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芸術の価値、とは。
「落書きのような油彩画が210億円!? 高額アートのカラクリを専門家に聞いてみた」http://kindaipicks.com/article/001375 ライターの方の、そぼくな疑問にこたえるのは、「…
『一篇の詩に出会った話』を巡る旅 vol.2 〈青柳しのさん :堂園昌彦さん、佐藤弓生さん〉
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令和の竹久夢二、あるいは、甘やかな〈幼少期〉世界の語り部。
「幼少期」と聴いて、あなたはなにを思い浮かべるだろう。家族、友人達、もしくは、ひとりで過ごした数々の時間──映像の断片──が白い光のような靄をまとって、きっと脳裡をよぎることだろう。
それは実際にむかし見たもの、体験したものだろうか。それとも、いつかの夢で見たものか、強い憧れが現実に起こったことと錯覚したものか。あまりにむかしのことゆえ、記憶と夢のボーダーは曖昧でにじんでしまっているかもしれな
井上荒野『あちらにいる鬼』と、井上光晴の詩「恋愛」考察。
作者の父
井上光晴と、
私の不倫が始まった時、
作者は
五歳だった。(瀬戸内寂聴)――井上荒野『あちらにいる鬼』帯文より
この帯文にはたまげた。
そう。これは事実を元にした創作であり、小説である。
書き手は、井上光晴のご長女で作家の、井上荒野さんだ。
・ 白木篤郎= 小説家の父(井上光晴)
・ 笙子= 聡明で美しく、料理上手な母(妻・郁子)
・長内みはる= 小説家で光晴と不倫、のち
「早春の武甲山で遭難しかけた話(後篇)2」
(「早春の武甲山で遭難しかけた話(前篇) 」
「早春の武甲山で遭難しかけた話(後篇)1」の続き。最終回です)
日の暮れた、山頂にて◆18:00
苛酷なロック・土砂クライミングをへて、一般山道へ復帰できたことにまずは、ほっと安堵…の勢いで twitterに書き込む
いや登山、楽しかったんですが..くだりの途中、道間違え、スゲ沢(渓流)とかいうとこまでゆき「あれ、道がない!?」となり。一般山
「早春の武甲山で遭難しかけた話(後篇)1」
(前篇よりのつづきです。)
山頂で、おにぎり二つを食し。
中学生男子4,5人が神社の横できゃっきゃと騒ぎつづける歓声を聴く。
二時間強はかかるだろうし、そろそろ、山を下りようと、ルートを確認。
左に「シラジクボ 小持山・大持山/浦山口登山道」
右に「武甲山山頂」とある(ゆきできた「表参道ルート」は反対側)。
春の花々を楽しみにしていたのに、ゆきの「表参道ルート」では、ほぼ花を見られなかっ
早春の武甲山で遭難しかけた話(前篇)
はじめに先日、武甲山へひとりで登山した際、下山途中に道に迷い、遭難しかけた。結果的に助かったのだが、二度ほど(このまま、死ぬかもしれない)と思った。考えてみると、そんな経験をしたのは、人生で初だったし、そこで感じたこと、思ったことを忘れたくない、と。ここに記すことにした。
これは武勇伝ではなく、恥だ。
自分は、この登山で、いろいろな間違いをおかした。
けれど、それを克明に記すことで、いつか山を
芸術の価値、とは。
「落書きのような油彩画が210億円!? 高額アートのカラクリを専門家に聞いてみた」http://kindaipicks.com/article/001375
ライターの方の、そぼくな疑問にこたえるのは、「教授として生徒に美術を教えながら、作家としても数々の版画作品を発表しては世に送り出してきたアーティスト!」の方。
(ふむふむ、ふむふむ… うん、まあ、そうですよね、そうだけど、しかし。むう。えっ
高円寺スーパー芸術論
高円寺。この町へ越してきてもっとも驚いたのがスーパーの多彩とその豊穣さである。
おそらく高円寺に生まれ、長く暮らしているひとにとっては、それらの環境が当たり前のように思えるかもしれないが、全然当たり前ではない。歩いてゆける場所に一店きり、とくに覇気も個性も工夫もなく、その周辺にそこしかないのでなんとなく生き残っている系スーパーしかなかった、スーパー干ばつ地帯に長らく住んでいた私からしてみると。なん
その(1) 聖者のまなざし 11月3日(月)
家のひとにさそわれ、「聖者たちの食卓」という映画を観る。@渋谷UPLINK。
インド北西部にある、シク教総本山。ハリマンディル・サービブ(黄金寺院)のランガル(共同食堂)では、シク教の「宗教・カースト・肌の色・信条・年齢・性別・社会的地位に関係なく、すべての人々は平等である」という教義にもとづき、毎日10万人分もの食事が無料で提供されていて。セリフもなく、ナレーションもなく、その料理/食事/食器