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自分の強みに気付けていますか?

ペルソナの下司(げし)です。

これまで自身のキャリアを振り返りながら、いくつかの記事を書いてきましたが、今回は私が初めて自己肯定感を持てた時の話をしたいと思います。(最近のペルソナnoteのトレンドに乗っかります)

駆け出しコンサルタント時代の話

前職の大手人材紹介会社にて、7年間バックオフィスのマネジメント業務を経験し、2度の産育休を経てコンサルタントに転向をした話は何度かnoteでも触れています。
2014年1月に、管理部門職種専任のチームが名古屋支店に立ち上がるタイミングで、私もジョインしました。上場をして、バックオフィス業務の大半は本社に集約され、拠点のバックオフィスはただのオペレーター業務になってきていたのでつまらないと感じてしまい、そんな時に、マネージャーから声をかけてもらいました。間接コストを下げたいのもあったと思います。
入社から8年が経ち、自社について知らないことは殆どなく、新卒1年目の社員だってセオリーどおりに動けばそれなりの売上を上げているので、私も周囲も「まあできるでしょ」と思い、異動をしました。

私のような異動は稀だったので、異動後は特に座学研修を受けることもなく、OJTのみでスタートをしました。幸いなことに、最初の担当求人は人事案件で、自分がこれまで経験してきた仕事に近いので求人内容も理解ができ、3ヶ月目に初めての成約を上げることが出来ました。
その後は、絞り込んで集中的に取り組むぞと上司からの指示があり、担当クライアントは複数のポジションがある地元の大手企業1社のみに絞られました。
企業のことも候補者のことも、よくわからないまま面談をこなし、求人票の文言を参考に求人紹介をして応募意思をもらい、候補者の方に聞いた話をそのまま伝えながら企業へ提案。本当に薄っぺらい仕事をしていました。それでも1件は決まったかな。
その企業を担当し始めて2ヶ月ほど経った頃、企業側の業績悪化に伴い、採用全面ストップとなってしまいました。つまり、私は担当求人が文字通りスッカラカンになり、目の前が真っ暗になるというのを経験しました。
一切の企業開拓もしておらず、それをどうやってやったらいいのかもよくわからないまま、なんと月間の企業への推薦数が4件という、ほぼ働いていないも同じという成果しか出せなかったのもこの時期です。

本当のスタートラインに立つ

そこからが本当のスタートでした。本社から異動してきた支店長が放置されている私に驚き、毎週私の上司と私と2on1を実施してPDCAがしっかり回せる状態をキープしてくれて、私自身も自分の特性を活かして、管理部門以外の職種を担当しているメンバーの営業に同行して社内外の信頼を勝ち得ながら求人を獲得していくというスタイルで少しずつアセットを増やしていきました。
一定の求人が獲得できれば、面談もしっかりセットできるし、何より自分で獲得してきた求人は与えられるものよりも理解も出来ているし、気持ちも入る。という訳で、少しずつ本質的なことを理解しながら仕事を回せるようになってきました。

でも、全然自信はありませんでした。
他のコンサルタントのように、爆発的に数字を作れる訳ではないし、企業の人事担当者の方と「仲良く」話せる訳でもない。
面談でキャリアに悩むシニア層の方たちに相談を受けると、目の前の案件に直結しない方でもしっかり話を聞いてしまうので効率が悪く、上司からはチクチクと言われる。
ただ、対法人でも対個人でも、失礼のない対応はできるので、少々難易度の高いクライアント(前任者のクレームで担当変更になった企業や、ファンドの投資先のように複数の意思決定者がいる企業)を担当させてもらう機会が増えていきました。

私に強みを教えてくれた尊敬する経営者の話

まさに先に例に挙げたファンドの投資先の案件を担当していた時のことです。

ファンドと元のオーナーの出資比率が4:6、でも社長はファンドが送り込んでいるといういわゆるねじれの関係の難しい企業でした。社長がいかなる手を打とうとしても様々な理由をつけてオーナーが妨害する。あからさまにファンドに対して「金は出せ、口は出すな」の態度で、社長はとても苦労をされていました。

少しでもコストをカットするために、借上社宅から寮に移動され、ご自身の社用車もランクダウンさせ、まさに率先垂範でハンズオンの組織改革、営業拡大に腐心されていました。やむなく人員整理に踏み切った際にはメンバーの方の推薦状を作成された上で私達にも転職活動の支援を依頼され、辞めざるを得なかった方々でこの社長を悪く言う人は一人もいませんでした。経営改革の一環で、管理部門の求人依頼をいただき、面接においても非常に丁寧で敬意を持って選考をしてくださり、素晴らしい人格者でいらっしゃると心から尊敬できる方でした。

諸々手を打って、少しずつ前に進もうとされていたにも関わらず、この社長はオーナーから解任されてしまいました。結局のところ耳に痛いことを言う人を受け入れられなかったということです。

その報告と、自らの解任に伴いオーダーいただいていた全案件がクローズになることのお詫びの為に、わざわざ私達のオフィスに足を運んで下さいました。支店長と、一緒に担当していたメンバーと3人でお話を伺いながら、これまでの苦労を拝見していただけに、私は悔しくてウルウルしてしまったのをなんとか隠しながら同席していました。

数日後、この社長から、「解任決議をされる臨時株主総会の日に一人でいるのはつらいので一緒に食事をしてもらえませんか?」とお声がけをいただきました。
この仕事をしていて珍しいことなのですが、これまでクライアントの方とお食事に行く機会が一切なかった私は、社長から見ればコムスメとも言える自分にこの大役が務まるのだろうかと思いながら、ご一緒させていただきました。

食事の間、会社のお話は一切されず、これまでのキャリアについてのお話や、ちょうど同じ時期に中国に留学していたという共通点があったのでそんな話をされたり、でも時々宙を見つめてつらそうな表情をされたり。ただ、最後まで恨みつらみは口にされませんでした。

終盤になって、私は「どうして今日は私に声を掛けてくださったのですか?」と聞いてみました。
社長は「私が御社にお伺いした時に、下司さんは私のために涙を浮かべて話を聞いてくれた。この人なら痛みをわかってもらえると思ったからですよ」とお話しくださいました。

私は初めて、自分の感受性の強さと、共感力の高さで人の役に立てるんだと、自分の介在価値を感じることが出来ました。
私が話を聴くことで救われる人がいる。
この社長が初めて私に自己肯定感を与えてくれました。
そして、覚悟を持って仕事に向き合う経営者の矜持みたいなものに触れる機会をいただきました。

それからの私

これを機に、私は自分の強みを武器に、徹底的に企業にも相談者にも寄り添うスタイルを確立させていきました。「寄り添う」は相手の言いなりになるのではなく、時には相手を思い提案もする。そうやって、表層的なニーズではなく、その根幹にあるものを一緒に言語化してよりよい採用、よりよい転職に繋げていくスタイルを追求するようになり、仕事に自信を持てるようになってきました。
そして、様々な責任を背負って会社を切り盛りする経営層の方たちの孤独と苦悩に少しでも力になれるような仕事を納めるように努力をしてきました。
その結果が今の私になっていると思います。

あの時、声を掛けてもらえたから得られたことが沢山あって本当に感謝しています。私が泣き虫でよかった(笑)

同じ業界で、人を想って仕事をしている人たちに、こういう経験をして欲しい。自己肯定感を持って仕事をして欲しい。
ペルソナならそれが叶います。

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