お土産を買える幸せ
社会人のお盆休み、夏休みはすっかり終わりでしょうか?
電車は空いていて、まだまだ快適です。学生さんたちがまだお休みだからでしょうか。
今日は旅行や帰省の「お土産」で感じたことを書いてみます。
お土産は嫌いだった
家族旅行に行くと、決まって近所の人や親せきにお土産を買うことになっていたのですが、両親がお土産選びをめんどくさそうに、嫌々買っていたので、私には「お土産は面倒くさいもの」という認識がありました。
修学旅行のお土産も、買い忘れがないようにと念押しされて買ってきたので、お土産という習慣は面倒でなくなればいいものと思っていました。
また、ほしくないものも渡されたりすると、なんだか微妙な気持ちなのに、お礼を言って喜ばないといけないのも面倒でした。
帰省のお土産
一人暮らしを始めて、県外から実家に帰る時にはなんとなくお土産を持って行きましたが、これも家族からは「コレジャナイ」な、反応をされたりして、ますますお土産は嫌になりました。
そして、持って帰らないと、それはそれで面倒くさいことになったり。。。
そして、実家から自宅に帰る時には、有給とはいえ休みをもらったのでちょっとしたお土産を買って帰ることになり、薄給公務員だった私にとっては痛い出費でした。
帰省の際、旅行のお土産を渡すと「あんたばっかりズルい」と言われることも多く、自分で稼いで旅行しているのになんだか罪悪感が生まれてしまい、旅行に行ったこと自体を内緒にするようになりました。
お土産やめました
そんなやり取りを数年続け、いろいろとあって実家とは疎遠に。
実家に帰らなくなったことで、地元の友達とも疎遠になりました。
そうすると、お土産を渡す必要がなくなり、旅行に行っても荷物も増えないし、お金も時間も自分のために使えて、身軽な旅になりました。
ですが、うっすらと漂う孤独感。
旅行する恋人や友達はいるけれど、土産話もする人がいない。
楽しかった旅行の話を、楽しそうに聞いてくれる人がいないということに気づきました。
モノじゃないんだ
幼少期の「義務としてのお土産」が、出発だった私なので、この人にこれをあげたい、その時の楽しかった話も聞いてほしい。
そんな気持ちに、大人になって気づきました。
なんで今まで気づかなかったのか…
修学旅行の話も、お土産の数なんて確認するよりも、楽しかった話やハプニングの話、そんなのを聞いて一緒に笑ってほしかった。
礼儀や義務みたいなことじゃなくて、これ使ってほしい、食べてみてほしいと、相手を思いながらお土産を買いたかった。
そんな気持ちがあったことを、お土産を一切やめた時に知りました。
渡す喜び、渡す人がいる喜び
してほしかったこと、したかったことに気づいた後は、やってみるだけです。
私が楽しくしていることを一緒にうれしがってくれる人に、お土産を買って帰り、楽しい旅の思い出を話します。
見かけたもので、あの人に合いそう!と思ったものがあれば、次に会える時に渡せるかな?と買ってみたり…
そんな「本来のお土産」みたいなものを何度かやってみると、お土産を買って帰る人がいる喜びにたどり着くことができました。
いくら親でも、自分が一番欲しい反応をしてくれるとは限りません。
親と過ごした間に培われた、自分の考えや、体験を手放すためにも、まずは一度適切な距離感を持って離れ、その後再開するとよいのだと思います。
一旦離れると、言えなかったことや、ほしかったけど口に出せなかったもの、してほしかったことなどが客観的に見ることができました。
今日も乱文乱筆、お読みいただきありがとうございました。