こっくりさん

 どうせこうなると思って退路を断ちたかったのだが、未だに自分が歌うことに悩んでいる。やりたいから、以上の答えが無くて、他人を納得させられる程の熱意も実力も由緒もないから、「なぜ歌い始めたんですか?」と聞かれたらごちゃごちゃと言い訳じみた回答しか出せない。
 実際にやり始めてから見つけた楽しさは沢山あるけども、『極夜』時点ではポジティブに芯を食った答えはない。
 
 お陰様で自分の心は認められるようになったのだが、やっぱり身体が伴う部分はさっぱり自信が持てない。
 歌というものはやればやるほど難しくなっていく。喉が開くってこういうことかと気付けば、次は寝起きのコンディションの悪さに気付く。調べるとむくみが原因と知って、食生活を気をつけたり、運動をしなきゃなーとなる。
 そうして自分のコンディションを整えて録った歌に適当な処理をしたものとプロの音源とを比べると、もう全てにおいて劣っていて嫌になる。マイク・アウトボード・部屋という環境及び金の部分、日々のトレーニング・ディレクションの段取り・音源の下処理・経験値という努力の部分、何よりも声質という才能の部分。歌上手くなったかも、となる度に目が開いて自分のチンケさに気付いていく。
 これはオケの部分も同じだが、聴いてる側はこっちがローファイに頑張ってるなんて関係ないのだ。メジャーとインディーの垣根が無くなったなんて良いことみたいに言われるが、逆に言うと同じ土俵で勝負させられるということだ。もう“未知の新人”でいられないのだから、もうそういう追い風も無いのだから、一人で戦うしかないのだから、自分は完璧で無ければならない。一流の作曲家かつ一流の歌手、一流のエンジニア、一流のディレクター、一流のプロデューサー、その他諸々。

 『怪談』の制作中、そういうプレッシャーから色んなリテイクとボツが積み重なった。歌・ミックス&マスタリングもそうだし、そもそもの作曲段階でもボツ曲という概念を初めて生んだ。自分が一番得意な減点評価を全開にして何度も何度も歌い直して、その倍以上の時間をかけてチビチビと音周りの処理をし、それでも他の曲に取り掛かってる途中に色々と気づいたからまた戻ってきて...を繰り返した。穴を掘っては埋めるような日々だった。
 とにかく自分を追い込んで作ろうとは決めていたが、やっぱり最後の方は早く解放されたい一心だった。これは前向きなクリエイティブなのだろうか?本当に楽しいんだろうか?延々と続く自己否定に、これが自己満足でもないある種の自傷行為ならば、せめて誰かに求められていることなんだろうか?モチベーションが他人に委ねられてる時点で“ヤマモトガク”をやるポジティブな理由なんて無いのでは?
 こんな具合に、いつも歌うことに臆病になる。本当に正しかったんだろうか?と悩み続けている。そのせいで提供曲としての『ひつじがいっぴき』にずっと後悔している。
 真っ直ぐ求められていたメッセージは「色んな困難もあるけれど信念を貫いて乗り越えよう。夢は叶う」だろうに、自分が言うそれは大嘘にも程がある。受けた時点で自分は信念も折れて、困難も乗り越えられず、夢も叶わなかったのだから。
 それでもこの気持ちを放つ意義を信じて書いたが、正直そんなめんどくさいことを考えずにまっすぐ書きたかった。本当に良かったのだろうか?曲も、自分の人生も。

 今でも自分の気持ちがハッキリ分からない。後悔が無いわけないし、でも元に戻りたくもない。沢山傷ついたし、これからも傷付くと思う。世界も嫌いだし、同じぐらい自分も嫌いだ。「なんで歌い始めたんですか?」「分かりません」で許されたい。
 だけど、『こっくりさん』のサビを今までで一番上手く歌えた夜に自転車を漕ぎながらコンビニへ行く道すがら、開き切った喉で出鱈目に口ずさんでいた時、世界のどこへでも行けそうな気分だった。
 だから自分は歌いたい、と思う。

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