週刊少年松山洋_タイトル_修正

いくつもの夜を越えていけばいいのだろう

たぶん人間誰しもが“好きなこと・やりたいことだけやって生きていきたい”と考えると思います。

私だってそうです。

やりたくないことはやりたくない。

けど、それを事情や立場が許さない(許されない)時だってあります。

私の場合の“やりたいこと”とはゲームソフトを作ること(そして発売してお客様に喜んでいただくこと・たくさん売れる事)。そのために漫画を読むこと、アニメや映画を観る事、同じ業界の仲間たちと交流すること、これらがそうだと思います。全部がやりたいことと言えます。

ホントはこれだけやって生きていたい。

けど、そうじゃない時間が必ず存在します。

例えばパーティーの参加。

普段の“やりたいこと”が意義として100だとすると、パーティーに参加している2時間はそれが例え業界のパーティーだったとしても30くらいに減ります。異業種のパーティーだったりすると途端に5くらいまで激減します。

採用のために専門学校や大学で講演する時間は40くらい。(意義としては本来100なのですが聴講者全員が業界に入ってくれるわけでもないので)

いろんな番組に出演することも正直30くらい。それがWEBであれテレビであれラジオであれだいたい同じ感覚です。

海外出張は20くらい。どうしても言語や文化が違うのでやはり時間に対する費用対効果は薄いです。(あとは移動時間がかかりすぎることもその要因のひとつです)

銀行屋さんと会ったり、政治家と会ったり、大使館の人と会ったり、大学の教授と会ったり、それらの会合に参加することは1です。(これらの積み重ねによって本来の目的である“面白いゲームソフトを作ること”に繋がる確率はかなり低くなるから)

やりたいことだけやって生きていきたい。

やりたくないことはやりたくない。

そう思っていました。

はい、そう思っていたのです。

昔は。

今は、そう思っていないという事です。

かつて。

まだサイバーコネクトだった頃。今から20年くらい前までは“そう”考えて行動していました。好きなことだけ考えて、やりたいことだけやって、好きな人としか会わない。“余計なコト”は一切やらない。

ぶっちゃけた話、1996年に会社を設立してから最初の4年間の話ですね。

サイバーコネクトからサイバーコネクトツーになるまでの最初の4年間。

この頃は私自身もまだ社長ではなくイチ開発者としてゲームソフトの開発に従事し3Dアーティストとして背景グラフィックを制作していました。

思えば苦しくも幸せな日々でした。

“それ”しかやらなかったんだから。

けどね。

ほどなく自身で大きな問題に気づきました。

この問題に気づいた瞬間は今でも忘れません。

ゾッとしました。

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いくつもの夜を越えていけばいいのだろう

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