「桜までもたないかもしれないな」 珍しく弱気な言葉を口にすると、智樹は少し咳き込んだ。 トイプードルのムクが心配するかのように首を傾げている。 「やあね、去年も同じことを言ってたわよ」 紗由美はうまく笑えたなと自分でも驚いた。歳月とはそんなものなのかもしれない。 桜の季節には賑わう公園である。 だが正月に訪れる人は、ほとんどいない。 葉をすっかり落とし切った桜は、刀を持たない弱腰の侍のように見える。 智樹が幹や枝に触れながら、ゆっくりと足を運んでいく。次の桜、ま
あの日メダカを見た場所はどこだったのだろうか…… 家からさほど遠くないところにハイキングコースがあったので、メダカのいる池ぐらいはあったのだろう。だが場所は覚えていない。 当時私は6歳で、まだ小学生になっていなかった。 気がつけば父が毎日家にいるようになり、家の中が不安定な暗い雲に覆われてしまった。 父と母の言い争う声だったのか、突風の吹く日や雷雨の日もあったように思う。 働かなきゃいけない人が働かなくなったんだ……と察した。 あの日は、父と二人で出かけた。 その途中に
台風が去ったあと、突然秋になった。 秋になった途端、エスくんのことを思い出した。 「エスくん」とは、匿名の「Sくん」ではなく、本当の名前そのものが、「エスくん」である。私が中学生の時に10ヶ月ほど住んでいた家のお隣に住む犬の名前だ。 当時、私は中学1年生。短期間に2度の転居を経て移り住んだ借家は、お隣と引っ付いている2階建ての建物だった。 失礼な話だが、エスくんの飼い主さまのことは、ほとんど覚えていない。 顔も名字も家族構成も思い出せないのだが、なんとなく中年のご夫婦
集合住宅のゴミ置き場。 一週間ほど前からロッキングチェアが置かれたままになっている。 粗大ゴミとして処分するには、スーパーなどでシールを買い、それを貼って指定された日時に出さなければならない。 このロッキングチェアにはシールは貼られていない。 年季の入った木製のロッキングチェア。 赤味がかった茶色なのだが、擦れてしまったのか、白っぽい部分が目立っている。その褪せた感じが、ロッキングチェアの曲線を柔らかに見せているような気がして、なかなかいい味を出していると思う。 残念なこ
東京の西荻窪から小さな荷物が届いた。 このお店のジャスミン茶の評判は、以前から聞いていた。 いつか飲んでみたいという気持ちはあったが、その時がなかなかこなかった。 家にお客様が来られることも今はないし、自分用に取り寄せるには、贅沢だと思っていた。それに他にも理由があった。 ところが最近、好きな作家の方が、この店のジャスミン茶のことをTwitterで触れられた。 それを目にした途端、タガが外れたかのように電話をかけて注文してしまった。 きっと同じような人も多かったのだろう。
やっぱり並んでしまった。 こんな秋晴れの気持ちの良い朝に、私の住む地域で使えるお得な買い物券が売り出された。 どのくらいの人が並ぶのかな。ちょっと様子だけ見に行ってみよう。 軽い感じで最終列にたどり着くと、周りの人と同じく、吸い寄せられるように並んでしまった。 これって並ぶ以外に手に入れることはできないのかな。抽選の方が良いのでは? だってお年寄りは並べないでしょう? そんなことを思いながら、先頭辺りに目をやると、ほとんどが高年齢の人だった。 ……あ、皆、お元気
余裕を持って家を出たはずだった。 それなのに電車で失敗した。 乗り換えなくてはならない駅を、そのまま通り越していた。 直通の電車もあったはずなのに。 それに乗るつもりだったのに。 間違いは誰にでもある。違う日なら構わない。 その日は大学受験の日だった。 ようやく大学の最寄りの駅に降りたったのは、集合時間の五分前だった。 マンモス校の広いキャンパス。 試験会場の教室にたどり着くには、十分以上かかるだろう。 受験の日に遅刻か…… 感傷的になっている場合ではない。 急ぐ
立ち寄った蕎麦屋さんで、ご迷惑をおかけしてしまった。 注文を終え、テーブルに広げていたメニューを元の位置に片付けようとして、箸の入れ物をひっくり返してしまったのだ。 すごい音が店内に響いた。 プラスチックの箸はかなりの量だった。常時あんなに入れておくものなのか、大きいコップのような入れ物に70本以上の箸があったと思う。その全てがテーブルと床に散乱した。 すぐにお店の人が二人駆けつけてくれた。 片付けを手伝いながら、申し訳ないとひたすら反省した。仕事を増やしてしまったか
中学生時代を振り返ると、全体にモヤがかかるような感覚になる。 いつもそうだなと舞衣は思った。 引きこもっていたわけではない。 だが、暗い部屋の中に一人、何故か古い椅子に座り、考え込む姿が浮かんでくる。 周りはよく見えない。 ぼんやりとした部屋の中で唯一、ランプなのかロウソクなのか、小さなオレンジの光がふわっと揺らいでいる。 その光に少なからず助けられてきた。 その光が誰から届けられたものなのか、それだけは、はっきりしている。 舞衣はもともとは、消極的な性格ではない。
大阪のミナミで、午前様。 あのころは毎週そうだった。 不良時代の2年間と言えるが、書くことには真面目だった。 その時に知り合った人は、個性的な人が多かったが、最もインパクトがあったのは、間違いなくCさんだった。 震度7の地震を体験した。 一瞬で人は亡くなるんだと知った。 大事な人がいなくなってしまったと、どれほど聞いたかわからない。 少し冷静さを取り戻した頃、ふと文章を書きたいと思った。 2年の期限で、水曜日の夜、書くための教室に通うことにした。成人してからの初めての習い
あまり大きい声で言わない方が良いのかもしれないが、幼い時から妖精の存在を疑ったことがない。 誰一人、味方がいないと思える時でさえ、しゃがみ込んで花に近寄れば、すぐそこに妖精がいると感じることができた。 それは、幼稚園の頃から今に至るまで変わらない。 どんな花にでも妖精はいるのだろう。 ただ、妖精が一番似合う花はラナンキュラスではないかと思っている。 3.11の地震があった日。 余震が続く中、一人愛犬を抱いて朝まで過ごした。 私の住む千葉県の地域は、ガスと水が止まってしま
「ゴムの木」という題で短い話を創作したことがある。 主人公は結婚を機に東京に移り住んだ30代の女性。 夫の両親の近くに住むことになるのだが、完璧にすべてをこなす義母とは、常に隔たりを感じていた。 不妊治療を開始したころから、主人公は徐々に疎外感や空虚感を抱き始める。 そんな折、義母が秘めている、抑圧された感情を知ることになる。 主人公が、義母の問題に関わっていくことで、義母に対する気持ちに変化が生じ、同時に自分の今の状況が、決して暗い闇の中にいるのではないと気がつく。
突然ですが、「えんぴつの木」をご存知でしょうか…… 見たこと、ありますか? 育てたこと、ありますか? 私の周りでイエスと答える人はいませんでした。 そんな貴重な木と私は出逢ってしまいました。 場所は、後にも先にも一度しか訪れていない東京、赤羽のスーパーです。 30センチには届かない小さな鉢。 「えんぴつの木」と書かれた札があり、298円か398円という値段でした。 名前が、印象的で可愛い。 パキラに似た葉っぱも涼しげです。 何より安価だったので、迷うことなくレジへ向
以前住んでいたご近所には、私が勝手に名付けていた家があった。 「黄色のモッコウバラのおうち」「ミモザのおうち」「トキワマンサクのおうち」といったような花や木の名前である。 「お」を付けて「おうち」なのは、敬う気持ちもあるのだが、単にしっくりくるからである。可愛ぶってるつもりはない。「うどん」を「おうどん」と言う関西人ゆえなのかもしれない。 「きょうは遠回りして、ルリマツリのおうちの前を歩こうか」散歩の際も、愛犬にそんなことを言っていた。 住んでいる人のことは、ほとんど
友人とこんな話題になった。 辛いことがあったとき、誰かに聞いてもらいたくなった。そんな時、どちらの人に聞いてもらいたい? 辛いことをたくさん経験してきた人? あるいは、苦労なんて無縁のような人? 一見、前者だろう。多くの苦しい体験から得た最良のアドバイスさえ、いただけるかもしれない。 違うよ、と友人は言う。 苦労人の中には、他人の苦労話を聞いたときに「私はもっとキツイ体験をしている」という思いが強く出てきて、それがこちらにも伝わってくると言う。 それに、アド
愛犬が旅立って、この夏で6年になる。 育て方が悪かったのだろう、留守番が大嫌いで、身支度をしている私に向かって、この世の終わりのように吠え続けるコだった。 今度は私の番だな。この世の終わりは。 愛犬を見送って、すぐに思った。 行かないでと泣き続けるのは、これからずっと私の番だ。 覚悟はしていたはずなのに、底が抜けたように空いた穴の大きさは、想像をはるかに超えた。 何かで埋めないと……何かで埋めないと。 心の中もアリッサムで埋められたらいいのに。 突拍子もないことをつ