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白々と間瀬の二度目の夜が明けていく
自分の鼻息に耳を澄ませば、波の音に聞こえる。
いや、これホント。
波と呼吸のリズムは同じ。
いつかうちの子が、恋人を連れてこの海を見ながらそう話すのを想像する。
それで、それをやって見せると鼻水がドバッと出て恥ずかしくて笑うけど、彼女(彼)が海を見ながらノールックでハンカチを渡してくれるのだ。
(鼻水を垂らしているところを見ないように)
それが嬉しいやら余計恥ずかしいやらで、鼻水の付いた
平日、町を歩いて写真を撮る際に気をつけている事。
僕は今、在宅勤務がほとんどで、平日の昼間にスーパーや郵便局へ行ったりする。
その際、昭和のサラリーマン家庭で育ったのでどうしても人の目が気になってしまう。
だったら目立たないようにすれば良いじゃないかと言われそうだけど、そんな単純な話じゃないのです。
そもそも僕は図体がデカく、だいたい人ごみの中でも頭ひとつ分飛び出しているし、写真が好きだから被写体に出くわせばちょっと大袈裟なカメラを取り出す
彼は何ものにも寄りかからない
彼は何ものにも寄りかからない。
これまで圧倒的で立派に見えた彼がふと孤独に見えた。
寄りかからないが故に1人立っている彼は孤独であり、一瞬寂しい者のようにも思えるのだ。
何ものにも寄りかからない彼には彼に寄りかかるものたちがいる。
彼に寄りかかるものたちは、彼に寄りかかった瞬間彼と孤独を共有する。
それは世界に独立して立つという、恐ろしく小さくもろい。
しかしやはり強く美しい存在なのだ
時代に翻弄され激しく揺さぶられながらも慎ましく生きるツツジ
タイトル写真は、身の丈程もある立派なツツジで、それはこのツツジが植えられている公園が貯水タンクを埋め込んでいる都合で上底された結果なのだけど。
そのツツジがちょうど子どものお迎え帰りの時間、西日と春風に揺れて、しばし子どもを待たせて眺めていた。
普通、写真好きの人は花を選ぶのだけど、選ぶ余裕はない。
花が激しく揺れて動いているから。
昔、何かのドラマでキムタクと草なぎ剛くんだったか、冴えない
子どもはまだ人生を知らない
数日前、かれこれ三十年来の友人の誕生日でした。
おめでとうと一言メールを送ったのですが、その返信で彼のこれまた四十年来の友人の話が出て(仮にS君)、S君もまたおめでとうとメールをくれたのだと。
でも、そのS君。昔から山あり谷ありの生き方をしていて、S君が今どこで何をしているのか仲間の誰も知らないと。
その時に僕が返したのが、
たとえどんな状況であっても。
弾丸が飛び交っていたり、荒れ狂う猛
子どもに創造性はない
創造性とは本質からのズレである。
本質を知らなければそこからズレることはできない。
たとえ創造的にみえるものでも
本質を知らないものは
タダのデタラメか
すでにどこかの本質組み込まれている。
だから子どもに創造性はない。
なぜなら子どもは本質を知らない。
強烈な色彩は絵の具の取り間違いである。
夢のある絵はどこかの絵本やアニメから来たのである。
詩人のような言葉は初々しい脳のエ