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「早春の武甲山で遭難しかけた話(後篇)2」

(「早春の武甲山で遭難しかけた話(前篇) 」
   「早春の武甲山で遭難しかけた話(後篇)1」の続き。最終回です)

日の暮れた、山頂にて

◆18:00
苛酷なロック・土砂クライミングをへて、一般山道へ復帰できたことにまずは、ほっと安堵…の勢いで twitterに書き込む

いや登山、楽しかったんですが..くだりの途中、道間違え、スゲ沢(渓流)とかいうとこまでゆき「あれ、道がない!?」となり。一般山道に引きかえそうと→また迷い(家人に、迷ったかもメールして、インドにいる人にSOS.. と可笑しくなる)→岩と砂と枯れ葉で30回位すべりながら、ようやく一般山道へ。 
あまりにハードで.. きょうはもう閉店に。また明日🌿

しかし、一般山道に復帰しただけで、未だ山頂であるし。
ぶじかどうなのか分からない。二つ目の投稿は今後の安否も、何を記せばいいのかも不明で、こう書いた。

投稿してすぐに、ぶじを喜んでくださる方々の、温かなリプライが目に入った。なんとお返事をしていいのか分からない。すぐに後悔した。やさしい方々に心配をかけたくない。
帰りたい。週末に楽しみにしている詩の会もある。
「ほんとにぶじになるまで、もう書き込まない」と決める。

水がない

持っていた、ペットボトルのオレンジ紅茶(500ml)はもう、からっぽになってしまった。水が飲みたい。喉が渇いた。されど、山頂には水はない。
ガマンするしかない。からのペットボトルを持参していれば、ゆきの「不動の滝」の給水場で水を汲めたのに…と後悔。ちなみに食べ物も一切ない。おやつさえ持参しなかった自分を心底、呪う。おなかがへった。寒い。気温がさがってきている。

山頂にて。雨風や寒さをしのげる場所はないか、と戸が閉まる部屋を探索。
御獄神社――不謹慎ながら、神社の入口の戸を開けてみた。鍵が固く閉ざされている。左の先ほど、中学生たちがたむろっていた建物もみた、特に入れる場所はない。神社の右後方の、建物も然り。風雨をしのげる場所はない。

小屋に入る

(昼に撮った小屋の写真)
仕方がないので、とりあえず、詩の会ができそうな小屋に入ってみた。
宮内に、ぶじ一般山道に戻れ、山頂にいることと、小屋にいる旨をメール。
すぐに返信がきた。

 「小屋があるんね。よかったー(’▽`)」

うむ。きっと、布団がおいてある、山小屋的なものを想像してるんだろうな…と思う。しかし、違うのだ。吹きっさらしの簡易な木組みの小屋なのだ。

小屋のはじっこに体育座りで、丸まりながら、あれこれ考える。
山の下から吹いてくる、風がどんどん冷たくなってくる。
気温を見る。6℃である。19時をまわり、山頂は完全に漆黒の闇に包まれた。
よし、眠ってみよう、と思う。
明日の朝、日の出(しらべたら、5:30頃だった)とともに、下山すれば、大丈夫だ!いま寝ることができれば、10時間ほど眠れる。

しかし、身体に吹き付ける風が冷たすぎる。
風が肌にじかに当たると体温が下がるので、黒のパーカーのフードをかぶり、首元の紐をしばり、パーカーのなかへ体育座りの両脚をすぽっと入れて。ほぼ密閉された球体になる。ジーンズがきつくて鬱血している。全身の筋肉痛とあちこちのすり傷の痛み。空腹ももう限界だ。なにこれ、いてえ。寒い。できれば使いたくなかったが、頭の中は、この言葉しかない――「くっそ寒い!!!!!」。
こんな寒さで、眠れるわけがない。

「凍死」がよぎる

気温を見る。4℃だ。あと、どれだけ下がるのか。
自分は冷え性で、体温も低い。
全身の体温がどんどん下がってゆくのが分かる。
手足はもう冷え切って、感覚がない。
「凍死」の二文字が脳裡をよぎる。

検索してみた。こうあった。
「人は直腸温度が25度を下回ると内臓の機能がストップ、死に至る。全身ずぶぬれで、食べるものもなくカロリーの補給を得られない状態なら、気温が15度でも低体温症で死ぬ可能性はある。」

武甲山の山頂の気温変遷を調べてみると、深夜~明けがたころはずっと、氷点下であった。つまり、マイナス0度以下だ。
「このままここにいたら、確実に死ぬ」
と、ようやく悟った。

想像してみた。早朝、体育座りで丸まって冷たくなっている自分を。
発見するのは、誰だろう。おそらく、はりきって、早朝より登山をした、第一登山者だろう。山頂で死人を発見する、その方が気の毒すぎる。
というより、死にたくない。
ぶじに帰ると、決めたんだ。

こんなとこで、凍死する位なら、下りるよ!!!
と憤りに似た気持ちが湧き起こる。

先ほどの検索で、武甲山を夜間下山した方の記事もみた。
その方は、熟練者なのであろう、1時間で下山したそうな。
自分なら、おそらく2、3時間はかかるだろうが。
ゆきで登った、超絶分かりやすい「表参道コース」であれば、必ずくだれるはずだ。ライトさえ、あれば。

そうだ、と、スマホのライトを調べてみた。
使える!!! 照らすと、こんな感じ。
ほぼ間違いしかしていない、おのれの山行準備だが、スマホを二回分充電できる、モバイルバッテリーを持参していたのだけだけは、自分をほめてあげたい。これがなかったら、スマホのGPSもライトも使えていなかった。

夜間下山を決意

◆20:10  下山開始

下ろう。バッテリーも、まだ半分はある。2、3時間は持つはずだ。
パーカーから、両脚をすぽっと抜いて、リュックを背負い、歩き始める。

五二丁目の、御獄神社の石碑を確認。五一丁目表示の石碑をみる。
ありがたいことに、長細い四角の石碑は、ライトをあてると、仄白く浮かび上がってくれる。丁目石よ、いまは君たちだけがわたしの頼りだ。

とにかく下る。
筋肉痛の全身が歩く度に、きしみ、悲鳴をあげている。
とくに両脚の膝は、笑いすぎてぼろぼろ、利き足の右膝は爆笑の域に達している。ごめん、でも、もう少しがんばろうね。
と、身体の各パートへ、エールを送る。

鼓舞しつづける

足が痛い。まっすぐくだると、足に激痛がはしるので、カニさん歩き(横を向いた状態)でくだっている。なみだがにじんでくる。
行きの、車中のラジオで久々に聴いた、Mr.Childrenの「星になれたら」をふっと口ずさむ。
♪さようなら 会えなくなるけど さみしくなんかないよ
  そのうちきっと大きな声で笑える日がくるから♪

そうだ、そのうちきっと大きな声で笑える日がくる、生きて帰るんだ、
と、おのれに言い聞かせる。

そして。自分を励ますように、はっぱをかける。
実際、口にして、自分を鼓舞した言葉たち。

「ぜったいおりれる! ぜったいおりれる!」
「お前なら、できる!」
「よっ、社長!」
「よっ、日本一!」
「ひたすらくだれば着くから、がんばれ」

このなかで、一番、しんしんと胸にしみて、力が湧いてきた言葉は
「ひたすらくだれば着くから、がんばれ」だった。
「よっ、社長、日本一!」などのおべっか系は、全く胸にひびかなかった。
社長でも、日本一でもないが…?  など、冷静に考察してしまった。

大杉の広場をへて、もう少しで水場かな…と。
少し明るい気持ちになる。

やった!!
一八丁目の、不動の滝(給水スポット)へ着いた。
まずはおいてあるコップで、一杯の山の湧き水を汲み、ごくごく飲む。
うまい…。4、5時間ぶりに、飲んだ水のありがたさが全身にしみわたる。
からのペットボトルを、山水で満タンにした。

くだる。ただひたすらに、心を無にして、くだりつづける。
十丁目、九丁目、八丁目、の丁目石を確認。
ひたすら、次の丁目石をめざして、くだる。

どうやら、麓につけそうだ。
という希望で胸がいっぱい。

あっ、あの鳥居だろうか!

麓に着いた

◆22:40    武甲山登山口(一の鳥居駐車場)へ着

下山をはじめて、2時間半。
着いた…。はあ。助かった。

ありがとう、ありがとう。
おわびの気持ちではいった山で、生死の際に立たされたというのに、まず最初に、浮かんできたのは、武甲山への感謝の気持ちだった。
「ぶじに、くだらせてくれて、本当にありがとうございました」と。
山にふり返り、一礼していた。

「削ってしまって、ごめんなさい」の気持ちはまだ消えていない。
これはずっと抱えて生きて行く。

また、体力の限界をこえていたのに、一歩一歩わたしの身体を、麓へと運んでくれた両脚に「がんばってくれて、ありがとう」と思う。
「ぜったいに帰るんだ」と、わたしを生に強く引き戻してくれた、周囲の大切な人々にも。

山行にまつわる知識のなさと、準備不足を大いに反省しつつ。この日、生まれて初めて、わたしは「生をつかんだ」実感を得た。

つかみとった、おろかな自分の生を、これからも大切にしてゆこう、と思う。


◆後日談というか付記 
この手記の発表後──多くの知己の方々より多様な教えをいただき、心より感謝です。また、この記において、かなり能天気にみえますが.. インドにいた宮内曰く「すごい気をもんだよ!」とのこと。ちなみに、だいぶ慎重派の宮内は、ともに行った登山時には必要な山装備はしっかり携帯してました。見習います。

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