スネア

 Daughterの『Stereo Mind Game』というアルバムのスネアの音が好きだった。ただ本当にそれだけの取り留めもないことで、わざわざ名前を挙げるほどでもないのだが(同じDaughterなら子どものジャケットのやつのが聴くべきだと思います)、スネアの音が気になる。もはや、音楽の三大要素にもう一つ加えるならスネアの音、と答えるぐらいには、フェチを超えて、常識として捉えている。ロックが若者に飽きられているという言説も、ギターでもましてやローエンドでもなく、スネアがダサい(と思われている)からだと思う。
 音楽の雰囲気はスネアが決める。心が落ち込むと落ち着いた先に挙げたスネアが入った曲を好むし、アガりたければ破裂音みたいな音が良い。リムショットっぽい音ならlofi hiphopやレゲエっぽくなるし、ゲートリバーブを掛けたら80年代になる。スネアが808なら他が生楽器でもエレクトロっぽくなるし、生ならシンセやSEが上でたくさん鳴っていてもバンドっぽくなる。質の高い音源はスネアに意識が向いているかだし、逆は他がどれだけ良くてもスネアが安っぽいなーと思ったりする(チープが良さになっている場合もあります)。これらはフェチではない。自分の中で常識と化している。

 さて、自分がスネアについてこんな向き合い方をしているのは、本能的に獲得したのもあるだろうが、PAの父親の影響が大きい気がする。父が酔ったタイミングで音周りの話をすると脈絡があろうがなかろうがスネアの話に流れていきがちだ。そして、その話のほとんどがプロのtipsよりか、大体の場合において身にならないような個人のこだわりだったりする。
 還暦も過ぎ、コロナ禍で半ば引退気味となり覇気を失った父親が楽しそうにスネアの話とか当時の思い出を話すのを見て、きっと歳の近い同業者なら仲が良かったのだと思う。もしくは遺伝か。少なくとも、父親は自分が嫌いなタイプではないんだなと安心した。

 もはや、ここまで歴を重ねるとそんな人はほとんど視界から消えていくのだが、やっぱり性にだらしない人間は無理だ。そうじゃなくても、セックスをすることが男の至上命題みたいな人間と出会うと宇宙人のように感じる。クリエイターとして生きているとほとんど出会わないけど、一歩外に出ると女(特に女体)と風俗の話なんて成人男性共通の話題として割とある方なのが、やっぱり居心地が悪い。LGBTがどうとか論じるつもりは一切ないが、性ってデリケートだよね、という話ならまあそうだと思う。そんな話をしなくたって、もっと他に肝心なことを話せるのになーとも思う。
 あとこっちは割といるし、自分もそう思われていないか常に不安ではあるが、とにかく自分を売りたい奴。とにかく数字のことを話そうとする人は、ハマりたいならもっと手段があるのになーと思う。あとは誰と仲が良いかとかを客にアピールしたり。
 そんなことよりも、もっと分かりやすく話せるシンボルがすぐ目の前にあるのになーと思う。作るほど音楽が好きなやつがこだわってないわけないし、たまにでもそういう話が出来ると自分はちゃんと未だに音楽好きなんだと安心する。日に日に増えていく音楽の「つまらない」を払い除ける肯定が欲しい。別に芯を食った話じゃなくても良くて、くだらない日常の話だって生を楽しめてるなーって安心するから、そういう話こそした方がいいと思っている。

 父親のスネアの話は人生の肯定なのだと思う。そして、人生を肯定する手段がスネアの音作りと友人とバカやったことなのが、音楽をやっている身、人生を生きる身として、とても良いなと思う。自分の親が性や名声で人生を肯定していなくてよかった。ついでに自分が音楽をやっていることが、誰かの人生の肯定を受け止められているというのが嬉しい。そう思って、自分はスネアと向き合っている。
 それと同時に、自分は人生を性や名声では肯定出来ないんだなと思った。人生の答えが今喉元までやってきたのだが、上手くまとまらなかったのでここらで諦める。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?