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植物に癒されてきた(7)スプレーマムは語る



やっぱり並んでしまった。

こんな秋晴れの気持ちの良い朝に、私の住む地域で使えるお得な買い物券が売り出された。

どのくらいの人が並ぶのかな。ちょっと様子だけ見に行ってみよう。
軽い感じで最終列にたどり着くと、周りの人と同じく、吸い寄せられるように並んでしまった。

これって並ぶ以外に手に入れることはできないのかな。抽選の方が良いのでは?
だってお年寄りは並べないでしょう?

そんなことを思いながら、先頭辺りに目をやると、ほとんどが高年齢の人だった。  

……あ、皆、お元気そう


私のすぐ前の方も八十代前半くらいの女性だ。

こちらを見て目を細めてくださったので、本来なら、ここでも吸い寄せられる私なのだが、マスク必須のご時世なので会釈だけにとどめた。


「またお婆さんをナンパしてたね」

よくご近所の方に言われた。

初対面であろうと、何か話題を見つけては年配の女性に駆け寄っていくらしい。

そうかなあ……
そうかもしれないな。

きっと祖母が早くに亡くなってしまったこともあると思う。
そう言えば、こうやって並んでしまうのも、祖母の影響が大きいかもしれない。

買い物券を手にするまでは、しばらく時間がかかりそうだ。
秋の澄んだ空を遠くに見ながら、祖母のことを想うことにした。



母方の祖母は、私がまだ学生の時に他界した。六十四歳だった。

祖母との思い出は、そう多くはない。

口数が少なく、決して温かい印象ではなかった。
いわゆる、孫のことが可愛くて仕方がない、といった感じではない。きっと動物の方が可愛いと思っていた。少なくとも私にはそう見えた。
祖母には可愛がっているメスのマルチーズがいた。のちに出産した折に一匹を母が譲り受け、そのコが祖母の形見のような存在となった。


祖母は神戸で一人暮らしをしていた。
私は祖母の近くの病院で生まれたが、まもなく京都に近い大阪府内に転居した。
小学生の頃、祖母に会いに行くのは、三ヶ月に一回くらいだったと思う。

マルーン色の阪急電車。
それに乗る時は、祖母に会いに行く時だった。

祖母が借りていた部屋は狭かった。
窮屈だし、退屈だろうと誘ってくれたのか、ひと休みしたあとは毎回近くの商店街に出かけた。祖母と二人の時もあったと思う。

商店街は活気があった。
食べる物を扱う店が多く、威勢の良い声が飛んでいた。
祖母と話が弾むことはなかったが、右、左と交互に店を眺めているだけで、不思議と気分が上がってくる。
商店街はそういう場所だった。

途中、鶏肉屋さんがあり、店先で焼き鳥を売っていた。
食欲のそそる匂いと煙りが漂ってくる。
祖母は、決まって鶏レバーの串を買って、私に差し出してくれた。
店の前に置かれたベンチに座って食べる。

「レバーは、からだにいいからね」

祖母の言葉もいつも決まっていた。

レバーはあまり好きではない。
だが、その店のレバーは美味しく感じられた。臭みがない。
外で食べるのも、お祭りみたいで嬉しかった。
それでも本当は、ネギの刺さった色白の鶏肉が気になっていた。

あの串が食べたいな……

結局その言葉は一度も言えなかった。


さらに商店街を奥に進むと、日用品が売っている薬局があった。日替わりの特売と書かれた文字が目に入ってくる。

洗剤とか、ボックスティッシュ、トイレットペーパーが多かったが、いつもより安い値段で売られていた。
お一人様一個限りと書いてある。

祖母は当たり前のように、その商品を手に取ると、すぐにレジの列へと向かう。
小学生の私もここではお一人様扱いしてくれる。同じ洗剤やらを素早く取って、祖母の後ろにくっつくように並んだ。

当時の私は洗剤などに興味はない。
ただ帰り道、重たくなった荷物を分けながら、祖母と一緒にゆっくりと歩くのは好きだった。 


ちょうど今ごろの季節だ。
帰り道、昔ながらの金物屋さんの店先に菊の花が数鉢置かれていた。
紫や白、黄色の立派な菊の花が、まっすぐに仕立てられている。
しばし、足を止めて見ている私に、

「菊の花だけは昔から好きになれない」

と、祖母は先に行ってしまった。
 
その言葉が心に残り、祖母が亡くなったあとも菊の花を供えることは一度もなかった。


中学に入ると、祖母と会うのは半年に一回くらいになってしまっただろうか。
母と祖母は、べったり親子ではなかったので、そのせいだと思う。

強く覚えていることがある。

中学に入学してすぐに、私は頬や顎にできる吹き出物に悩んでいた。
近くに気遣ってくれる人はいなかったが、祖母だけは違った。
ある時、帰る間際の私に一冊の本を渡してくれたのだ。
ニキビや吹き出物を完治するために、控えるべき食べ物とか、洗顔の仕方などが記されている本だ。

本の渡し方さえ、祖母はぶっきらぼうだった。添えてくれる言葉も特別なかったと思う。
祖母は今まで随分と損をしてきたのではないだろうか……
そんな祖母が、本屋で探してくれたのだと想像しただけで、私は幸福な気持ちになった。


祖母は苦労の多い人で、それは晩年まで続いた。
私が高校生になるころ、祖母は遠方に転居してしまった。
私にとっては従兄弟、祖母にとっては孫である小学生の男のコと共に生活するためだった。そのコは、両方の親との縁が薄く、祖母が面倒を見ることになったのだ。


祖母には、もう少し長生きしてほしかったなあと今でもよく思う。

一度で良いから、私のお給料で美味しいものをご馳走したかった。
一度で良いから、面白い話をして、祖母を大笑いさせてみたかった。
祖母を想う時は決まって、寂しい気持ちになる。

〝お婆さんをナンパしている〟のだとすれば、足りなかった祖母との時間を、私がまだ欲しているからだと思う。



一年ほど前にこんなことがあった。

駅の近くの階段で、ショッピングカートを持ち上げながら、ゆっくり上っている高齢の女性がいた。

私は、こういう時の一歩はわりと早い。
階段を駆け上がり、ショッピングカートを下の方から支えて少し持ち上げた。

年齢は八十過ぎぐらいだろうか、お洒落な帽子が印象的な人だった。私を見ると、カートを自分の方に引き寄せる。

私は慌てて声をかけた。

「お手伝いしましょうか」

すると、かすれた低い声で、

「いや、これは運動だから」

とピシャリと言われた。

それだけなら、そそくさと退散するだけで済んだのだが、頭を下げて去ろうとする私に、「待って」と言う。

カートから頭を出していた花束を抜き取ると、私に差し出す。

「これ持っていって」

……え?

花はスプレーマムだった。
おそらく、仏壇にお供えするために買われたものではないだろうか。近くのスーパーでもよく見かけるような花束だ。

「いえいえ。せっかく買われたものを……私、何の役にも立ってませんし…」

お断りするために、何度か、いえいえと繰り返し言っていたのだろう。
その女性は強い口調で、

「いえいえばっかり。可愛くない」

と言うと、私にスプレーマムを押しつけ、歩き出してしまった。


え⁈
可愛くないのは、私だけではないと思うんですけど…

そうは思ったものの、私も大人だ。後ろ姿にお礼を言って、立ち去ることを選んだ。


家に戻って、マムを花瓶に入れた。
眺めていても、落ち着かない。

受け取らない方が良かったな……
そればかり思ってしまう。

マムとは洋菊のことだ。いただいたのは、枝分かれして咲くタイプのスプレーマムだ。

祖母が「好きになれない」と言っていた菊の花だ。

あの商店街で見たような立派な一輪咲きの菊の花ではなく、小ぶりの花なので可愛さはある。
ただ、お鍋に入れる菊菜のような葉っぱを見ると、やはり菊なんだなあと思う。花瓶に生けても、故人のために供える花のように感じでしまう。

そう言えば、この花をくれた人は祖母に感じが似ていた。
顔ではなく、声が似ていた。
それに祖母なら、私にあんなことを言いそうな気もする。

あれは祖母からのメッセージだったのだろうか……
何事においても受け取るのが下手な私に、それじゃあ可愛くないと伝えたかったのだろうか……

こうなれば、どうしても祖母と結びつけたくなってきた。きょうは何日だろうと考えてみる。

……祖母の命日ではない。
……誕生日でもない。

あ!

その日は、祖母から譲り受けた犬の命日だった。
十八歳まで生きてくれたマルチーズだ。
家族が皆忙しい時期で留守番が多く、寂しい思いをさせてしまった。
私が関東に移ったため、最後の四年は一緒に暮らせず、看取ることもできなかった。長く両親を癒してくれたことに心から感謝している。


スプレーマムは、急遽、祖母と、そのコに供える花となった。

ようやく、花をゆっくりと眺める。
私も祖母に伝えたいことがあった。

祖母が面倒を見ていた孫は、祖母が亡くなった当時十五才だった。
卵ばかり食べている、おとなしい男のコだったが、今は自分で事業を始めて、幸せな家庭を築いている。

おそらく祖母が一番心配していたことだと思う。
大丈夫だよと祖母に伝えたかった。

ゆっくり眺めていると、だんだんスプレーマムが愛おしく見えてきた。
菊の花を初めて祖母に供えたことになる。

「菊も案外可愛い花やね」

祖母がそんなことを言ってくれたような気がした。
人一倍愛情深い人だったと今ならわかる。

その日以来、祖母のことを想う日が増えた。



結局、四十分くらい並んだだろうか……
無事に買い物券を手に入れることができた。

私の前に並んでいた方とは、別れ際、「お疲れ様でした」と頭を下げあった。

その直後だった。
通りかかった小学校低学年くらいの男の子と、年配の女性との会話が耳に入ってきた。

「お婆ちゃん、僕も並びたかった」
男の子は不服そうだった。
お婆さんらしき方が、優しい口調で言う。

「いいのよ。並ばなくて。私たちが並ばなかったら、その分、他の誰かが買えるでしょう? それでいいの」

男の子は納得したかのように、スキップして遠ざかっていった。

「……」

しばし私は立ちつくしていた。
さっきまでの楽しい気分は、一瞬でどこかに行ってしまった。


やはりこの人に向かって、何か言わずにはいられない。

……お婆ちゃん!  今の言葉聞いた?  私もあんな言葉、言ってほしかったよ。

幼い時にあんな言葉をかけてもらっていたら、こんな風には育ってはいないだろう。あんな品のある言葉が私の口から出てくることは、この先もありそうにない。

いや、言い切ってはいけない。そこは今後の自分に期待してみようと思う。


見上げると、澄んだ空が広がっている。
秋の空が高くて青いというのは本当なんだと感じた。
その青さに思わずため息が出る。


亡くなった人に文句を言うなんて、私もまだまだだな……

買い物券だけでなく、何か別のものも受け取ったようなそんな日になった。



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