おそろしや

 「尖ってる」なんて言い方をみんなで止めないか?「可愛げがない」って言い方にしたら、ちゃんと悪いことだから直そうと思えると思う。

 教養を強要したり、後ろの方で腕組んでみるような作品はやっぱり好きだ。それは別に良いことだと思うのだが、自分含め「めんどくさい人たち」はそこで好きを声を大にしない。おそらく問い詰めると「野暮だ」「ダサい」辺りが返ってくると思うが、つまるところ知識の独占がしたいのだ。“知ってる”ということで他人より優位に立ちたいし、そうやって自我を保って生きてきたのだ。だからシェアなんかしない。見せびらかす時は他人を突き放しているのだ。真の意味で“共有”じゃない。シェアとは相互理解だから。
 もしくは、自分のめんどくささが他人を攻撃したのと同じように、自分がされないわけがないと弁えている。つまり「それ間違ってる」「作者そこまで考えてないと思うよ」「感想が浅い」とか言われたくないのだ。傷付きたくもないからシェアをしないのだ。

 「尖ってる」の正体が他人を突き放した言動だと、恥ずかしながら最近になって理解した。「優しそう」と一緒なんだから、とっとと言い方でも変えた方がいい。こんな人種はSNSが発達した社会に本当に不向きだなあと思うし疎外感を感じると思う。他人を理解はしたくないけど、理解はされたいのだから。もしくは傷付きたくないけど承認欲求を満たしたいのだから。
 SNSがある社会からはもう逃げられないのだから、適応はするべきだ。いつまでも尖ってる=カッコいいなんて思考は捨てて、「可愛げがない」と言い換えて、直す努力の一つでもした方がいい。
 そこまでして守りたい自己なんてどこにもありはしないのだ。もしくは、自分は運良く才能にも恵まれたから、そんなに必死で他人を突き放さなくたって自己なんて余裕で確立されているのだ。何様だよって話だが、こういう形の自己肯定だって別に良いんじゃないかなぁと思う。思ってるだけなら他人に大して迷惑もかけないんだし。結果得るものが「可愛げ」程度なんだから。

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