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もったいない


友人とこんな話題になった。

辛いことがあったとき、誰かに聞いてもらいたくなった。そんな時、どちらの人に聞いてもらいたい?

辛いことをたくさん経験してきた人? 
あるいは、苦労なんて無縁のような人?  

一見、前者だろう。多くの苦しい体験から得た最良のアドバイスさえ、いただけるかもしれない。

違うよ、と友人は言う。

苦労人の中には、他人の苦労話を聞いたときに「私はもっとキツイ体験をしている」という思いが強く出てきて、それがこちらにも伝わってくると言う。

それに、アドバイスはいらないんだよね。と友人。
上から目線でアレコレ言われたら、余計に辛くなるらしい。

一方、順風満帆に育ってきたような人は、黙って真剣に聞いてくれる。大変だったんですねと偽りのない気持ちを向けてくれる。時に涙ぐんでくれることもあるという。

そういう人は、品も運も思いやりもあるようだと友人は笑った。


状況は異なるが、私にもこんなことがあった。
趣味を通して知り合った、かなり年下の女のコに、私が経験した辛かった話をしてみた。
暗くならないよう、笑い話に仕立てて話したところ、
「すごいなあ。〇〇さんって(私の名前)、波瀾万丈に生きてこられたんですね。それを笑って話せるなんて」と心底思ってくれたようで、勇者を見るかのような眼差しを向けてくれた。

いやいや、こんな話はざらにあるよ。波瀾万丈なんてとんでもない。私の経験なんて所詮スモールサイズだよ。

そう言いかけて、やめた。
心地良くなってしまったのだ。
……その日だけは波瀾万丈の勇者ということにしてもらった。

明らかに、話を提供した私より、聞き手の彼女の方が一枚上手だった。それは、経験の有無を超えるものであり、他人の立場や状況、気持ちを想像して思い遣る力のような気がする。


経験より、想像力……話はそれるが、シナリオ作家の先生もよく口にしていた。

経験なんてなくても書けるのよ!
大事なのは想像力! それがあればサスペンスもラブロマンスも書ける! 

経験などなくても、良い聞き手になれるし、逆に苦い経験を積んだだけでは優れた聞き手にはなれない。

やっぱり苦労は経験しない方がいいに決まっている、と結びたくもなるのだが、それもしっくりこない。
なんかもったいない。

辛い経験をしてきたならば、他人の悲しみだって容易に理解できるはずだ。思い出せば良いだけなのだ。 
自分の方がもっと苦労してきた、なんていう発想は寂しすぎる。
多様な人たちの気持ちを推し量れるくらいの余裕はもっていたい。

過去の辛いだけの経験が、時を経て、辛いだけではなかったと思えることがある。それは、その経験をいかに他者に還元できたかにあるのかもしれない。 
苦労しっぱなしでは、もったいない。


最後にひと言。

やっぱり辛いことはスモールサイズで充分! この量でお腹いっぱいです。
だけど、だれかに寄り添えるような想像力は、溢れるほど持っていたいのです。