色魔

 『怪談』リリース記念に収録曲をモチーフにしたコラムで連載を復活します。第一弾は『色魔』です。

 身をやつすぐらい好きなものに没頭して、何かに救われてる人は羨ましいなと思う。割とよく出会うのは、もう昔からボカロを聴いててーという人。その人たちがアツく語ってくれるのを聴くたびに「自分にとってのそれは何だろう?」と思う。
 オタク、という自分には無い感覚を持っている人、いや自分が持っていないは絶対嘘だ。自分が苦手な感情表現が出来る人たち。それに身をやつせる人たち。そういう人こそ救われるんだろうなあと思う。

 本当に自分は、好きで自分を語るのが苦手だ。嫌いの言語化はスラスラと出るし割と定評もあるが、好きとなった途端に自信が無くなる。言葉が詰まる。『何が嫌いかより何が好きかで自分を語れよ!』だなんて自分みたいな人間を世界から居心地悪くさせる言葉だ。
 好きなものが別に無いわけでもない。あるんだけど、上手く話せる自信がない(特に不特定多数の前では)。「別に自分より熱心に好きな人いるだろうしなー」とすぐ浮かぶ。
 ここまで書いて思ったが、別にいいじゃないか。自分が一番じゃなくたって。ただ、やっぱり怖い。自分から好きなものを話した時の、“別に興味はないけど聞かないのも失礼だから聞いてる”って感じの「へー」と、盛り上がらなさの数多の経験が、自分を受け身にしたような気がする。

 これ以上傷付きたくない。誰とも関わりたくない。自分みたいな大体の行動理由がネガティブな人間なんて、世界の端っこに追いやられていくのだ。これが好き!だからこれがやりたい!には全然勝てない。もう自分なんてそれを目の当たりにしたら劣等感に潰される。
 結局、自分にしか興味がない自分に気付いて、それはもうプライドを捨てろ以外の答えがなくなってしまった。ちゃんと周囲に興味を持って、好きなものは好きと大きな声で言い、周囲の善意にはちゃんと真っ直ぐ受け止めろ。感謝しろ。
 それは本当に頑張りたいと思うが、やっぱり一方的に誘惑してくれるものが急に空から降ってきて、孤独でも情熱の中に死ねたらなぁという都合の良い妄想をするのだ。今のままでは独り気怠く、少しずつすり減るような命の使い方しか出来ていないのだから。
 アイドル等々、最近は『頂き女子』だなんて話題になったが、結婚詐欺みたいな搾取をされる人ってこういう心なんだろうなと思う。だから自分は笑えないのだ。明日は我が身だから。


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