井上荒野『あちらにいる鬼』と、井上光晴の詩「恋愛」考察。

作者の父
井上光晴と、
私の不倫が始まった時、
作者は
五歳だった。(瀬戸内寂聴)――井上荒野『あちらにいる鬼』帯文より

この帯文にはたまげた。
そう。これは事実を元にした創作であり、小説である。
書き手は、井上光晴のご長女で作家の、井上荒野さんだ。

・ 白木篤郎= 小説家の父(井上光晴)
・ 笙子= 聡明で美しく、料理上手な母(妻・郁子)
・長内みはる= 小説家で光晴と不倫、のちに出家する(瀬戸内寂聴)

主要な登場人物は実在の三人と、井上家の長女・海里(=井上荒野)。
主題はその関係性と変容。みはる(愛人)側と、笙子(妻)側、二人の視点で交互に物語はすすめられる。
始まりは、白木とみはるが出会い、関係を持つ、1966年頃から。
読みはじめてすぐ、ガッと魂が持ってゆかれた。

白木に惹かれ、愛の業火に飛び込んでゆく――みはる。
妻を心から愛しつつ、みはるとの関係も深めてゆく(彼女の小説の添削までして罪深い…)――白木。
全てを知りながら、常に夫を愛し支え、良き妻・母であろうと平静を保ちつづける――笙子。
この三者の在りようが、淡々とかつ静かなトーンで記されてゆくのだが。
物語の底に強い情熱、エモーションが持続していて、三人のゆく先にいっときも目が離せない。

読むうちに脳裡をかすめたのは、これもまた実話を元にした、島尾敏雄の小説『死の棘』だった。夫の不倫を疑い、次第に狂気にまみれてゆく妻の姿を、夫である敏雄が克明に記した『死の棘』。
正気を失う妻、正気を保ち続ける妻。

お前ならどうする?

いつしか、自分自身に問いかけていた――「お前ならどうする?」と。
奇しくも、わたしの連れ合いも小説家だ。想像してみよう(…10分、20分経過)。
いや、すまん無理だ。想像は出来る、しかし、そのときどうするか。
実際にこの状況に放り込まれなければ、答えは出せない。

その答えは、その人間の生き方、愛し方、そのものだ。
何を選び、何を捨て、何を得るのか。何を一番、大切に思うのか。

光晴の妻・郁子さんも、瀬戸内寂聴さんも。
自らの意志で、それを選びとり、その愛の形、生の形を豊かにまっとうしてみせた。その覚悟と気迫に強い憧憬の念をいだいて已まない。

井上家の風景

先日、幸運にも読書会で、井上荒野さんご本人におめにかかる機会を得た。
生き生きとした父、井上光晴さんの姿、そして、母親について語る、その言葉のひとつひとつに。在りし日の井上家の情景を覗かせてもらったようで、嬉しくなった。

また、全ての思いを集約したかのような、「それでも、母は幸せだったと思う」との荒野さんの言にハッとした。そして、「寂聴さんも母も、自由で強い人だった」と敬愛の強くにじむ口調でおっしゃっていて。
この三人と荒野さんは、なんて素敵な人たちなんだろう、と感じた。

わたしは、「そういうふうにしか生きられない、どうしようもなく、そういう人間なんだ」ということが浮彫りになってしまうような「小説」が好きだ。むしろ、それがない「小説」には、個人的にあまり惹かれない。

そういう意味でも、この『あちらにいる鬼』は、決してノンフィクションではない。
まぎれもなく、第一級の「小説」であり、人間そのものだと感じた。

〈作品の書かれた背景〉
作者の父・井上光晴は1992年、妻の郁子さんは2014年にそれぞれ没している。荒野さんは、母親の亡くなって一年ほど後に、編集者より「三人の関係性を小説に書いてみませんか」と打診を受けたが、「そんなスキャンダラスなことは書きたくない、無理だ」と断っている。
その心持ちが変わったのは、京都の瀬戸内寂聴さんの元へ、作家仲間とともに訪ねた折のこと。寂聴さんとともに過ごす長い時間のなかで、父(光晴)の話を、寂聴さんはずっとし続けていて。
「ああ、父のことが本当に好きだったんだな、父とのことをなかったことにしたくないんだな」と実感――ぐっときた荒野さんは「書こう」と決意したという。(文春オンライン《「私が書かなければ」――父と瀬戸内寂聴さんは不倫をしていた》著者インタビュー:参照)

井上光晴の詩

ところで。自分は、もともと井上光晴の詩が大好きなのだが(とはいえ『詩文庫59 井上光晴詩集』を愛読するのみ)。弱者に共感し、怒ることのできる、社会の不条理に抗う言葉をもった作家、という認識で止まっていた。
それはきっと間違っちゃいないが、光晴の本分である〈小説家〉の側面が未知で申し訳ない感じである。
(おすすめも伺ったので、これから小説も読む)

この『あちらにいる鬼』を読み、久方ぶりに、詩文庫『井上光晴詩集』を紐解いてみたところ、こんな詩を見つけた。

「恋愛」

俺は一生 生活の極線を歩く

君はしんぼうするか
くるしみにたえることが出来るか

ふまれ けられ こづかれても
君はよく歯をくいしばるか

がっちりと がっちりと
吹きすさぶ烈風にも
顔をそむけない自信があるか

君は俺のものだ

俺は岸壁を歩く
君も断崖を飛べ

(第一詩集『すばらしき人間群』)

相当、ハードコアである。
「俺は岸壁を歩く/君も断崖を飛べ」――カッコいい、確かにカッコいいが、恋愛の相手にこの覚悟を望むということなのだろうか。
これは、郁子さんへ書かれたものなのだろうか?

気になって調べたら。この『すばらしき人間群』、1949年刊行ということは光晴さん、23歳。まだ共産党員時代で、苛烈なプロレタリア詩を書きつづっていた頃だ。暮らし向きもまずしく、非常に厳しかったさなかだろう。
上京し、郁子さんとご結婚されたのが1956年なので、おそらく違う方なのかなと。

そして、「生活の極線」とあるが「極線」とは何か?
《円とその外側の点「A」から、二本の線を引きその点を、P、Qする。
P、Q、二点をつないだ、直線を「極線」と呼ぶ》らしい。
数学用語だった。なぜ、数学、と思ったら。
光晴さん、戦前に長崎の崎戸の炭鉱技術者養成所で、数学を教えていた時期があったようだ。

「生活の極線」=はっきりとは意味をとれないが、厳しい、過酷な道をゆく、という解釈で良いのかな。

そういえば、荒野さんが、
「まずしい弱者の立場で、社会の不条理を糾弾する」作家である「父(井上光晴)は小説家として、そこそこ成功してしまい、家も買い、家族も持ち。
どこか後ろめたい、居心地のわるいような気持ちを抱きつづけていたと思う」と考察されていて、とても興味深く。
光晴さんの生の喜びと苦しみ、のようなものにいつしか、思いを馳せていた。
こんなふうに、その詩の書かれた背景に思い巡らせるのも、また豊かな時間だった。

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