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「早春の武甲山で遭難しかけた話(後篇)1」

前篇よりのつづきです。)

山頂で、おにぎり二つを食し。
中学生男子4,5人が神社の横できゃっきゃと騒ぎつづける歓声を聴く。

二時間強はかかるだろうし、そろそろ、山を下りようと、ルートを確認。 
左に「シラジクボ  小持山・大持山/浦山口登山道」
右に「武甲山山頂」とある(ゆきできた「表参道ルート」は反対側)。

春の花々を楽しみにしていたのに、ゆきの「表参道ルート」では、ほぼ花を見られなかったので、 この武甲山でしか見られない〈石灰岩固有植物〉(チチブイワザクラ他)などの花も咲いているという、「シラジクボ・持山寺跡ルート」にしよう!と、決める。

◆13:45 下山開始

てくてく。いい道。ぽかぽか陽気がさらにまし、汗ばんでくる。
腰に巻いていたパーカーが、熱気をはらみ暑いので、畳んでリュックに入れた。しかし、なんて気持ちがよいんだろう。

ふわふわと揺れ、陽光にひかるすすきをみて、永瀬清子の『ひでちゃんのにっき』を思い出す。小さな男の子が、おばちゃんに「何色のセーターが編んでほしい?」と聞かれ、「すすきのいろが いいよ、ひにひかっているすすきのいろ」と答え、おばちゃんがちょっと困ってしまうというお話。

おばちゃん、こんな色だよ。

あっ、看板が。うむ、よく見えないが、「水場約2分シラジクボ」とある。
下に、「シラジクボに至る水場まで二米分」…
きっと、この方向へゆけば、シラジクボにゆけるんだよね?
なんとなくいやな気持ちがよぎりながら、道をすすむ。

登山をやっておられるかたならご存知と思うが、「行き先はこっちですよ」と親切のように、木に赤やピンクのリボンが巻かれている。このときも、迷わず、赤のリボンが巻かれている木木をめざして、進んでいった(しかし、調べたらこれが定かではないらしい。←Fさんよりご教示ありました「赤いテープは、測量や間伐のため。道を示しません。地図と磁石の携帯を薦めます」──そうだったのか..)。
この武甲山の場合は、あとから考えるに、立ち入り禁止区域、保護林などの区域に、赤リボンが巻いてあったのかな? と思うも、不明。

◆15:10  
「スゲ沢」と書かれている、渓流を発見。
スゲ沢?  聴いたことないな、ここどこだろう、と不安になる。
電波が入ってたので、検索してみた。あっ、これ浦山口方面の
「スゲ沢、橋立方面」に来てしまってる!と、ルートの間違えに気づく。
そして、さらに色々検索すると、スゲ沢の先の道は崩壊していて、むりやり沢をくだったという方が、転落事故を起こしたという記事を見て、怖くなる。「道に迷ったら、沢は絶対にくだるな」という一文もみる。

一般山道に戻ろう!
自分がどこにいるのか、分かる場所へゆこう、と決める。
でも、もう15時、どうしよう。日没の時間を調べたら、18時あたりだった。
日没前に山道に復帰し、ふもとに着けるだろうか? と焦ってきた。
道はこんなかんじ。荒れている。

不安ながらも、赤のリボンのついている木をめがけて、進む。
(このときはまだ、それが正しい方向だと信じていた)

合ってそうな気がしない。
赤のリボンは、ここではなにか、違う意味では? とさすがに思えてきて、
じりじりとした思いで辺りを見まわすと、モコモコした葉っぱの可愛い花に出会う。未知の植物だ!と興奮。

少しすすむと、枯れ葉の下から、うす桜色のスミレが顔をのぞかせていた。
会えてうれしい。

そして、あかるい黄色の福寿草の自生地!
胸があたたかくなった。こんなに一気に花々に会えるなんて。

しかしだ。自分は今、まちがいなく、道にまよっている。
きっと、花々が励ましてくれているのだ。
遅いのだが、ここで初めて、スマホのGPS機能を使い、おのれの位置を調べる。

ええっと…。これをみても、どうしたら良いのか。おのれがどこなのか。
帰りたい赤の目印(一の鳥居 駐車場)はとりあえず、めちゃくちゃ遠い。
そして、目指せそうな場所は、武甲山山頂(緑のマーク)しかない。
足は疲れたし、飲み物はあとわずかだ。
登りたくないが、行くしかない。

もういちど、GPSで詳しく見れないかみてみた。

うむ、大きくそれているな。
「武甲山の山頂」か「シラジクボ」を目ざそう。でもどっちだ。

気づいたら、家人の宮内にメールしていた。そのまま記す。
「いま武甲山のくだりで迷ってしまい…スゲ沢で道がなくて、怖くなった‥もっかい山頂ゆくかシラジクボにたどりつこうとしてる~  日没前にふもとにつきたし」
 
送ってから、そうだ、いまインドなんだ!と思う。
インドで、こんなこと云われてもだよなあ、と可笑しくなる。
20分後に宮内より来たメール
「うあー。メールしてる場合かー笑
    サヴァイヴしてくれー」
笑った。
そうだよ。世界各国を旅してきてる宮内は、こんな状況をきっと幾つもこえてきたんだよなあ。今、まさにインドでもだ。
そうこうしてたら、もう一通きた。
「無事に戻れたら教えてー」

そうか。宮内は、わたしが無事に帰ることを信じてるんだな、と思った。
信じられたら、そうするしかないじゃないか。
「ぜったいに、ぶじに帰る」と心に誓った。

シラジクボは未知の場所だし、たどりついて、日が暮れても、そのあと困りそうだ、と判断。武甲山山頂ならば、山小屋はないが、あの小屋もあったし、最悪、あそこに泊まればいいんじゃないか? と。
「武甲山山頂」になんとか、辿り着こう! と思った。
両足はすでにガタガタで、利き足の右膝がかなり痛い。

とりあえず、GPSでこまかく確認。今いて、向かっている方向もなんとなくは分かるので、とにかく進む。
もう、この時点で(GPSをたよりに歩き始めてから)、赤のリボンをつけている木を全く見なくなったし、人の通った形跡のある道も全くなくなっている。怖いけど、仕方ない。

GPSのみをたよりに、登り続けると、急傾斜の山肌に入った。
大小の岩や石がゴロゴロしており、針葉樹の枯れ木と落葉、土砂でかなり荒涼としている。つかんだ岩や石は、もろく崩れ去ることがたびたびあった。また枯れ木をつかんでしまい、すぽっと抜けて、ズルズル滑ったり。
相当な急傾斜なので、このまま、斜面を滑り落ちつづけたら、死ぬのでは? と必死に木や岩に食らいつく。

イメージとしては、「岩のもろい、そして、土砂・落葉ですべりやすい《ロッククライミング》」を想像してもらえたら。

10回ほど滑落を繰り返しながら、大きめの岩や、なるべく頑丈そうな木の根をつかんで、GPSで方角を細かく確認しながら、すこしずつ登る。
(この辺、きつすぎて、全く写真をとってません)
両手は細かな傷で血だらけで、GPSを確認している、スマホの画面はすでに血にまみれて見えにくくなっている。

ふかふかの落葉だまりにはまり、気持ちいいな…としばし休んでいたら、
ふと気が抜けた。
(このままここに休み続けたら、誰にも発見されずに死ぬだろうな)と思った。一瞬、救助の要請を考えたが、「自力下山は登山者の義務」だ。救助にかかる費用も相当だろう。
ほんとうに心底もうダメだ、というとこまでは、がんばらなきゃ。

ああ。おわびの気持ちで入った山で、自分は今こんなことになっている。

いつしか、ある詩人のことを思っていた。
シベリア抑留・収容所生活を体験した詩人、石原吉郎は後年、徹底的に非人間的で陰惨だった受刑期を顧みて、こんなことを言っている。
「自分は決して〈犯罪者〉ではないが、いずれは誰かが背負わされる順番になっていた〈戦争の責任〉をとも角も自分が背負ったのだという意識でした」と。理不尽かつ、長期にわたり、非人道的な扱いをされながら、「いずれ誰かが背負うはずだったものを自分が引き受けただけだ」(それは日本が他国におかした理不尽と見あうものかもしれぬ)と、諦念のような気持ちで受容しているところに、石原吉郎の精神の真髄があるように、自分は思う。

わたしも、人間が山におかした理不尽のむくいを受けているのだろうか、と問うてみたが。そんなふうには、なぜだろう、全く思えなかった。
むしろ、今日、ずっとわたしは「山に守られている」と感じていた。
こんな土砂まみれ、血まみれになっている、この瞬間でさえも。
山はそんなちいさな存在じゃない、と強く思った。

よし、登ろう!
体力、気力をふりしぼれ!
登る。 山肌を幾度も、小さく滑り落ちながら、くらいつき。
登り続けた。
GPSをみた。

近づいている。
その後も、がむしゃらに登り続け、ようやく、GPSが山頂に近づいてきた。

なんとうつくしい、山の夕暮れなんだろう。
なみだが出そうになる。
綺麗だ。

おお、なんにもつかまらず、歩ける場所にでた。
ロック&土砂クライミングをはじめて、二時間、ようやく山頂へ。
はあ、良かった。

◆18:00   
一般山道へ、復帰。但し、再びの武甲山山頂。日はすっかり暮れた。

寝袋もテントも持ってないし、安心に泊まれる山小屋もない。
水は飲みきってしまった。

13:45に下山を始めてから、再びの山頂まで人間にひとりも会っていない。
「人間に会いたい」と、こんなに願ったのは生まれて初めてだ。
鹿のフンは沢山目にしていて、茂みのガサガサッという足音は一度、聴いた。

さっきの小屋で、ひとばん過ごすしかないか。寒くないかな。
山頂につけたのは安心で、良かったが、この先の夜をどうするのか。
不安で一杯だった。

*思いのほか、長くなってしまったので、
早春の武甲山で遭難しかけた話(後篇)2」に続きます

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