ポルターガイスト

 最近耳にしたことなのだが、思春期は実は24歳ぐらいまで続くらしい。思春期ならではなのか分からないがそれぐらいまでちょっと前の自分が大嫌いで、精神的な余裕の無さのベクトルがまた一つ違った。
 アルバムを振り返るとその時の自分の精神状態や人生の具合が見えるものだが『THE GRATEFUL DEAD』をリリースしたのは23歳の頃、一番余裕が無くて終焉に怯え、追い討ちのように社会も暗かった。
 駄作...とは言いたくないが、やりたいことはやり切れなかったし、そこから投げやりになって曲順もどうせ単曲でしか聴かれないと作った順で並べたし、やっぱり一回体勢立て直すために曲たちを成仏させてやるためのリリースだった。

 しかし、曲自体は今よりもラウドで元気だと思う。まずギターがうるさい。ドラムがものすごく三点。マキシマイザーをガンガン掛けていた。狙ってたというより、当時それしか出来なかったというのが正しい。
 あのリリースからちょうど一年後、ジャズマスターを買いしばらく気に入って使っていたが音が渋いのかなと思い、『綺麗じゃない』辺りからテレキャスに戻した。久しぶりに録った音を確認するとうーわ、めちゃくちゃ元気、うるさ、となった。ギターが聴こえるから適当にカッティングしていたらギターカッコいいって言いやすい音だと思う。
 ビート組みも色々な試行錯誤を経て、自分が信じる現代的で洗練された音像が出来たつもりだったが、先日インスタでフォロワーの好きな曲を集めたところ、意外とみんなバンドが好きでスネアも生系の音を好んでるんだな、と思った。
 ミックス周りもラウドネスノーマライゼーションなんて概念が流行り、色々と詳しい人に吹き込まれたのもあって自分も出来るだけ潰さず綺麗な音を目指したが、結局綺麗とカッコいいはイコールではないことにかなり後になって気づく。AirPodsで良い感じの音を目指したって、2〜3万するイヤホンなんて大人しか買えないのだ。ギターだって歪めば歪むほどカッコいいなんて概念があるのだから。
 あの頃、やりたいことの(技術的な意味で)出来ていなさで自信が無かったし否定して今があるが、思えば今よりも人に聴かれていた所以がそこに無いわけでもない。未熟だった方がいいだなんておかしな話だが、小慣れてるポップスに興味が失せる気持ちだって分かるのだ。

 思春期を終えたのか、もうそんな怒りみたいなエネルギーを曲にしようなんて気は失せてしまった。ムカついたら相手にしないか、我慢するか、ちゃんと抗議するかして、曲になんてしない。
 ただ、それは自分にとって良いことだと思っている。自分が一番好きな音楽は小慣れているけどちょっと捻くれた内省的なポップスなのだから。直接的な言葉ばっかり振り回していたらいつまで経ってもその境地に辿り着けない。
 いつまでも怒りで曲を書いていたら自分は幸せになれない。怒りを探す人になっていくし、それで衝突を繰り返すだろうし、何よりも安い怒りほどくだらないものはないから。
 『あとのまつり』が好きと言われると、そんな気なんてないだろうけど「お前は惨めなままでいてね。惨めで幼稚なお前が好きだよ」と言われている気分になる。誰かにとっては大切な思い出でも自分にとっては反省すべき過去だから。
 自分は幸せになりたいのです。よく幸せは創作の敵みたいに言われるがそんなわけない。惨めさに慣れて心が凪いでしまうことの方がよっぽど危惧するべきだ。
 とにかく自分は幸せそうなヤマモトガクの曲が今一番聴きたい。

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