見出し画像

ある写真家の恥

昔、一緒に仕事をしていたデザイナーさんから聞いた話。

その昔、ある写真家がクライアントに依頼されて神社の境内を撮影した。スタジオに戻ってフイルムを現像してみると、参道のすみに小さなゴミを見つけた。彼は慌てて現地に戻りその場所を掃除して再び撮影した。

この話は、今から考えると3つポイントがある
一つは当然のことながら、良い写真に仕上げようとする写真家の気概のはなし。
二つめは、そのための技術の話し。かつてはPhotoshopなどなかったのだから、写真を仕上げるにはこういう手段もあったのだろう。
最後の一つは「恥」の話。
自ら動くスナップや鳥や子どもなど動きものの撮影ならいざ知らず、食べ物や建物、その場の景色など動かないものを撮る際はそれなりに時間をかけて構図やフレーミングを決めたはずである。
なのになぜこのゴミを見落としたのか!?
写真家としての彼は恥ずかしくて恥ずかしくて顔を真っ赤にして穴があったら入りたい気分になった。
だからそのゴミを掃除して恥をフレームの外に追いやったのだ。

でも、恥は消えない。
フレームの外にあっても、拾ったゴミはゴミを持ち帰りましょうという標語とともに彼の手元に。家に帰りゴミ箱に。ゴミの収集日にごみ収集車へ。そしてごみ集積場の業火の中でチリとなりやがて夢の島へ。

彼の恥は夢の島に今なお眠っている。

誰かと仕事をした時に、なんでそこまで厳しいの?という人がいる。でもそんな時には彼・彼女の夢の島に眠る恥に思いを馳せると少しは頭が下がるかなぁと思った次第です。朝から。

何か理想の形よりも、それがそう無いことへの不安が何かを形付けているのかも。

令和3年6月17日 暑いのか寒いのか

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?