『獏』のアウトロとイントロに埼玉県日高市の巾着田で録った環境音をサンプリングした。別にspliceでもよかったし、実際他の曲はそうしたのだが、次の『再見』が彼岸花な曲だし、編曲段階での音のイメージが飯能の奥の方だと思ったし、好きな場所だし、エピソードにもなるだろうと思ってわざわざ録りに行った。

 主に埼玉県西部で触れた感覚が『怪談』の根底にある。夜は静かで暗くて、雑草みたいな感覚で季節の花が咲いている。冬は寒く、夏は暑い。ギリギリ郊外でもうすぐそばには絵に描いた田舎。絵に描いたような夏。
 なんだかメディアで描かれる“エモい夏”っぽいのだ。それもそのはず、東京のクリエイターが資料集めにすぐ行ける田舎なのだから。とにかく関西で生きていた現実ではあんまり見たことないけど、画面の向こうではよく見る憧憬のような夏だった。
 “日本の夏”しかも晩夏は『怪談』の明確なテーマの一つである。発想自体は長瀞のお土産屋で篠笛を買って岩畳の上から川下りをする学生に向けてスナフキンみたいに吹いていたことから始まる。そういうのに似合う曲が書きたくなった。そこから今住んでいる埼玉の和っぽい文化・メディアっぽい自然、風、温度、匂い諸々。それらを音楽に結びつける手段の模索が始まった。

 歴史的に農業が盛んなのか秋祭りが盛んだ。これまた面白いのが、川越はちょっと上品なお囃子なのに対して、飯能となると野生味溢れて鳴り物も多い。ただどっちもビート感がラテンっぽくもあるのだ。音楽の世界で二項対立的に言わがちな白黒のビート感の外側を見た。ロックやブラックミュージックの外側にあるダンスミュージックを知った。
 誰もいない夜の孤独感、人の営みの無さ、それこそ“自意識”に目を向けることへの徹底が『怪談』である。高校生の頃から作りたかったが、そういえばあの頃、社会なんて出ずに山で仙人みたいに生きることに憧れていた。山も仙人も流石に嘘ではあるが、社会にあんまり参加せず積極的な交流もしなくなって孤独に慣れた自分のルポルタージュが『怪談』及びしばらくの自分の創作スタイルだった。そういう意味ではずっと構築したかった生活なのだ。
 埼玉、という土地が『怪談』ひいては近年の自分に多大なインスピレーションを与えたのだ。

 これからはどうしよう。埼玉に逃げてないでいい加減東京に向き合うか、もしくは土地とか関係なくもっと普遍的なことを追求するべきだろうか。とにかく土地に慣れてしまった。もう今住んでいる“場所”が効力を失った。
 でも、西武池袋線はまだまだしゃぶれる気がする。...実際に引用したのは新宿線の方だが。あの沿線の雰囲気が好きだ。次は理想なら練馬か椎名町辺りに住みたいなぁ。

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