Jasmine 神様からの贈りもの
東京の西荻窪から小さな荷物が届いた。
このお店のジャスミン茶の評判は、以前から聞いていた。
いつか飲んでみたいという気持ちはあったが、その時がなかなかこなかった。
家にお客様が来られることも今はないし、自分用に取り寄せるには、贅沢だと思っていた。それに他にも理由があった。
ところが最近、好きな作家の方が、この店のジャスミン茶のことをTwitterで触れられた。
それを目にした途端、タガが外れたかのように電話をかけて注文してしまった。
きっと同じような人も多かったのだろう。その日はなかなか電話が繋がらなかった。
購入したのは、わずか40グラム。
小さな箱に入れられ、翌日宅配便で届いた。
ジャスミン茶は、緑茶にジャスミンの花の香りを吸わせて作る。
添えられた紙にはその行程が詳しく記されていた。
春、芽吹いたお茶の先端部分を摘み、ベースになる緑茶を作る。
夏、ジャスミンの花が、香りを強く放つ時期に香り付けを行う。
香り付けは、蕾を手作業で摘むところから始まる。摘むのは夜明け前だ。膨らんだ蕾のみを使い、開いた花は使わない。
摘まれた蕾は、夜一斉に花が開く。
香りが最も放たれる時間に、春から保管していた緑茶と交互に合わせ、香りを均一に染み込ませる。
ジャスミンの花を上手に開花させるのも、温度が熱くなりすぎないように緑茶との層の厚さを調節するのも、職人の経験と勘の賜物だ。
温度が熱くなる理由は、花の呼吸によるものだという。
夜から始まる香り付けの作業は、朝方まで続く。
そしてジャスミンの花とお茶は、ふるいにかけて分けられる。
翌朝、新しく摘んできた蕾で、夜、再び香り付けを行う。
これを一週間前後繰り返していく。
ジャスミン茶の階級は、ベースになる緑茶のランクとジャスミンの花の香りを付ける回数によって決まるのだ。
感動してしまった。
ジャスミン茶の奥深さはもちろんのことだが、添えられていたこの紙には、ほかにも心が動くものがあった。
一言で表すと、丁寧なのだ。
文字も文章も、どこか味のあるイラストも、お店の方が手で描かれているのだが、とても丁寧だと感じた。
電話の応対さえ、そうだった。
お店の方の、ジャスミン茶への愛が伝わってくる。それは同時に買う人に対する愛でもあるのだと思った。
愛があるものを雑に扱ってはいない。
それが買う人にとって、なんとも心地よいのだ。
ジャスミン茶を美味しく淹れるポイントも実に丁寧に書かれていた。
愛って丁寧なんだな…
そんなことをしみじみと感じた。
今回購入したジャスミン茶は、7回も香り付けが行われた贅沢なものだ。
封を開けた途端、〝フゥ〟と声が出てしまった。(笑)
異国情緒のある甘い香りが広がる。
一口飲んだ時も思わず声が漏れてしまった。
やはり、〝フゥ〟だった。
ビールを一口飲んだ時の、強く息を吐くような感じではなく、遠い国の魔術にでもかかったかのような脱力した〝フゥ〟だ。
お店の人が記しているのには、一口飲むと感嘆の声が出るか、あるいは無言になってしまうらしい。
無言になってしまうってどんな感じなのだろう。私には想像がつかなくて、かえって興味が湧いてくる。
こんなことも書かれていた。
「ジャスミン茶の香り成分は、単に緑茶と花の成分が合わさったのではなく、製造過程で何らかの変化が起きて、別の物質が形成されていることがわかった」
兎にも角にもジャスミン茶は神秘的なのだ。
効用もすごい。
心拍数を下げる、緊張を緩める、自律神経を整える、抗酸化作用がある、ビタミンCやEが含まれている……まだまだ、盛り沢山だ。
最初の一杯、最後の一滴まで大事にいただいた。
しばし私もジャスミン茶の魔術にかかってみようと思う。
ガーデニングでもジャスミンは人気がある。
私はというと、さほど縁はなかった。
ご近所のハゴロモジャスミンの香りが、かなり濃厚だったこともあり、我が家には強すぎるだろうと選ばなかった。その代わり、ジャスミン茶に使われるマツリカの鉢植えを迎えてみたが、花つきが悪く、上手くは育てられなかった。
ちなみに、偽のジャスミンと言われている植物もある。
スタージャスミン、マダガスカルジャスミン、カロライナジャスミン、シルクジャスミンなどである。
ジャスミンはモクセイ科のソケイ属なのだが、これらのものは異なる。しかもシルクジャスミン以外には毒もある。
可哀想な気もするが、名ばかりのジャスミンと言えるだろう。
ジャスミンは精油も高い効能で知られている。
少量では鎮静、多量だと逆に気分を高揚させる。エジプトでは媚薬とされ、クレオパトラも愛用していたと言われている。
お茶でも感じたことだが、つくづく奥が深い植物だと思う。
残念なことに、ジャスミンの精油は膨大な花が必要になるので、とても高価になってしまう。
なので、私はラベンダーのようにはジャスミンの精油を常用していない。
私と植物のジャスミンは、この程度の付き合いで、とても精通しているとは言えない。
それでも私は、〝ジャスミン〟という言葉を、ジャスミン茶のお店の人に負けないくらい口にしてきた。
ジャスミン。
旅立ってしまった愛犬の名前だからだ。
「ディズニーの『アラジン』に登場する〝ジャスミン姫〟から名付けたの?」とよく聞かれたが、そうではない。
ジャスミンと出会う2年前、私は関西から関東に移り住むことになった。
その直前、両親にミニチュアダックスフントの男のコをプレゼントした。
遠距離になる私の代わりをその犬に託すような気持ちだった。
ところが、なんて可愛いんだと思う気持ちが募ってきて、今度は自分が迎えたくなってしまった。
私が育てる初めての犬になる。今までとは全く違う毎日になるだろう。自然と口元が緩んでくる。
なんとなく、実家のコと2年くらいは年が離れた方が良いような気がした。
それは待ち遠しい2年だった。
いよいよその時が来て、実家の犬と同じブリーダーさんに、
「今度女のコが生まれたら、そのコを迎えたい」と伝えた。
その日、愛犬との散歩の予行演習かのように近所の公園を歩いてみた。
さて、どんな名前にしようかな…
ぼんやり考えていた。
その時、誰かが、
「ジャスミン」
と言ったような気がした。
周りをキョロキョロしてみたが、誰1人いない。静かな初冬の公園だ。その日はお天気が良く、陽射しが暖かかった。
よくわからないまま、誰かが答えてくれた〝ジャスミン〟という言葉だけが残り、ストンと決めてしまった。
その夜、まだ生まれてもいないのに、
「〝ジャスミン〟という名前に決めました」
とブリーダーさんにメールを送った。
誕生したのはクリスマスイヴだ。
3頭生まれたが、女の子はこのコだけだった。
「あ、ジャスミンが生まれた!」
ブリーダーさんは、生まれて間もないコに声をかけてくれたらしい。
実は、誕生日にちなんで、〝イヴ〟って名前も捨てがたいなと迷った。
だが、最初に縁のあった名前を大事にすることにした。
初めての対面。その小さすぎる存在を抱き寄せた時、「やっぱりこのコはジャスミンだな」と妙にしっくりきたのを覚えている。
ジャスミンは、どこか猫っぽいところがあった。
私は11歳の時に、ダンボールに入れられていた猫を連れて帰ってきたことがある。
結局、飼うことのできる環境を用意できず、私の手元に留まることはなかった。
あの時、「私はもう猫を飼ってはいけないな」と心に決めてしまった。
その猫が、私の元に再び現れたような気がした。
身体を左右交互に傾けながら、足踏みをする仕草が似ていた。
ゾウのぬいぐるみを口にくわえたまま、眠ってしまう姿もそっくりだった。
ようやく会えたね。
生まれ変わってきてくれたんだね。
ありがとう。
人様には聞かせられない台詞だが、幾度となく、ジャスミンに伝えた。
夢物語だ、自分に都合の良いように思い込んだだけだと言われてしまうかもしれない。
それでも、私にはそう思えた。
そのあと随分経ってから、〝Jasmine ジャスミン〟は、〝Yasmin ヤースミーン〟というペルシャ語に由来すると知った。
〝ヤースミーン〟は、「神様からの贈りもの」という意味だという。
まさに「神様からの贈りもの」だった。
誰もが「可愛い」と言ってくれた幼犬のころ。その時よりも老犬となったジャスミンの方が可愛いと思えた。
昨日より、今日のジャスミンの方が愛おしいし、明日はさらに愛おしく想うのだろうと想像することができた。
そんな右肩上がりの愛情があるんだと知った。
天から降ってきたような名前は、この上ない、深い意味のある名前だったと思う。
結局、ジャスミンは、2歳上の実家のコよりも早く旅立ってしまった。
それからは、〝ジャスミン〟という文字を見たり、音を聞いたりするたびに、心の中のどこかが強く反応してしまい、ジャスミン茶を買うことさえ、どこか避けていたように思う。
今回、思いの外、こんなに多くの〝ジャスミン〟に接することになり、自分でも驚いている。
今まで、愛犬や愛猫を見送った人に対して、〝日にち薬〟という言葉を選んではこなかった。ひとくくりに雑に扱うみたいであまり好きではなかった。
だが、私の場合も例に漏れず、ある程度の時間を経て、何かしらの変化があったということなのだろう。
「神様からの贈りもの」だったジャスミン。
初めからわかっていたことだが、贈りものには期間が定められていた。
ジャスミンを神様にお返しして、6年が経つ。