間もなく、《社長》はその地方都市の市会議員選挙に立候補し、当選したことがわかりました。

「《社長》、還暦過ぎても相変わらず精力的だなあ」
「どこに行っても、どんな事でも、全力で頑張っちゃう人なのよ」

しかし、《社長》は次の統一地方選挙で、今度は県会議員に立候補し、落選しました。
事情はわかりませんが、ある方向に進みだすと、《モメンタム》でさらに「上」を目指してしまう人なのかもしれません。


今もたまに、「どうしてるかな」と彼の名前を検索してみます。
現在はどうやら、農業の振興に的を絞り、地域の大学と一緒に《棚田》の保全や、安全な《食》を追及しているようです。

《社長》自身はまったくあずかり知らないことですが、ネットで顔を見ると、自分も頑張らなくちゃな、と刺激を受けるのです。

〈完〉

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