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来るもの拒まず去るもの追わず|人間関係とSNS運営の心構え

YouTubeのチャンネル登録者が3人減っていました。
そう、3人。

これをどう取るかはそれぞれだと思います。
よく例えられるように、コップに半分水が入っていて、それを「半分しかない」と思うか、「半分もある」と思うか。

あなたはどちらでしょうか。
「あなたは」といっても、その時自身が置かれている状況でそれをどう見るかはかなり変わると思います。

僕は、確かに誰かから距離を取られると、「うぉ」とは感じます。
それは対面の人間関係でも、ネット上の関係でも。

でも、全てのものは変化することが当然であり、仕方ないよな、と。


マーケットをどこまで意識するか

YouTubeアナリティクスを見るに、半分くらいの人が日本国外からアクセスしているおそらく日本語を母語としない人たちなので、主にインスト曲を聴いてくれてるものだと考えています。

そして、最近は全然動画を投稿しないで変わりにこうしてnoteを書きまくっているし、そしてnoteに注力していることを特にどこかで宣伝したこともなく、また日本語で書いているので半分くらいの人はついて来られないはずで。

海外からのアクセスも一応可能らしいので、自動翻訳を使ってくれればなと思っているのですが。

すべての海外からのアクセスを制限しているわけではなく、PCでは通常通りご覧いただけたり、閲覧自体は可能です。

https://www.help-note.com/hc/ja/articles/360008947573-推奨環境#h_064b70e0-4d77-4ddb-b774-8f371393c7b5

本当のファンは一体どれほどいるのか

どれくらいの人が「philosofyが作った曲」「philosofyが書く文章」を求めているのかというお話。

「AI生成の曲の方がクオリティが高いからそっちでいいや」と思う人はそもそも僕のファンではないので、いずれ関わらなくなる運命だったわけです。

  • なんとなくおすすめに出てきたから動画を見てみた

  • なんとなくチャンネル登録した

こういった人がほとんどだと思いますし、僕も他の人の動画をYouTubeで見るときはそうです。
とりあえず後で見る用に登録しておいて、どんなものか大体わかったら、解除、なんてのはしょっちゅうです。

多言語運用の難しさ(個人的感情)

インスト曲は言語を問わずに聴けるものなので、一応世界共通語ということで英語のタイトルもつけています。

そして歌ありのものは、日本語の歌詞なので、タイトルも日本語のみです。

再生リストで分けることはしていますが、一つのチャンネルに二つの言語が存在しているわけです。

そして、僕としては可能な限り全て日本語で運営したいのです。英語は一切使わずに。
それは日本語が好きだからということと、

  • 英語が全てであるかのような風潮

に心底嫌気がさしているためです。

2年前にTOEIC604点だったので、英語が全くできないから嫌いというわけではありません。短文なら読み書きできるし、日常会話もある程度できます。

しかし、好きじゃない。
それはなぜか。

英語を母語とする人はたまたま英語を母語として生まれただけで、そしてたまたま英語が世界共通語であった、というだけです。
たったそれだけのことで。
「なんでそこに合わせないといけないの?」と思うのです。

せっかく日本語という多様な表現手法を持つ豊かな言語を母語として生きているのだから、それを使いたいし、これからもずっとその能力を伸ばし続けたい。どこまで自由な表現をすることができるのか、いつまでも追求していたい。

幼少期に外国語学習を受けなかったことには感謝しています。そのせいで母語が不自由になってしまう恐ろしい例もあるようなので。

まぁ、今でこそこういった考えなのですが、2年前に楽曲を初めて投稿した時は、こんなこと一切思っていませんでした。
というかむしろ、ゲーム曲の耳コピアレンジ動画を嬉々として全て英語で概要を書いて投稿していました。英語で書いてあるテクノロジー関連のサイトをみているだけでワクワクしていました。

でも、ある時気がついたんですよね。
「これ、自動翻訳で日本語にすればいいじゃん」と。
ものすごく当たり前ですけど。

「こもれび」という単語。
これは他の言語では該当する単語が全くないように、他の言語でも日本語の単語にはないものもあるはずです。
しかし、そこまで言語を詳細に突き詰めて考えるのならば、母語である日本語の方がより繊細に表現できるし、というかそもそも外国語を使う機会が全くない。

ある程度一巡したというか。もう外国語は飽きたよー、という感じ。

決断をすべき時

今まであまり深く考えていなかったのですが、どうやらこのあたりで今後の方針を明確に定めるべきだな、と思いました。

意志ないままに、いつまでもだらだらと何かを続けていても何にもなりませんので。
それは人に迷惑をかけることにもなってしまいます。
例えば僕は英語のメッセージをもらっても、日本語ほど細かい対応ができません。

そして今までは楽曲制作だけだったのですが、今後文章執筆にも力を入れていきたいため、そうなるとマーケットは自然と日本に限定されるわけです。

それが怖くてインスト曲だけで全世界に勝負しようなんて思っていたのですが、それも明確なデータをとったわけでもないし、そして最近失速しているし、そこにこだわる意味が大してないのではないか、と。

なんだか日本国内のマーケットのみでも勝負できる気がしていて、そして更に今後はAIを主軸とする自動翻訳が完璧に機能を果たしてくれると思っているので、そうなったら一気に地球全てに届けられるようになるし、いつか書籍を出版したらそれこそ色々な言語に翻訳してもらえれば解決するので、こうして日本語で文章を書き続けていきます。

またいつか戻ってきてくれたら嬉しいっすd( ̄  ̄)

という気持ちです。

僕だって結構、人のチャンネル登録はすぐ解除します。
HIKAKIN TVは、数年単位で見ると、5回は登録解除を繰り返しているはず笑

まぁ、そんなもんで。

noteでも、フォロー,フォロー解除、スキ,スキ取り消し、コメント,コメント削除、とご自由にしていただいて構いません。
見返りに囚われた様な、膠着した人間関係は互いに息苦しいだけですので。

これは対面の人間関係と同じです。

誰かと会った時、「この人と友達になろう」とか、「恋人になろう」とか、そういった魂胆ありきで近づくのではなく、ただその場に居て話しているうちに、「なんかこの人楽しいな」とか、「もっと一緒にいたいな」とか、そういった感じで自然と関係は構築されるものじゃないですか(僕はそう思ってる)。

「友達になってください!」「私たち友達だよね?」とか、アニメや漫画でもない限り言わないですよね。

そして、関係が薄れたり、途切れたりする時も「友達やめないで!」「ずっと好きでいて!」とかも言わないでしょう。

僕は別れが来る時、たしかに悲しい気持ちにはなるものの、「まぁ、そんなもんか〜」と思って、日常を生きています。

そうしてまた誰かと出会ったら、その時はそこを流れる空気に身を委ねればよいのです。

インターネット、SNSも対面のそれと同じだと思っていて。
特に文章。一般に書籍というのは、著者との対話だったりします。

そして僕がこうして書いているnoteも、出版社や編集者を通していないというだけであって、形式的にはそういった本と同じなわけです。

なので、これを読んでくれている方はきっと僕と対話をしているし、それはつまり人間関係であるということです。

全てのものは移り変わる。諸行無常。

人間は変わります。地球環境も変わっています。全ては四季のように移ろう。

僕が投稿する動画も、書くものも全てその時の気分次第です。
こんなものを作りたい、あんなことを書きたい、と。
ずっと同じ状態で同じことをやり続けることはできません。

なぜなら人間であり、だから体調は変化するし、興味関心も変わる。
人間関係だって変わるし、そうして世界はまた一つ一つ広がっていき、価値観、ひいては生き方も変わる。

そして、自然体で生きることこそが唯一持続可能な生き方であると思っています。

人間関係に限らず、全ては自然体であることがものすごく大切であるなと。
背伸びしてもそれは続かないし、自分を偽ることは相手に失礼です。
いつかその仮面が外れた時、「え、ずっと騙されてたのか…」と相手は悲しみの谷に突き落とされます。

というわけで、来るもの拒まず去るもの追わずで生きていると、人間関係やSNS運営は楽であり、確かな関係を築いていけるね、というお話でした。

最後に、僕を好きでいてくれる全ての人に感謝を。どうもありがとうm(_ _)m

(´・ω・)つ旦