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植物に癒されてきた(3) エリカの家


以前住んでいたご近所には、私が勝手に名付けていた家があった。

「黄色のモッコウバラのおうち」「ミモザのおうち」「トキワマンサクのおうち」といったような花や木の名前である。

「お」を付けて「おうち」なのは、敬う気持ちもあるのだが、単にしっくりくるからである。可愛ぶってるつもりはない。「うどん」を「おうどん」と言う関西人ゆえなのかもしれない。

「きょうは遠回りして、ルリマツリのおうちの前を歩こうか」散歩の際も、愛犬にそんなことを言っていた。

住んでいる人のことは、ほとんど知らない。表札もあまり見ないから、名前も覚えていない。
ただ、その家に存在する木や花はしっかりと記憶されている。

「バラのおうち」は5軒あった。
バラ好きの人は複数の品種を育てていることが多く、結局シンプルに「バラのおうち」に収めてしまった。
バラの存在は圧倒的だ。他にどんな花が咲いていようと主役の座をあっさりと奪ってしまう。表向きは犬の散歩を装いながら、見惚れてばかりいた。

当時は我が家にも小さな庭があった。
そろそろ高さのあるコを迎えたいな。そんな想いが強くなっていた。もちろん花の咲くコがいい。

気が強いのか、弱いのか、誰かのおうちのマネはしたくない。躊躇なく、バラは選択肢から外された。
そんな時出会ってしまったのがエリカである。

エリカの名前は知っていたが、実際に見る機会はほとんどなかった。
クリスマス前に立ち寄った大型スーパーで、初めてじっくりと対面した。
高さ40センチほどで、コニファーに似ている。たくさんの白っぽい蕾は、やがて紫がかかったピンクの花になるらしい。

この時から私のエリカ病は始まった。

エリカは英名がヒースで750ほどの種類がある。初めましてのエリカはジャノメエリカ。名前の由来は、花の中心の黒い部分が蛇の目に似ているからだ。
蛇の目と書くと印象が悪いが、カタカナのジャノメなら不思議と気にならない。

何より一番の魅力は、冬に咲く花だということだった。私は寒い時期に咲く花に惹かれる。その上、エリカは花の期間が長い。11月から春先までしっかり咲いてくれる。花の色もまさに私の好みだった。

最初に購入したのは、鉢植一つ。だがすぐに、ネットで探して、およそ1メートルの鉢植えを2つ購入した。
小さい鉢は、いつもすぐに見られるように近くに。ネットで買った2つは、玄関ドアの両サイド、シンメトリーになるように。
夏はコニファーのような緑のツリー。花の時期はピンクのツリー。イメージは膨らんでいく。
かなり素敵なエリカ構想を思い描いてしまった。

だが、思いのほかエリカは手がかかった。

鉢植えだったせいも大きいと思う。
地震の影響を受けたために外構工事が延びてしまい、地植えすることができなかったのだ。

エリカの根は細く、鉢いっぱいに広がるので、根詰まりしやすい。成長も早い。すぐにひと回り大きな鉢に植え替えなくてはならない。
根の状態を確認しながら、土を少しずつ入れ替える。枝も丁寧にカットする。これは手術だなと思った。鉢が大きくなるにつれ、手術も大ががりになっていった。

コガネムシの幼虫にも悩まされた。
私のガーデニング生活の中で最も過酷な光景だったかもしれない。
知らぬ間に鉢の中に産卵されてしまい、根をずいぶんと食べられてしまった。
散々な目に遭った。エリカだけではない。私も。コガネムシの幼虫も。

猛暑、台風、大雪……どれだけエリカを案じたかわからない。
今思い返してみても、私のエリカ病はかなり重症だったと思う。

兎にも角にも、エリカは大きく育った。
私の背丈ほどの高さになった。
寒さを感じる季節に小さな花が咲き始め、やがて木全体が見事な花となる。
バラに負けていない。そう思った。

「わあ、綺麗ねえ。この花、なんていう名前?」
通りがかった人が声をかけてくださることも少なくなかった。

ある日、地域の集まりがあり、出席した。
ご近所の方が私を見つけて、知り合いの方を紹介してくださった。

「こちら、ほらエリカの家の人よ」
「あーあのエリカの家ね」

何気ない会話。頭の中で復唱してみる。

エリカの家……

口元が自然と緩む。知り合いの方というのは以前、エリカの前で声をかけてくださった人だった。

エリカの家……

「エリカのおうち」ではなく、「エリカのいえ」だったが、そんなことは構わない。
頭で唱えたその言葉は、ゆっくり胸の奥まで染み込んできた。

エリカの家……

知らぬ間に、たどり着きたいところに到着したような、そんな感覚があった。


今、エリカは私のそばにはいない。

遠方に転居することになり、エリカは、友人と義姉にもらっていただいた。
移転先は庭もなく、連れて行くことができなかった。

大きな鉢のエリカは、どうにか車の中に収まった。 
義姉、友人の車を見送りながら、地植えできずに良かったんだなとしみじみ思った。
強くお願いした記憶もないので、義姉にしても友人にしても、快く引き取ってくれたのだろう。今も感謝している。
そして、エリカには最後まで育てられなかったことを謝らなくてはならない。


あれから4年になろうとしている。
最近、エリカが元気がなく、上の方が枯れてきたと義姉から聞いた。

あー大手術が必要なのかな……
あー地植えの方が良いのかな……

いずれの作業も大変だろう。そう思うと口に出せずにいる。
ただ聞いてしまってから、日増しに気になってきた。

エリカは相変わらず手がかかるようだ。

私のエリカ病もまだ完治はしていなかった。


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※「エリカさま」と呼ぶようになった頃の〝ジャノメエリカ〟。
このあとまだ大きくなります。

※ヘッダー写真は、〝エリカシャミソシス〟。この種ものちに育てるようになりました。〝ジャノメエリカ〟に似ていますが、枝ぶりも花も柔らかな印象です。