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自己紹介✧ 性被害の解離から始まった人間の生き方pneumalogue


✧職業:

子どもの「体」「心」「声」を尊重する意識づくり

✧出身:

「自由の国」の世界都市在住の機能不全家庭

✧略歴:

4歳〜:父の猥褻+母の体罰など×恵まれた環境

真夜中に目が覚めたら父親から猥褻を受けており、抵抗し逃げたが、母親から翌朝「お父さんからめごめごしてもらったんだって?よかったねぇ」と抱きしめられる。

両親の寝室で寝るのは体調がすぐれない時だけになり、必ず母を間に挟んでベッドの端っこに入ったが、暗闇の中、瞼の裏に映像が流れ、目を開けてしまう。またあの悪夢かとウンザリしていると「悪夢ならなんで前みたいにふたりの間で寝ないの?」と挑発的な声が聞こえてくる。意識を逸らそうと苦戦しているうちに両親の寝息に気づき我に返る。

ある時を境に過保護・過干渉な母から「躾」として体罰や罵倒が始まる。

物心つく前からよく手伝っていたという家事と炊事。変わり映えのない日々の記憶は少ないが、時計や九九が理解できなかった時や、遊ぶことを求めるなど意思表示すると母からビンタに説教をされた記憶は鮮明。

子どもという理由で話を聞いてもらえず、早く大人になりたくて10歳からバイトを始め、ワーカホリックの卵が孵る。成長につれ母からは嫌味や無視なども加わるが、労働時間に制限かけられたことは一度もない。

育った地域や食生活は、恵まれている方であるという自覚があったし、同級生たちの典型的な機能不全家族に比べたら、自分の人生は平凡すぎて語るには及ばないと思っていた。

一方で家から永久に離れるために、どの道自由には使わせてもらえないバイト代を貯金しつつ、大人として扱われるかもという下心から家賃も自主的に入れていたが無念に終わった。

(思い返すと解離性健忘、フラッシュバック、幻聴、躁鬱、過食症、精神的な薬物依存、無自覚な自傷行為、トラウマの再演など他にも様々な複雑性PTSD症状が発症していた)

22歳:日系人アイデンティティ倒壊→永久家出も一石二鳥

当時ニューヨーク・タイムズベストセラーだった『ザ・レイプ・オブ・南京:第二次世界大戦の忘れられたホロコースト』を読み、日本の加害者としての歴史の詳細を初めて知り衝撃を受けた。両親や日本語学校の友人から強要されていた日本人としてのアイデンティティが倒壊。

日本の隠蔽された闇を知るために、東京の大学に編入(実家からの脱出も一石二鳥)。声の届きづらい様々なマイノリティを研究する。途中で自分も「女性」という弱者であることに気づくと同時に気付かなかったふりをした。

25歳〜:DV加害で精神異常に気づき治療を試行錯誤

彼氏へのDV加害がやめられず、母親そっくりな自分に衝撃を受ける。当初は女性ホルモンの周期が原因のPMDD(月経前不快気分障害)だと思っていた※ので、感情を安定させるために低用量ピルを飲み始めた。数年後に副作用(血栓症)で命を落としそうになる。以後、漢方や瞑想、古今東西の民間療法などの代替医療を試行錯誤。

※実際は既存の精神疾患(例:複雑性PTSD)が生理前から増悪するPME(月経前増悪)であると約10年後に発覚。

34歳:封印された怒りに覚えた違和感で性虐待を自覚

田房永子著の『キレる私をやめたい』でゲシュタルトセラピーに出会い、母への怒りに取り組もうとしたら、父への怒りが封印されていたことに気づかされる。あくまで不確かな記憶として涙と鼻水を垂れ流しながら語った後「でも私は虐待を受けたとは思ってないんです」と弁解すると、心理士の目が点になり一瞬だけ絶句したのを見て自分の認識を見直す。

「私を溺愛しているだけ」と解釈していた父の言動を振り返ると猥褻以外の何物でもなかったが、成人になった後まで続いていて、それを私は本心では不快に思っていたことを認めざるを得なくなり、両親からの連絡を無視し始める。

セラピーで幼児期の自分(インナーチャイルド)と対話をし、私が責めてきた過去の自分が、私を守るために失敗しながらも、その時に得られた情報でベストを尽くしてくれたのだということに初めて気づく。

35歳:両親との対峙から絶縁

前向きに生きようとしても全てが裏目に出てしまう、自分のとは思えない人生に何度も絶望。スーザン・フォワード著の『毒になる親』のすすめで両親と個別に対峙を決意。

母には父から受けた猥褻の一部を初めて告白。顔を叩く行為も体罰だということを指摘した。父には初めての猥褻について問いただした。

両親はそれぞれ激しく動揺しつつ、完全に否定できない割には謝罪もなく、逆に私を責めてきたので、私は連絡手段をブロック。最終的には住民票閲覧制限もかけた。

父がしたことが性加害なら、私が弟にしてきたことも性加害や心理的虐待だという認識が強化され、弟に謝罪。弟は許すと言ってくれたが、私の自責の念は一生消せない。

40歳:性的虐待症候群から自己肯定

私がある男と「浮気した」と彼氏から責められ続け振られた。その主張への違和感を拭いきれなかった理由を掘り下げると、私が男から性被害を受けていたことを認めたくないため、男を無理やり好きになろうとしていたことを事件から5年後にやっと気づいた。

それは「性的虐待症候群」という防衛本能※であり、感情と言動と意識がバラバラに解離していたのも、男の暴力や社会からの二次被害(信じてもらえない・助けてもらえない)から自分を守ろうとしていたからだったと知る。

交際15年の彼氏は失ったが、引き換えに世界で自分だけが自分の味方だということに初めて気づいた。結婚には元々興味なかったが、今はソロガミー(自分婚)という結婚観がしっくりきている。

※4F:ファイト(抵抗)・フライト(逃走)・フリーズ(硬直)が無効だったときに作動する4つ目のFに値するフォーン(媚びる)

✧現在

現在進行形で困難は色々ありますが、私の約40年の人生で、今が一番マシです。画期的な変化です。

2019年5月、虐待を事実として認め、「なかったことにされてきたこと」が人生を狂わせてきたと気づき、そのストーリーを根底から覆すために両親との対峙したことで自分の人生が現実味を帯びてきたからだと思います。

対峙の仕方に関しては改善の余地はあったと思いますが、是非を問いただすという最も恐れていたことをした後の景色の透明度は別次元です。

ずっと背負わされてきた十字架、重い荷物を持ち主たちに返したら、心が以前より軽くなり、行動パターンに小さな変化みられるようになりました地に足がつくという感覚、「自分」という感覚が少しづつわかってきています。

両親と対峙・絶交した後も、絶望的なことは幾度も起きています。

最終的にはスイスで安楽死をする予定なのですが、このことを思い出すことで鬱でもベッドから起き上がれたりします。

ただ私がこの世から足を洗える日が来た後も、子どもへの性加害自体が世の中からなくなるとは思えないほど深刻な状況です。

そのことを考えたら、死にきれません。

今いる子どもや、これから生まれてくる子どもたちが性被害に遭わなくて済むような社会……性被害に遭ってしまっても、すぐに助けを求められるような社会に必要なのはどんなことだろう……と四六時中考えては、行きどころのない感情や考えを言語化しています。

侵略と強姦の歴史で富と名声を築いてきた人類が、最も破壊的な支配の手段としてシステム化してきた性的搾取に対して問題提起をし続けています。

「モノ」や「フィクションの世界」ではなかなか歯が立たない「性被害による精神的ダメージの現実」はもっと話題にする必要がある🔥と使命感に燃えてもやっぱり話しづらく、なんで私はこんな大変な役回りなんだろう?と理不尽に思ったりします。

思い当たる節は、古今東西の人々と比べて圧倒的に物質的に豊かな暮らしができる境遇だということ。タダなことなどないとすれば、その対価は相当なものであるはず。

というのも、虐待を除けば、私は比較的に恵まれた環境で育ちました。

日本人の家庭で育てられながら、世界を牛耳り「自由の国」と呼ばれる大国の最大の都市で生まれ、東洋と西洋両方の教養や文化や知恵を自然と身につけてきました。

精神障害がなければ、私は世界を股にかけた職業で活躍し続け、経済的にも裕福な暮らしができるほどのスキルがあります。

今は闘病中のため収入がなく、先進国では貧困層ですが、それでも最低限の暮らしはできています。

最低限の暮らしができているのは、地球上にいる他の人々の精神的及び物質的豊かさを搾取するシステムの中で生かされいてるからです。

このシステムは先祖代々によって築かれてきた訳ですが、その罪業のツケが積もりに積もって、性被害という形で現代を生きる私に皺寄せがきてるのだと解釈できます。

生まれる前からのカルマを背負っていると考えないと、3、4歳そこらの純粋無垢な私がなぜ父親から猥褻を受け始め、社会の無関心のお陰で必要上に苦しみ続けなくてはならないのか、説明つきません。

身体的な苦しみのない安楽死の権利をお金で買えても、死にきれないと思うことを想像するのは、今はまだ利息の分を返せていないということだと考えます。

欲を満たすために命を搾取し続けても結局、自他を苦めるのだったら、今後は命が活かされる抜本的な方法を編み出せということなのかと。

例えば世界人口が爆発しているなか日本は少子高齢化という経済的な理由だけで育てる気力もないのに命をいたずらに生むことはないし、暴力の連鎖に加担してまで生き続けることもないという考えに私は行き着きました。

幼児期からの性被害による精神障害がどれほど深刻かということを理解してもらうためにも、身体的に健康なうちに死ぬことは必須だと思っています。

自殺大国にも関わらず、日本はまだ安楽死を提供できていませんが、海外でもその方法がまだ珍しいからこそ、私の命かけたメッセージに注目を集めることができる最後のチャンスです。

ただでさえ人は他人が自殺した途端「一体なぜ」と一瞬だけでも、興味を持つものです。この心理を活用しない手はありません。

私の自伝的遺書『犯免狂子』を読んでくれる人が1人でもいてくれたら。無関心な社会と親の独善的な言動がいかに子どもの一生を狂わし、暴力の連鎖を生み続け、それを止めるにはどうすればいいかというヒントを得てもらうことでバトンを渡すことができれば、本望です。

✧これから〜安楽死まで

複雑性PTSDの好転反応さえ苦しまずには通れないため、症状は一生付き合うものとしてあらゆるセラピーを継続します。日常の無料電話相談、週一の遠隔診療(精神科)、要所要所での心理療法などなど。

子どもへの性的搾取を減らす試み(🧠知恵⚖️仕組みづくり🗣対話セラピー等のトラウマケア❤️‍🩹や日常的なセルフケアなど)が生きる糧です。

子どもに虐待してしまう・虐待社会に晒すリスクをゼロにし、不平等な力関係で発生してしまう暴力の連鎖を断絶するため、私は子どもを生まない・育てないことを断言します。

人生の教訓は自伝的遺書エッセイ『犯免狂子』にて執筆中です。

✧ぬぅまローグの意味(語源・想い)

古代ギリシャ語のpneuma(ぬぅま)とフランス語のlogue(ローグ)を組み合わせて創造した活動名の意味やそれに込められた想いを話してみます。

pneumaは、動詞の「吹く」が語源で、「風」「空気」「息」などを意味し、ギリシア哲学では「存在の原理」「呼吸」「生命」「力」「エネルギー」「精神」「超自然的な存在」さらには「善の天使」「悪魔」「悪霊」「聖霊」などという意味にも捉えられるようです。

日本語ではプネウマと表記されているのを見かけますが、正しい発音はヌゥマです。

pを発音しないなんて不思議ですよね。psychology(心理学)やpsyche(心)など他にもありますが、古代ギリシャ語が語源であることが多いです。

-logueは「談話」「言葉」を意味し、ギリシャ語の「logos(言葉・理由)から派生したもの。

prologue(序章), dialogue(対話),  monologue(独白・独り言), epilogue(終章)などに使われる接尾辞です。

私は命や精神に深く関わる「性」について言語化するうえで、その真理はなにかと考えた時、一言で表す難しさに直面します。

「心」が「生れる」と書く「性」ですが、性的な言動で人の心身を深く傷つけ、死に追いやることもあります。

表裏一体と言ったらそれまでですが「性」には両極端なイメージを受けます。

それはタブー扱いされ話題にすることさえ難しいために、言語化が進んでおらず複雑なだけに単純化されてしまうことと関係していると思います。

一方、「Body(体)」の中に「Soul, Psyche(魂, 心)」があり、その核に「Pneuma・Spirit(氣・精神)」があると考えられているように、「性」や心が生まれる前に「氣」や「精神」があります。

氣や精神を意味するPneumaは存在の核心部分にあり、心身を動かすもので、死んでも後世に受け継がれます。

蔑ろにされやすくとも、性的な課題は存在するものとして、語り続けることが大切だという精神、想いが込められています。

つい感情的になって絶望して言葉を失って自暴自棄になり死を切望しまう自分への戒めとも言えます。

ぬぅまローグは、タブー扱いされる「性」の課題について語り続ける私のモノローグ(独り言)がいつかあなたとのダイアローグ(対話)となり、性犯罪で繁栄してきた社会のエピローグ(終章)に繋なげ、性的に健全な社会のプロローグ(序章)が進むことを望んでいます。

✧性教育の基本のきが分かる絵本

うみとりくのからだのはなし』遠見才希子作

✧自伝 『犯免狂子』

(更新中・約70,000字)

この世の生き地獄から学んで確信できることがあるとすれば、それは感情に蓋をして偽りの時間をやり過ごすより、たとえ負の感情であってもそれを自分で肯定する人生の方が健全だということです。

幸福の感度も違ってきます。

リアルの世界では語りづらい複雑な気持ちに溢れた自己紹介もできる場が必要です。

この場を借りてできたことに感謝しています。

読んでくださり、ありがとうございます✧

ぬぅまローグ (pneumalogue)の
pneuma(ぬぅま)より


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