ステップの踏み方を忘れてしまった人たちへ

さっきまで友人の子どもと笑いながら遊んでいた自分が嘘のように表情がなくなって何もしたくない。誰にも会いたくない。死にたいと頭を何度もよぎり怠さと頭を締め付けられるような感覚で感情の制御が効かない。でも死ぬ勇気もないし、また友人の子どもが出来ないことが出来るように成長し、「あそぼ」って詰め寄ってくる笑顔が見たいので死にたくない。この生きづらさから逃れたい。死にたい。それの繰り返しだ。

僕は突然、会社に行けなくなった。

しかも初めてじゃない。何回目だろうか。

今まで当たり前に出来ていたことが徐々に出来なくなり、普通の生活をしていても頭がぼんやりと締め付けられて何も考えられなくなり、吐き気とだるさが襲ってきてすごく怖くなる。だから今回もその恐怖を覚えているので「すいません、少し休んで考えさせてください」と休暇をとった。

自分の中で迷いもあった。いい学校を出ていい会社に入ってなどそんな価値観などもう限界なのは多くの人が知ってるし行動してる。それは自分の人生を生きてる素晴らしいことなんだけど、「好きなことだけして生きていく」「これで時間とお金を自由に手に入れる」、私を知ってください私を知ってください知ってください幸せになれます・・・の波が襲ってきて、「いや違う安定だよ」「そんなもんない!!」云々カンヌンいろんな人がぶつかって疲れてしまったのでちょっと距離を置いて徒然なるままにとりあえず今僕の中にあるものを吐き出してみようと思って今文章を書いてるわけで。

大人になると、いやそうじゃなくても今ってとにかくなんでも「説明責任」だなと思うことがある。起きてしまった過ちや事件などを改めて二度と同じことが起こらないように真実を明らかにする説明責任は最も重要だ。だけど原因を突き詰めることが全ての解決になるかと言うとそうじゃないと体感することが、このなんとも言い表せない、言葉にしたから全部をわかったような顔しないでよ。みたいな矛盾した想いはどうするの?って思うことが多いような気がする。

例えば僕が会社に戻った時に必ず聞かれるのは「どうしてそういう状態になったの?人間関係?仕事の内容?それであなたは今後どうしたいと考えているの?」

すげぇ一生懸命考えた。でも結局でた答えは「わからない」。
わかるわけない。未来なんか誰もわからない。だけどいまをつくることはできるんだから。論理的に上手くやる人もいれば、僕みたいに壁に直接頭から突っ込む不器用な奴もいる。頭がぼーっとしてる時あるから支離滅裂で読んでて迷惑かけたらごめんなさい(笑)

そしてそんな自分だけ苦しんで損をしてるのなら、頭の中に浮かぶ音楽をカタチにしろって(僕が輝けると思うのは曲を書いて歌って表現する時)思ってDAWソフト開いてギターを持つけど、何も浮かばないしやる気も起きない。

しょうがないからテキトーに本棚の文庫のページを開いたらこれが出てきた。

「踊るんだよ」
「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言っていることはわかるかい?踊るんだ。踊り続けるんだ何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなこと考えだしたら足が停まる。一度足が停まったら、もうおいらには何ともしてあげられなくなってしまう。あんたの繋がりはもう何もなくなってしまう。永遠になくなってしまうんだよ。そうするとあんたはこっちの世界の中でしか生きていけなくなってしまう。どんどんこっちの世界に引き込まれてしまうんだ。だから足を停めちゃいけない。どれだけ馬鹿馬鹿しく思えても、そんなこと気にしちゃいけない。きちんとステップを踏んで踊り続けるんだよ。そして固まってしまったものを少しずつでもいいからほぐしていくんだよ。まだ手遅れになっていないものもあるはずだ。使えるものは全部使うんだよ。ベストを尽くすんだよ。怖がることは何もない。あんたはたしかに疲れている。疲れて、脅えている。誰にでもそういう時がある。何もかもが間違っているように感じられるんだ。だから足が停まってしまう」
「でも踊るしかないんだよ」
「それもとびっきり上手く踊るんだ。みんなが感心するくらいに。そうすればおいらもあんたのことを、手伝ってあげられるかもしれない。だから踊るんだよ。音楽の続く限り」
オドルンダヨ。オンガクノツヅクカギリ。

「ダンス・ダンス・ダンス」(講談社文庫)|村上春樹

村上春樹は好きでも嫌いでもある作家で、いろんな人がblogでもなんでも書評なんかいくらでもやってるんだけど、ただ今の僕が気づいたのは「ステップの仕方を忘れただけなんだ。踊り方を忘れただけなんだ」って根拠もなく月並みなんだけど素直にそう思えるってことだ。

「説明責任」をするな。なんて無責任なことは言えない。それはあなたの人生に対して全てまるっきりOKだよ!!エヘッ!!なんて絶対に言えないから。そして抱えるもの、未来への不安なんてどんなユートピアだって存在する。その責任を抱えて前へ突き進む人を僕は鼻で笑うことなんてできない。

ただ私らしさ、あなたらしさなんか元々あるのに無理やりつくる「説明責任」。真実に目を逸らし嘘で塗り固められた「説明責任」。本来自由であるものをがんじがらめにして管理し一つの大きな価値観に縛り「私」という存在を殺してしまう「説明責任」は必要なのかと疑問に思う。

文章を書いてて今気づいたのは友人の子どもは音楽が続く限り踊ってたよ。だから僕も友人夫婦もみんな笑顔になってた。そして僕がバイバイしたら寂しいから全力で泣いていた。気を使ってる部分もあると思う。両親が言ってもいうことを聞かないことを幼稚園とか僕の前では軽々とやる。両親にはきついだろうけどめいいっぱい甘える時に甘える。感情を爆発させる。

大人になる程、歳を重ねるほど、そして責任が重くなる程、説明責任を強く求められる。今は子どものうちから教育として。「いい歳してそんなことも出来ないのか。きちんと説明できないのか。」
そしてテストの解答みたいに用意された説明責任から違う方向を向くと徹底的に社会から排除される。大事なのはテストの回答の説明じゃなくて今どう感じているのか、どうしたらその想いをこの人に伝えられるだろうかってことなのに。

論理ってそんなに偉いんだろうか?僕みたいに感情がどうにかなっちゃって何を伝えたいのかどうしたいのかわからなくなって全てがダメだ!!って人がいたら全力の愛で心を抱きしめてあげたい。そりゃぶつかる、言い合いもする、もう無理だと素直に言う。それでも「また明日ね」って言ってくれる仲間が僕にはいた。

ステップの仕方がわかったり思い出したら、その人は音楽が鳴らなくても鳴るまでしつこくしつこく踊り続けると思う。それで鬱が消えるわけでもないし生きづらさが消えるわけでもないけど、少なくとも踊ってるときはそれを忘れられる。

それが正しいとか正しくないとかじゃないけど、ステップの踏み方を忘れた人は何も考えずに踊ることが必要だと思う。それができない人には大きな愛で強制せず「一緒に踊りませんか?」って心を抱きしめてあげる。

それができるよって自分に伝えることが今日できた。
自分の為に書いたけどそれが誰かに響いたならこの上ない喜びだ。

オドルンダヨ。オンガクノツヅクカギリ。

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いつもありがとうございます。あなたに何かを感じていただければ僕は幸せです。