mikiko_k

とりあえずお能関連の過去ツイ倉庫にします。

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記事一覧

(無題)

表現者の◎さんという方がいて、私は彼のファンで、尊敬していた。 ◎さんの表現が大好きで、語ること書くことにも影響を受けていた。 直接お話しする機会も多く、とても親…

mikiko_k
9か月前
1

高浜虚子「西瓜一つ」
亡父がかつて教わったドイツ人先生夫妻。学生以外の証言初めて読んだ。ありがとうNDLデジタルコレクション(閲覧に利用者登録必要な状態です)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1708381/1/98

mikiko_k
9か月前

「祖母の弟」の追悼本

以前、父方の祖母の弟と思われる少年の湿板写真のことを書いた。 これを記した時には、「若くして病没した弟」のことしか知らなかった。 ところが、本文の文字検索ができ…

mikiko_k
1年前
2

補足というか

↓この記事に書いた伯母の遺稿集、国会図書館に蔵書があった。「帝国図書館蔵」印があった。おばあちゃん、出版時にきちんと納品したんだ…

mikiko_k
1年前

1936年2月26日前後、旭川の小学生男子の日記

亡父は小学時代の数年間を札幌近郊と旭川で過ごした。旭川に住んでいた9~11歳頃の日記(担任教師に提出していた痕跡あり)がまとめて残っているのだが、ちょうど例の事件…

mikiko_k
2年前
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明治末~大正初期女学生の「図画」課題

mikiko_k
2年前
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1960年頃のフランス語初級教材

mikiko_k
2年前

2枚の湿板写真

約9cm×6cmのガラス板(湿板写真?)。ここに写っている少年は父方の祖母の弟だと、祖母自身から聞いたぼんやりとした記憶がある。ただ、その記憶が正しいとすれば、撮影時…

mikiko_k
2年前

ナイトメア・アリー

★これは1946年の小説と、翌年制作された映画化作品についての雑なメモですが、小説は来春公開が予定されている新作映画の原作でもあるし、観る前読む前に余計な情報入れた…

mikiko_k
2年前
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大正2年京都の高等女学校の「割烹」学習教材

mikiko_k
3年前
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+9

Nature誌1966年1月1日号に載っている色々な機器の広告が何となく良い

mikiko_k
3年前

文語文で作文書かされてた小学生

父の作文。学年や日付がないが、昭和10年(10歳)くらいに学校に提出していたらしい日記も文語文で書いているものがあるので、たぶんその頃。 原文。 ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ 暴…

mikiko_k
3年前
2

旧制姫路中学の通知簿晒す(昭和13-16年)

↓こちらの記事の補遺的な。 「通知簿」表紙。この一冊に4年間の記録が記載されるスタイル。 上段に校長や担任教師の名前、下段は本人の情報。次ページから「勅語」「詔…

mikiko_k
3年前

旧制姫路中学に園芸の授業があったらしい

しばらく前に、父の蔵書の一部を古書店に出した。長いこと迷った分だけど、うちじゃ誰も読まないし誰か必要な人にわたってくれれば、でも煙草のヤニまみれなんでごめんね、…

mikiko_k
3年前

昭和16年に16歳男子が書いた、6つ上の姉の追憶

筆者の亡父が16歳の時、若くして亡くなった自分の姉の遺稿集に寄せた序文を転載します。 背景的なことはこちらに書いてます。 https://note.com/petitelanterne/n/n803825

mikiko_k
3年前
2

昭和16年に16歳男子が書いた、6つ上の姉の追憶:前置き

実家に亡父(大正14年生まれ)の小学生時代の日記がまとめて残っている。当時の暮らしとかちょっと面白いところがあるので、いつかここに転載しよっかなーと思っているんで…

mikiko_k
3年前
1

(無題)

表現者の◎さんという方がいて、私は彼のファンで、尊敬していた。
◎さんの表現が大好きで、語ること書くことにも影響を受けていた。
直接お話しする機会も多く、とても親切にしていただいた。

ある時期から◎さんと頻繁に共演するようになった別の表現者の方々が、私にはどうにも「良さ」がわからなかった。
きっと◎さんにとって大切な出会いであり、一緒に仕事をすることに大きな価値を見出していたのだろう。
でも私に

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高浜虚子「西瓜一つ」
亡父がかつて教わったドイツ人先生夫妻。学生以外の証言初めて読んだ。ありがとうNDLデジタルコレクション(閲覧に利用者登録必要な状態です)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1708381/1/98

「祖母の弟」の追悼本

「祖母の弟」の追悼本

以前、父方の祖母の弟と思われる少年の湿板写真のことを書いた。
これを記した時には、「若くして病没した弟」のことしか知らなかった。

ところが、本文の文字検索ができるようになったNDLデジタルコレクションから、祖母にはもう一人の弟がいたこと、彼は戦死したことがわかった。
実家にあるのと同じ写真が掲載されたものもあり、間違いない。
口髭を生やし、星のマークがついた帽子をかぶったちょっとイケメン。それが

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補足というか

↓この記事に書いた伯母の遺稿集、国会図書館に蔵書があった。「帝国図書館蔵」印があった。おばあちゃん、出版時にきちんと納品したんだ…

1936年2月26日前後、旭川の小学生男子の日記

1936年2月26日前後、旭川の小学生男子の日記

亡父は小学時代の数年間を札幌近郊と旭川で過ごした。旭川に住んでいた9~11歳頃の日記(担任教師に提出していた痕跡あり)がまとめて残っているのだが、ちょうど例の事件に触れた日記があるので、季節柄ここにまとめておく。
旧字は新字にしましたが、かなは本人が書いたものに寄せています。
☆父が通っていたのは、当時は特定の職業(お察し)に就いた人の子だけが入学していた学校らしいので、例の事件への触れ方も一般的

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2枚の湿板写真

2枚の湿板写真

約9cm×6cmのガラス板(湿板写真?)。ここに写っている少年は父方の祖母の弟だと、祖母自身から聞いたぼんやりとした記憶がある。ただ、その記憶が正しいとすれば、撮影時期は祖母が生まれた明治30年より数年は後になるはずだ。すでに紙焼きが普及していたろうに敢えてガラス板にしたのが不思議ではある。

祖母の妹達(私達から見れば大叔母)は、1人は近所に住んでおり頻繁に行き来していたし、馴染みがあった。しか

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ナイトメア・アリー

ナイトメア・アリー

★これは1946年の小説と、翌年制作された映画化作品についての雑なメモですが、小説は来春公開が予定されている新作映画の原作でもあるし、観る前読む前に余計な情報入れたくない方はスルーしてください。

ウィリアム・リンゼイ・グレシャム「ナイトメア・アリー 悪夢小路」、面白かった!原作1946年、エドマンド・グールディングによる映画化「悪魔の往く町」1947年。素晴らしい映画の、しかしノワール枠に収める

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文語文で作文書かされてた小学生

文語文で作文書かされてた小学生

父の作文。学年や日付がないが、昭和10年(10歳)くらいに学校に提出していたらしい日記も文語文で書いているものがあるので、たぶんその頃。

原文。

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

暴風雨

時は八月夏休のさい中の時の事なり。外におそるべき物おとがして、ぴかりぴかりと雷光はしやうじにうつれり起きてべん所にゆかんとして、がらす戸のカーテンをひらきて見れば、木葉をまく、れつ風に雨は斜めとなりて、庭中にふりそそぎ、

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旧制姫路中学の通知簿晒す(昭和13-16年)

旧制姫路中学の通知簿晒す(昭和13-16年)

↓こちらの記事の補遺的な。

「通知簿」表紙。この一冊に4年間の記録が記載されるスタイル。

上段に校長や担任教師の名前、下段は本人の情報。次ページから「勅語」「詔書」が続きます。

成績表はこんな感じで4年分まとめて入っている。1〜2年は甲乙、3〜4年は百点満点で成績が記載されていた。「作業科」あたりだけ晒します。(全体に成績良いので却って晒しにくいんじゃ…)

健康診断記録のページ。

生徒心

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旧制姫路中学に園芸の授業があったらしい

旧制姫路中学に園芸の授業があったらしい

しばらく前に、父の蔵書の一部を古書店に出した。長いこと迷った分だけど、うちじゃ誰も読まないし誰か必要な人にわたってくれれば、でも煙草のヤニまみれなんでごめんね、という感じで。
その時、覗いたことなかった箱を開けたらこんなのが出てきた。

園芸教科書とな。
煤けまくってるけど、題字とか可愛さある。

カラー口絵もある。

最初は伯母のかと思ったのよ。そしたら裏に、父の名前と学年も。

旧制中学って園

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昭和16年に16歳男子が書いた、6つ上の姉の追憶

昭和16年に16歳男子が書いた、6つ上の姉の追憶

筆者の亡父が16歳の時、若くして亡くなった自分の姉の遺稿集に寄せた序文を転載します。
背景的なことはこちらに書いてます。

https://note.com/petitelanterne/n/n8038259fa499

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 死んだ姉のことを考へるのは餘りにも悲しいことだ。けれども僕を其の悲しみから救つてくれるのは矢張りそれを考へることより外無いやうな氣がする。僕と姉とは年が幾分

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昭和16年に16歳男子が書いた、6つ上の姉の追憶:前置き

昭和16年に16歳男子が書いた、6つ上の姉の追憶:前置き

実家に亡父(大正14年生まれ)の小学生時代の日記がまとめて残っている。当時の暮らしとかちょっと面白いところがあるので、いつかここに転載しよっかなーと思っているんですが、その前に、もう少し成長した父が書いたものを試しに載せてみようと思う。
ここは、その前置き部分です。

父方の親戚は遠方に住む人が多くあまり馴染みがないが、都内に住んでいた伯母(父の姉)は、時々実家に顔を出してくれた。私が小さい頃には

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