ヤマモトガク/Peg

音楽を作っています。

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最近の記事

確定申告2024

 今年も確定申告が終わった。税理士には頼まず自分でしているのだが、もう3回目ともなれば段取りもスムーズだし、手間取ったり分からなくなって調べる時間もほとんど無くなり淡々とした作業が続く。  世間で言われているほどよりか自分は確定申告が好きだ。領収書を眺めて、ああこれは誰々と一緒に買いに行ったものだ、あの時こんな話をしたなあ、と一年の思い出を振り返ったり、淡々としているが間違えないようにと程よく緊張感のある入力作業、原因が分からないお金の流れを解明する気持ちよさなどなど。割と好

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    • 再見

       『怪談』リリースからしばらく燃え尽きていた。このnoteの連載や、単発の楽曲制作・その予定&構想などやること自体はいくつかあったが、自分の人生の使命心みたいなものがぽっかりと空いてしまった。  あれが完璧で大成功かと言われるとそんなことはないのだが、同じような情熱で同じような苦しみをもう一度味わえるかどうかが怖い。段取りぐらいは多少上手くなるだろうけども。  とにかくやりたいことがない。いや、ありはするのだが心血注げるほどの自信がない。なんせ10年ぐらい自分の柱にしていたも

      •  『獏』のアウトロとイントロに埼玉県日高市の巾着田で録った環境音をサンプリングした。別にspliceでもよかったし、実際他の曲はそうしたのだが、次の『再見』が彼岸花な曲だし、編曲段階での音のイメージが飯能の奥の方だと思ったし、好きな場所だし、エピソードにもなるだろうと思ってわざわざ録りに行った。  主に埼玉県西部で触れた感覚が『怪談』の根底にある。夜は静かで暗くて、雑草みたいな感覚で季節の花が咲いている。冬は寒く、夏は暑い。ギリギリ郊外でもうすぐそばには絵に描いた田舎。絵に

        • ポルターガイスト

           最近耳にしたことなのだが、思春期は実は24歳ぐらいまで続くらしい。思春期ならではなのか分からないがそれぐらいまでちょっと前の自分が大嫌いで、精神的な余裕の無さのベクトルがまた一つ違った。  アルバムを振り返るとその時の自分の精神状態や人生の具合が見えるものだが『THE GRATEFUL DEAD』をリリースしたのは23歳の頃、一番余裕が無くて終焉に怯え、追い討ちのように社会も暗かった。  駄作...とは言いたくないが、やりたいことはやり切れなかったし、そこから投げやりになっ

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        • 日記
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        • 「名前はまだ無い」
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        記事

          こっくりさん

           どうせこうなると思って退路を断ちたかったのだが、未だに自分が歌うことに悩んでいる。やりたいから、以上の答えが無くて、他人を納得させられる程の熱意も実力も由緒もないから、「なぜ歌い始めたんですか?」と聞かれたらごちゃごちゃと言い訳じみた回答しか出せない。  実際にやり始めてから見つけた楽しさは沢山あるけども、『極夜』時点ではポジティブに芯を食った答えはない。    お陰様で自分の心は認められるようになったのだが、やっぱり身体が伴う部分はさっぱり自信が持てない。  歌というもの

          夏を売る

           自分の心の変遷をnoteに記録したことで全て丸見えだったのだが、9月ぐらいの自分は本当に陽の当たるとこに行きたがっていたし、『怪談』というアルバムのリリースがそうじゃない自分との決別みたいになるんだと信じていた。実際、それは歌詞にも書いていた。  『怪談』を発表した後の10月、自分は心を折られていた。  歌を録りミックス・マスタリングをする過程、謂わば仕上がっていくことで『怪談』という自分の夢の程度や天井が見えたこと、それすら到達出来ない自分の未熟さ諸々から“陽”の世界の遠

          ここはどこの細道じゃ

           自分は、日々、日常を性善説で生きている。何か揉めたら「ああ、おそらくこうこうこうでたまたま機嫌が悪いとこにかち合わせたんだなあ」とか「おそらく自分のこの辺の言動が機嫌を損ねる何かだったんだろうな」と許すかはさておき、自分を納得させることが多い。  人間とは機嫌が悪くなくて損しない限りは親切な生き物だと思っている。他人への親切は自己の心を満たすことをみんなが本能的に理解していると信じている。  だからたまにそうじゃなかった時面食う。全く何の合理性も感じられない悪意に出会うと困

          ここはどこの細道じゃ

          綺麗じゃない

           自分の作品が好きで〜と言ってくださる方に心が開けずにいる。治すべき習性だなぁと思ってはいるが、ある時点までは自分が客なら自分なんて選ばないと思っていた。自分が文化的青春期に居たかった環境では派手なJ-POPなんて真剣に聴かない。だから真剣にそこに向き合ってる自分に時々違和感を感じる。  未だに、阿佐ヶ谷辺りで六畳一間からギター一本でお届けしてますみたいな生き方に死ぬほど憧れている。ベッドルームからパソコン一つでお届けしている現在もローファイさは近似値であると思うが、とにか

          おそろしや

           「尖ってる」なんて言い方をみんなで止めないか?「可愛げがない」って言い方にしたら、ちゃんと悪いことだから直そうと思えると思う。  教養を強要したり、後ろの方で腕組んでみるような作品はやっぱり好きだ。それは別に良いことだと思うのだが、自分含め「めんどくさい人たち」はそこで好きを声を大にしない。おそらく問い詰めると「野暮だ」「ダサい」辺りが返ってくると思うが、つまるところ知識の独占がしたいのだ。“知ってる”ということで他人より優位に立ちたいし、そうやって自我を保って生きてきた

          狆くしゃ

           前回は救われた“暗さ”の話をしたが、“明るさ”でしか救われない話をする。  社会人一年目、通勤中にいわゆるキラキラしたフューチャーベース系の歌ものをよく聴いていた。自分自身は暗くてダウナーな音楽ばっかり作っているし、どちらかというとそういうのが落ち着くのではあるけども、あの音圧に救われていた時期がある。家と会社の往復、コロナ禍で静かで暗い街並みに、日々不足する生活の情報量をサイドいっぱいに広がるsuper sawとかグロウルするワブルベースで補っていた。  もしくはアニソ

          草木も眠る

           『草木も眠る』の資料作成のために貴船神社に行った際、丑の刻参りが好きになった。あまりにも丑の刻参り=貴船神社になり過ぎて自分がやるとしたらあそこではないと思うけども、人里離れた暗くて深い(もっと言うと冬に行ったから寒い)山の中で誰にも見つからずに好き勝手いられるという行為は素敵だ。  人通りが無い校舎裏でボンヤリとバンプの『ベンチとコーヒー』とかandymoriの『誰にも見つけられない星になれたら』とか聴いてたあの時みたいな気持ちは、時々欲しくなる。...そういえばちゃんと

          色魔

           『怪談』リリース記念に収録曲をモチーフにしたコラムで連載を復活します。第一弾は『色魔』です。  身をやつすぐらい好きなものに没頭して、何かに救われてる人は羨ましいなと思う。割とよく出会うのは、もう昔からボカロを聴いててーという人。その人たちがアツく語ってくれるのを聴くたびに「自分にとってのそれは何だろう?」と思う。  オタク、という自分には無い感覚を持っている人、いや自分が持っていないは絶対嘘だ。自分が苦手な感情表現が出来る人たち。それに身をやつせる人たち。そういう人こそ

          随筆

           せっかくの最終回なのに、ここに来て書きたいことが無くなってしまった。いや、正確に言うと自分をさらけ出すことに怯えている気がする。今も心の中には考えていることがたくさん渦巻いている。その全てが核心を得ない。  最終回だし、今は優しい自分でいたい気持ちが強かったから良い話をしようとしていた。爽やかで、誰かに寄り添える、誰も傷付けないちょっと良い話。だけど思いつかない。そうやって悩みながら愚痴っぽい文章を書いては消しを繰り返している。...もうこれしか無いらしい。最後に今自分が抱

          出来るだけ綺麗な泥団子を作る

           思い返せば、小学生の頃のたった一、二週間ぐらい、綺麗な泥団子を作ることに執着していた。とは言え、年相応の知恵の足りなさから上手くいかず、早々に諦めて次は一輪車に熱中し始めたことで“泥団子ブーム”は去った。とは言え、コロコロコミックの巻末に付いていた製作キットの見本みたいな泥団子への憧れは忘れられずにいた。  ただ、それも思春期に入り、色んな大人の世界に興味を持ち始めたタイミングで優先順位がどんどんと下がっていき、こんな憧れも今の今まで忘れていた。  こうやって文章を書く義

          出来るだけ綺麗な泥団子を作る

          スネア

           Daughterの『Stereo Mind Game』というアルバムのスネアの音が好きだった。ただ本当にそれだけの取り留めもないことで、わざわざ名前を挙げるほどでもないのだが(同じDaughterなら子どものジャケットのやつのが聴くべきだと思います)、スネアの音が気になる。もはや、音楽の三大要素にもう一つ加えるならスネアの音、と答えるぐらいには、フェチを超えて、常識として捉えている。ロックが若者に飽きられているという言説も、ギターでもましてやローエンドでもなく、スネアがダサ

          提案

           バンドがしたい。これはなんやかんやずっと思っていたことだ。だけど、自分は趣味じゃなくて仕事でバンドをしたい。というか、そんなバンドの形に憧れている。  まず第一に、何度も名前を出してきたが、くるりの存在である。メンバーを取っ替え引っ換えしたりする様を『ブラック企業』だなんて揶揄されたりするが、自分はハッキリ言うとそんな活動形態に憧れてきた。その時のやりたい気分によって、メンバーが変わっていく様。もしくはメンバーによって曲の解釈が変わっていく様を観るのがとても好きだ。『ばらの