再見
『怪談』リリースからしばらく燃え尽きていた。このnoteの連載や、単発の楽曲制作・その予定&構想などやること自体はいくつかあったが、自分の人生の使命心みたいなものがぽっかりと空いてしまった。
あれが完璧で大成功かと言われるとそんなことはないのだが、同じような情熱で同じような苦しみをもう一度味わえるかどうかが怖い。段取りぐらいは多少上手くなるだろうけども。
とにかくやりたいことがない。いや、ありはするのだが心血注げるほどの自信がない。なんせ10年ぐらい自分の柱にしていたものの一つが消えたのだから。“これはやりたくない”というプライドとかが消え去ったと同時に、自分である意義も失った。
先日、音楽的にも一緒に育ったような地元の友人に勧められて『くるりのえいが』を観た。伊豆のスタジオに行き『感覚は道標』という新譜を作るドキュメンタリーだ。
バンドメンバー、しかも大学時代の軽音サークル内で結成した初期メンバーで伊豆に赴き、度々観光し、晩には集まって飲みつつ、ジャムセッションをしつつ曲及びアルバムを作っていく、一言で言うと「おっさんの青春」感な映画だった。バンドいいなあ、これぐらいの温度感の連み方いいなあがまっさらに真っ直ぐ観た感想だ。
それと同時に、同列で語るべきではないのだが、どうしても『怪談』を完成させたばかりの自分と比べて観てしまった。
自分はくるりの“内輪感”に高校時代憧れていた。例えば過去の洋楽のオマージュ。“リスペクト”なんて高尚な言い方は多分違っていて、だからといって“パクり”というには悪意もない、ただただ“スタジオで盛り上がってた”という雰囲気がすごく好きだった。バンド練習中に『smells like〜』を急に弾いたら、ドラムがドタッタドタッタとあのフレーズで合わせてきて爆笑する感じ。いや叩けんのかい!とツッコむ感じ。
もしくは音色ならば、再現性の無い不条理な変な音がよく入っている。初期はラジオノイズ、『ロシアのルーレット』のサビ(?)、『TEAM ROCK』の3ピースロックバンドがみょーという音のオートパンから始まりサンプリングっぽいピアノが鳴って曲(何ならアルバム)が始まる感じ。『MIND THE GAP』の金太郎飴のとこ。そこにめちゃくちゃ高尚な意味とかメッセージとか文脈とかなくて、なんだか不条理な音をただ面白がっているだけな感じが好きだ。
語れば死ぬほど出せるが、そんな感覚が商品としてパッケージングされて流通しているのが好きだ。それはただデタラメをやっているのではなく、とにかく音楽に貪欲だからこそ、こういうのもナシではないよねという提示が出来ていると思うのだ。
そして、そこにあんまり知性を感じないのも良い。賢げではあるが。そのうち本当に賢くなってちゃんと整合性のある不合理になっていくのだが、ロックコミューン出身者しか居ない頃の”音楽オタクがはしゃいでる感”にああ、あの頃2ホール(ロックコミューンの練習場)でもこんな感じだったのかなと思いを馳せる。
音楽オタクも色々種類はあると思うが、自分にはあの頃のくるりの音楽オタク具合が一番心地良い。あの伝説の機材がー、とかここは楽典的にうんたらかんたらな進行でー、みたいなのよりも、ビートルズのレコーディング話で聞いたことあるのやってみようぜが一番しっくりくる。映画中で『朝顔』のイントロでピアノを三人で連弾していたが、こういうアイデアも好きだ。ていうか打ち込みじゃなかったんや...。
機材も楽典も結局通ることにはなるのだが、高校生の自分にとっては知識欲の初期衝動で戦う姿が理性的なようで実はパッション全開で、複雑でカッコよく映った。
憧れて入ったロックコミューンを喧嘩別れで辞めて、バンドじゃなくて一人(とボーカロイド)という戦い方を選んで、それまで信じてたものがたくさん打ち砕かれた。どんどんと自分のオタクさを抑え込むようになった。これは音楽以外でも。
それでも自分なりの戦い方を探して、見つけて、環境も整え、埼玉の安アパートにこさえたリビング兼寝室兼作業場で、独り黙々と完成させた『怪談』に、映画を受けて悩んでしまった。どちらかを否定しないとどちらかを肯定出来ない気がしたのだ。
『怪談』は大事な我が子だし本気で良いものを作ったつもりだが、あの伊豆はとても太陽に映った。これからもこれを続けて果たして自分は幸せになれるんだろうか?
Pegを否定して、くるりが好きな自分を否定して、否定し続けて、逃げ続けてたら幸せになれるんだろうか?何にもなれない宙ぶらりんな自分に気づいた。
『再見』はアルバム内でハッキリと他人を肯定した唯一の曲だ。去年、祖父の訃報を受けて、「死後も幸せでありますように」という曲を改めて書こうと思い立った。
そのつもりで作っていたわけでもないが、アルバムの最後にポジティブな曲を入れられたのがこれからへの布石っぽくて良かった。
今は肯定で曲を作りたい。他人も過去の自分も。そういえば、『怪談』の他にもう一つタイトルはもう決めている自分の軸がある。今まで何度もチャレンジはしてきたのだが、こちらは『怪談』の方向性と違ってあんまり評価は芳しくなかったから、今まで諦めがちになっていた。この際、評価はあんまり気にしないにしても、それが上手く表現出来るようになるのはいつなのかは分からない。
心が折れてしまったり、状況が変わってしまって挫折することだって考えてしまうが、もしこの情熱が続くならば、また逢えればなと思う。
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