ここはどこの細道じゃ

 自分は、日々、日常を性善説で生きている。何か揉めたら「ああ、おそらくこうこうこうでたまたま機嫌が悪いとこにかち合わせたんだなあ」とか「おそらく自分のこの辺の言動が機嫌を損ねる何かだったんだろうな」と許すかはさておき、自分を納得させることが多い。
 人間とは機嫌が悪くなくて損しない限りは親切な生き物だと思っている。他人への親切は自己の心を満たすことをみんなが本能的に理解していると信じている。
 だからたまにそうじゃなかった時面食う。全く何の合理性も感じられない悪意に出会うと困惑する。世界って優しくねえなあと少し思う。

 男女の友達を見てすぐ「付き合ってんの?」って言う人間がもう本当に苦手だ。大体、男の行動原理はセックスみたいな論を唱えるし、知ったような口でそれが人間の摂理みたいなことを言うし。賢い言葉が使いたいならせめてマズローの5段階欲求に基づいて自己実現ぐらいは言ってくれ。
 こんな人間が少なからずいるから、世界の半分ぐらいの人間に性善説が適用出来ない時がある。自分はフィーリアのつもりの親切が、下心だと捉えられないか?もしくは言い訳しているだけで本当はそうなんじゃないかと疑ってしまう。そりゃあ“関わらないが吉”になったっておかしくないと思う。射精ごとき独りでできるのだから。
 「下心ない」なんて言葉の嘘っぽさに腹が立つ。誰よりもロマンチストなのに。“運命”とか“真の愛”とか誰よりもクサいことを信じてたいのに。人に優しくいたいから。

 そういえば、ブルーハーツの『人にやさしく』の歌い出し一行ほど影響を受けた言葉は無いかもしれない。“優しさ”こそが自分の中で一番大事な感情かもしれない。
 自分にとって“優しさ”とはすぐに立ち止まってウジウジあれこれ考えたり、自意識過剰になって言動が進捗になったりとかそういう心である。これを世に“女々しい”という。
 ただ、“女々しい”という呼び名も罪なもので、女性的よりか本来はものすごく男性的な感情だと思う。
 上岡龍太郎が生前、メディアで「男は本来メソメソしてるから“男らしくせえ”と言われ、女はアッサリしてるから“女らしくせえ”と言われるんです」とこんな事を言っていた。詭弁にしたって別にいいのだが、芯を食ってるなあと思った。女は男の湿度にイライラし、男は女の乾性に引くのだ。男らしく、女らしくが、そういうの理解して気を遣えよって意味だと思えば割とすんなり飲み込めた。

 男女のそれを喩えにしたが、それ以外のことでもちょっとの想像力とほんの少しの気遣いだけで世界は優しくなるのになと思う。相手を同じ人間だと思ってちょっとだけ慮れば、全員楽なのに。だけど人間とはデフォルトでそうなるように出来ていないらしく、やっぱりめんどくさいものなのだ。自分だって脊髄でそれは出来ない。
 当人は脊髄なのかは分からないけど、「ありがとう」が素早く出せる人は本当にすごいなと思う。言うまでもないことでもそうやってポジティブを振り撒ける人は幸せそうで本当に羨ましい。
 その場の瞬間的なイライラよりも、ただただ自分の言うまでもないポジティブな気持ちを頑張って形にして世に向けて発信すれば良いのに。こんなことをバーミヤンのドリンクバーで粘りながら書いている。ジャスミン茶が美味しいなって思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?