綺麗じゃない

 自分の作品が好きで〜と言ってくださる方に心が開けずにいる。治すべき習性だなぁと思ってはいるが、ある時点までは自分が客なら自分なんて選ばないと思っていた。自分が文化的青春期に居たかった環境では派手なJ-POPなんて真剣に聴かない。だから真剣にそこに向き合ってる自分に時々違和感を感じる。

 未だに、阿佐ヶ谷辺りで六畳一間からギター一本でお届けしてますみたいな生き方に死ぬほど憧れている。ベッドルームからパソコン一つでお届けしている現在もローファイさは近似値であると思うが、とにかく土地に根差したい。人性を肯定したい。銭湯がすごく好きなのだが、そういう気持ちがある。常連のおじいさんと話す度に思う。縦社会に組み込まれたい。たまり場が欲しい。
 SNSでいいじゃんとは思われるだろうが、自分は古い感性の人間なのだ。アナログな繋がりを信頼し過ぎている。顔を知っているかどうかが心の壁を越えるのに重大なファクターとなっている。顔を知らない相互フォロワーより、銭湯の常連の名前も知らないおじいさんの方が遥かに心を開いている。コミニケーションの嬉しさを実感する。逆にいつまでもネットを信頼していない。心のふるさとなんかじゃない面している。受け入れられずにいる。

 自分はバンドの喧嘩別れという急激で歪な形でこの世界にやってきたものだから、京都の六畳一間な貧乏臭い感じにものすごく未練がましいまま活動を続けてきた。当時の知り合いに未練があるかのように思われたら馬鹿にされると思って、未練がないかのような音楽をしていたらそれが真っ直ぐ評価された。だけど歪で嫌味な想いでやってるものだから自分を全然認められなくて、歪さを解消しようと思って切り捨ててまでヤマモトガクの活動を始めた。だけど圧倒的なPegへの需要を目の当たりにして諦めた。どっち付かずになった。自分の筋の通って無さに、未だに好意的にいてくれる人にまた別の意味で疑心暗鬼になってしまった。より一層他人の好意を受け入れられなくなった。
 本当に愚かだ。これ以上悪意に触れたくなくて意地汚く高潔であろうとして、その結果好意に傷付いているのだから。まずここから自分の人としての矛盾を解消させて頂きたい。
 
 いつまでも青い鳥ばっか追いかけて、自分を受け入れずに否定して否定して、否定しなくていいとこまで否定して、結局首が締まりすぎて立ち行かなくなって諦めて、それでも舌禍の責任を取ってるフリして「名義が違う意味が分からん」みたいに説得力も無い活動をして、結局筋も通せず言い訳みたいな曲を書いて、そのまま大した説明も謝罪もしないままなあなあにしている自分は何一つ美しくありません。
 改めて、過去の全ての発言、態度等大変愚かでした。これにあたって何をするとかは出来ませんが、この愚かさはハッキリ認めてその責任は負うよう努めて参ります。

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