芸術の価値、とは。


「落書きのような油彩画が210億円!? 高額アートのカラクリを専門家に聞いてみた」http://kindaipicks.com/article/001375
ライターの方の、そぼくな疑問にこたえるのは、「教授として生徒に美術を教えながら、作家としても数々の版画作品を発表しては世に送り出してきたアーティスト!」の方。

(ふむふむ、ふむふむ… うん、まあ、そうですよね、そうだけど、しかし。むう。えっ…? )
三日前くらいに、この記事を読んで、なんだか、モヤモヤしてしまって。なんでかな、としばらく考えていた。自分は短大の芸術学科で芸術を学び、彫刻を実作していた時期があって、それとも関係している、と思う。(短大では、彫刻家で教授の方に実技を習っていた)

記事を読まれた方の意見をざっとみたところ、端的にいい記事!と感じておられる方々と、「大学の学生向け?のサイトで、芸術にまつわる記事がバズらせの手法で構築されていることの危うさ」を説く方々と、二通りの意見が多いのかな、という印象をうけた(他にも様々なご意見があると思いますが)。自分のモヤモヤはそのどちらにも属していないように思えた。芸術鑑賞の初心者を標榜するライターの方、高額アートの仕組みをなんとか分かりやすく説明しようとする教授。どちらも、わるくはない。

ならば、このモヤモヤはなんなのか。

思わず、傍らの宮内に「この記事、見た?」と問いかけたら、「いや、タイトルだけは見たけど、内容は読んでない」と。「読んでみて!」と読んでもらい…  そっから、各々の感じた違和感、疑問など、微に入り細に入り、語りあって、気づけば二、三時間ほど経っていただろうか。宮内の抱いた違和感と、自分の違和感は重なるところも重ならないところもあって、その対話は刺激的で楽しかった。

(宮内はそのあと、それを創作に落とし込んでいた。https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=1744092782324091&id=100001701591705

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まず、自分自身の思考の流れ、違和感をおぼえた瞬間を洗い出してみた。
((かっこ)内が、自分の感想)。

・教授の言について
《で、なぜその価格がつくのか……ですが、社領さん、「価格=絵の価値」という認識を捨ててください。》 (=うん、これはそう!同意)

《一般的に、美術品の価格=「需要と供給のバランス」「美的な価値」「希少性」の三点で成り立っていると言われています。》(=ここまでも、分かる。質問に対する答えとしてはそう、そうなんだけど…)

のちに教授は、ジャクソン・ポロックや、ルーチョ・フォンタナの作品を例にあげ、「初めてその手法をした」ことに歴史的な価値があった、と説かれる。

(=ここで違和感。厳密には、ドリッピングや切り裂きなどについて、「初めてその手法を使った人ではない」と思う。その手法を使った人たちの中で、確信をもってそれをやったこと、その作品がオンリーワンといえる個性と魅力を兼ね備えていた、からこそ評価を受け、「初めてその手法を使った」と位置づけられた、ということなのでは? ジャクソン・ポロックやルーチョ・フォンタナ、の作品の唯一無二の力や魅力をもっと説いてほしい!)

・教授がお好きという、マーク・ロスコについての言及があった
《私、この作品大好きなんですよ。単純な絵に見えますが、実際に目の前にすると迫力が全然違うんです。色が前に出てくる感覚がして、なんとなくほっこりするような、いい絵なんです……》

(=個人的にロスコは自分も好きなので、うれしかった。そう!そういう話が、もっともっと聞きたい!聞きたかったのですよ……)

・教授の話を聞いたこのライターの方の最終的な言(結論)
《いや〜! 美術品の価格って、「複雑な偶然が重なってその値段で買う人がいた」、それだけの話だったんですね〜!》

(=「それだけの話」…… なんだか、よく分からないが少し心がくもる。そうだとしても、その言い方は少し即物的に過ぎるのではないだろうか。
結果的にその値段となったことの理由の、もっともコアな部分は、「その作品の制作を確信をもってやった、自分の理想とする芸術を命がけで創り出そうとした作家の魂(精神)」にあるのではないんだろうか、と。魂や、精神の話が置き去りになっているのではないの…? )

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《自分なりにモヤモヤの理由を解き明かそうと、あれこれ考えた上での結論》

「その芸術(作品)の価値が分からない!」と言ってくる方に対して。
その作品を愛している者が、それを見たときに、自分の心がどう感じ、なぜ惹きつけられたのか、という言葉= その作品(作者)の精神を伝えようとする「愛の言葉」以上の説得力をもつものは、ないのではないか。というのが、自分の思うところだ(ーーすぐに思いつくのが、リルケの美術評論。かれの芸術家や作品を語る言葉の数々は、むねの奥深くにしみこんできて、その一つ一つに強く揺り動かされた記憶がある)

需要と供給のバランス、希少性、美的な価値により、値段が決まる。そのことは分かる。分かるのだけど、亡くなった画家(例えばゴッホ)の作品にオークションで何十・何百億の値段がついたとして、その代金はゴッホのふところに入ることは決してないし、もはや投資やビジネスの話でしかないのではないか。自分はたとえば、ゴッホの精神や、作品のスゴさ・魅力についてとかの話をもっと聞きたいな、と思ってしまったのだ。

おそらく、そこが自分のモヤモヤの正体だ。

あと、「直感で楽しめばいい」というのは全くもって正しいと思う。
されど、芸術を分かりたい、という人に対して、「分からなくてもいいから、本物に数多くふれること」が、芸術作品に対する感受性や洞察力・理解力を確かに育むというところ(触れてはおられるが)、もう少し強く説いてほしいなあと思った。

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《自分の結論に対する結論》

・いやしかし、そもそもこのライターの方は、「芸術家(作家)の精神性について教えてください!作品の魅力を熱く語ってください!」とはひと言も言っていない。さすれば、こういう対談内容であっても、なんの不思議もない。

・自分が、それを聞きたかっただけだ。

・他者(この場合、教授やライターの方)にこう在ってほしいなど、ないものねだりをするのは良くない。それはおのおのの自由だ。批判したり、他者へ、こうしてくれ!と要求するのではなく。おのれのフィールド(たとえば自分なら近代詩活動)で、作家の精神性へ分け入ったり、愛の言葉で語ろう。それしか、自分の出来ることはない。

宮内もさっそく短編ひとつ、作ったもんな。

フィードバックだ。

未来の自分に生かせ。


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