出来るだけ綺麗な泥団子を作る

 思い返せば、小学生の頃のたった一、二週間ぐらい、綺麗な泥団子を作ることに執着していた。とは言え、年相応の知恵の足りなさから上手くいかず、早々に諦めて次は一輪車に熱中し始めたことで“泥団子ブーム”は去った。とは言え、コロコロコミックの巻末に付いていた製作キットの見本みたいな泥団子への憧れは忘れられずにいた。
 ただ、それも思春期に入り、色んな大人の世界に興味を持ち始めたタイミングで優先順位がどんどんと下がっていき、こんな憧れも今の今まで忘れていた。

 こうやって文章を書く義務を課したことが自分の掘ってこなかった心を強制的に振り返らせている。
 高校二年の春、作詞作曲を始めたと同時に日記という形で毎日心の内面を記録するようになったその頃からは心が地続きな気はしている。しかし、それより前の心は忘れていたり、その頃から人生が上向いた気がするから、10代前半の記憶は黒歴史になった。
 “日記”以降の人生は音楽に支配されていた。だけど、その前は物語が書きたかった。もっと前はお笑いをしたかった。それより前は思い出せない。単に公文で満点を取りたいとか、スイミングでもっと上のクラスのワッペンを付けたかったとか、泥団子の件みたいなものがいくつかあったんだと思う。この一年で、そんなことばっかり思い出した。

 大きな夢に身をやつせるほどの情熱が無い。大きな夢を叶えるまでの集中力が持たない。だからいつも小さくて簡単な夢を探している。そうやって誰にも伝わらなくとも人生を楽しんでいる。
 高級線香花火を一度でいいからやってみたくて、先日浅草まで買いに行った。まだやってないけども。
 ホテルで作曲がしたい。出来れば一曲書き上げるまで帰ってこない“缶詰め”ってやつをやりたい。まとまった時間が取れずにまだ出来ていない。
 ヒガンバナの写真が撮りたい。もうそろそろ季節だから楽しみだ。
 そんな小さな夢が何個かある。ただ、自分がもっと大きくなればその“小さくて簡単”がもっと大きくなるんだと勝手に信じている。

 出来るだけ綺麗な泥団子が作りたくなった。そう思って調べたら、目の細かいふるい、ストッキング、瓶があれば出来るらしい。あの頃、あんなに苦労していたことが今にして思えば近所のホームセンターで揃いそうなもので出来ることにジーンとした。
 今のところに引越してから砂場のある公園が見つからない。あの頃、それだけは当たり前にあったのに上手くいかないものだなんて思った。

 ついでながら、この一年ぐらい続けてきた当連載も次回で最終回です。よろしくお願いします。

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