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世界に、そのままで存在していいって、知らなかった


橘川幸夫さんに対して、どう振る舞っていいかずっと分からなかった。「ジミー」を出版しようと膝を乗り出して言ってくれた私の恩人だけど。

50年もメディア業界にいて、裏も表も知っている人。

「俺はカリスマにならないように逃げてるんだ」と、表舞台に立つのを避けてるけど、岡崎京子さんや田口ランディさんがデビューするきっかけを作った人だし、彼から少しでも学びたいという人も多く、人間性を慕う人も大勢いる。

noteのフォロワーは5万2000人を超えてる。(というすごい人だということを、徐々に知るようになった)

一方、私は、10年マレーシアに住んでいて日本の雑誌やテレビも見てなかった。日本の小説だって一冊も読んでなかった。

メディア関係の知り合いもいなかったし、橘川さんのこともメディアで知ったわけではない。マレーシアの島からみれば、華やかな東京のことは全くの別世界だった。

なんにも知らない素人の私なんて、橘川さんには、取るに足らないもののはずだけど、いつも「エイミーさん」と丁寧に接してくれた。

忙しい中、ずっと「ジミー」の戦略ミーティングを週一で続けてくれた。クラファンでも、自らリターンも出してくれた。全て無償で、だ。

noteで、ご本人は、160人しかフォローしてないのだけど、そのうちの1人に、私を入れてくれてた。

橘川さんに近づきたいとか、少しでもアドバイスをもらいたい人は、たくさんいることに、私も気づくようになっていた。だから、より不思議な気がした。

私は、人に優しくされるのに慣れてない。どうしていいか分からなくなってしまう。人に好かれることもあまりないし、ずっと続いてる友達がいない。優しくしたくなるほどの人徳がないからだろう、と思う。

だから、ずっと、分からないでいた。いろんな人が周りにいるだろうに、なぜここまでしてくれるのだろう?

ありがたいはずなのに、落ち着かなかった。

私は、仕方なくて、かえって、何にも気にしてないように振る舞った。変な話に聞こえるだろうけど、他にどうしていいか分からなかった。

何か、返すものがあればいいけど、私には何もない。だいたい、デビュー前の素人が、すでに50年のキャリアと実績を持つ人に何をあげられるだろう?

甘えるのは苦手だし、上下の関係性を嫌う橘川さんに、持ち上げて接することもできない。困ったまま、ぎこちなく振る舞うものだから、私は、とても鈍い人か、恩知らずに見えるだろう。

それを思うと、よけい、いたたまれなかった。だから、さらに知らん顔して、なんにも感じてないように振る舞った。

去年の10月のこと。

表紙のイラストについて、オンラインで相談していた。腕組みをした橘川さんは言った。

「(マイではなく)ジミーのイラストがいいんじゃないか?」

そうですか、と私は相槌を打った。そう言えば、橘川さんはジミーに思い入れがあるんだったな、と思い出す。

「ジミーは、特別な存在だよな。なんだろうな、あれは。俺はこの間、読み直したんだけどさ、ジミーという存在には、何かあるんだよ」

私は、言葉を待った。しばらく考えて、彼は言った。
「ジミーは、菩薩、なんだよな。きっと」

私は、なんだかわからなくて首を傾げた。菩薩か…。そう言った人は初めてだ。

「でも、マイが語り手だし、、。そうですかね」
ぼんやりした言葉を返す私に、橘川さんは苦笑いした。

「エイミーさんは、分かってないんだな」
私は、曖昧に頷く。

「作家は、分かってることを書くわけじゃないんだな」そう言って、橘川さんは頭をかいた。

「優れた作家は、嗅覚で何かを見つける。時代の中で、何かを感じるんだろう。だけど、本人が分かってるとは限らない。見つける力があればいいんだものな」

私は、納得いかない顔をしていたのだと思う。ジミーが菩薩って、。橘川さんは、何を知ってるの?橘川さんは、そんな私を面白そうに見た。

「まあ、エイミーさんは、作家だからな」キョトンとする私に、もう一度、同じことを言った。

「エイミーさんは、作家だから。いいんだよ」

それで、その話は終わりになった。


「エイミーさんは、作家だから」と、よく橘川さんは言った。

出版もまだされてなかったのだから、作家というのも変な話だけど。なんでそう言うのだろう。私は、真意もつかめなくて、いつも曖昧に頷いた。

出版業界のことも何にも知らないから、「こうやったらどうですか?」と素人丸出しで橘川さんに言うこともあった。だけど、決してバカにされたり、嫌な顔はされなかった。

「部数、たくさん刷ってもらったら嬉しいですが」と言ったことがある。

後で気づいたのだけど「ふざけるな」という話だろうと思う。デビュー前の素人が、無償で応援してくれる人に「たくさん刷れば?」だって…。

怒られたって不思議ではないのだけど、橘川さんはそうはしなかった。

「たくさん刷ると、出版社が大きなリスクを抱えるんだよ」とやんわり断った。

オンラインでは一年近くのおつきあいだけど、先月の26日、東京でのイベントで、やっと橘川さんをリアルで見た。

私が、日本に着いたからだ。

とても暑い日だった。桜神宮の会場は室内だったけど、エアコンはまだあまり効いてなかった。

壇上に立ってマイクを持ち、Tシャツと短パンのラフな格好で、たくさんの聴衆に話しかける橘川さん。

ああ、ご本人だ、と思う。目の手術をしたばかりで、眼帯をしている。FBの投稿で入院してたことを知ってたから心配だった。お元気そうな姿にホッとする。

橘川さんの周りには、人がたくさんいる。彼の言葉を聞き逃さないようにしようとする人たちがいる。彼の動きに注目する人たちがいる。

私は、彼のことを知ってるたくさんの人の中の、ほんの一人なんだな、と息を吐く。橘川さんにとっても、私は、知ってる人の中のただの一人。すぐそこに見えるのに、オンラインの時とは違う意味で、遠くにいるように感じた。

壇上から降りて、橘川さんは、いろんな人に声をかけられて挨拶をする。お忙しそうだし、と気が引けた。こちらに気づいてないようだった。

話しかけるタイミングを掴めなくて、後にしよう、と私は額の汗をハンカチで拭いた。

会場の二階では、講演会が行われる。開始時間が近づくと、ぞろぞろと移動する人たちがでてきて、一階の人数が減ってきた。橘川さんも、講演会場に上がるようだ。

「あとで挨拶すれば、いいや」ホッとしたような気持ちとどこか寂しいのを感じながら、私は、自分のブースに戻った。

「今日は、このために来たのだから」とペンをカバンから出し、「ジミー」の横に並べる。背筋を伸ばす。

と、ダンガリーシャツを着た知らない男性がこちらに歩いてきた。「ジミー、読んだんですよ」そう言って彼は、カバンの中から本を引っ張り出した。「うわ、ありがとうございます」と立ち上がり、彼と話を始めようとしたときだ。

「エイミーさん」と左から聞き慣れた声がした。橘川さんだった。講演会会場に移動する直前で忙しいのと、そこにいた読者に遠慮したのもあったのだろう。橘川さんは、さっと手を出した。握手だけしよう、というのだ。

あ、嬉しい。

私は、いつものぎこちなさを忘れた。急に、心の距離が近づいた気がした。

右手を出す。橘川さんの手をぎゅうと握る。
深くて、優しくて、暖かくて、弾力がある、その手。

ああ、そうか。
突然の気付きが、雷に打たれたように訪れた。

あ、と口を開いた。

深くて、優しくて。暖かい。私に差し出されたものが。

橘川さんは、この手そのものなんだ。

ああ、そうか。私には、見えてなかった。

橘川さんのこと。「エイミーさんは作家だから」の意味。

人といるとき、私は、いつも緊張してる。好かれると思ってないし、どう付き合っていいのか分からない。

「書く私」はそうじゃない。リラックスして、自分だけの世界を楽しむ。自由に、思うままに筆をすべらせる。私の場なんだから。何にも気にしない。私らしくいることができる。

その二つは、今まで、別々のものだった。人前では、「書く私」はいなくなってしまう。怖いから、いつも防御してた。

いつも、世界に私の場所がない、と感じていた。本当の私でいられる場所は、どこにもないと思ってた。

「書く私」は、許されないように思ってた。


橘川さんの手は、「書く私」を呼び寄せて、そのままで「ここにいていい」と教えてくれていた。

そのままで、包んでくれるもの。

私は、このままでいいのだと。


私は、何にも分かってなかった。いつも、信じてくれたこと。いつも、いいよと言ってくれたこと。いつも、大事にされていたこと。

橘川さんは知ってたんだろう。私の「本当」を。だから「エイミーさんは、作家」って言ってたんだろう。


私は、ここにいていいんだ。「書く私」が、ここにいても、いいんだ。世界に存在しても、いいんだ。

「エイミーさんは、作家なんだから」

ずっとそう言ってくれてた。私の「本当」に、出てきていいよ、って言ってくれてた。


橘川さんの手は、暖かくて深くて。

私に、ここにいてもいいんだ、って。








(終わり)

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2022年6月26日、東京の桜神宮で、橘川さんと初めてリアルで会ったときの記念写真。

握手してもらって2時間後。橘川さんの「占いの部屋」の人が途切れた時、行って喋った。

私は、外向きの顔じゃないな。子どもみたいな表情だ。



何がおかしかったんだろう? 忘れちゃった。



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この時、私はこう言った。
「橘川さんは、私の人生を変えた人なんですよ」

橘川さんは、そうかな? という顔をした。

「人生は、自分でしか変えられない。もし変わったのなら、エイミーさんは、自分でもう、変えていたんだよ」


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私にとって、橘川さんは、見出してくれた人というだけではない。頭を下げたり、お金を払うことでは、彼に返せない。

私が作家として生きていくことが、橘川さんに返せることだ。


私が、頭を上げて生きていくことが。







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