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植物に癒されてきた(5)勝手ながら、ゴムの木はノークレーム ノーリターンで。




「ゴムの木」という題で短い話を創作したことがある。

主人公は結婚を機に東京に移り住んだ30代の女性。
夫の両親の近くに住むことになるのだが、完璧にすべてをこなす義母とは、常に隔たりを感じていた。

不妊治療を開始したころから、主人公は徐々に疎外感や空虚感を抱き始める。
そんな折、義母が秘めている、抑圧された感情を知ることになる。

主人公が、義母の問題に関わっていくことで、義母に対する気持ちに変化が生じ、同時に自分の今の状況が、決して暗い闇の中にいるのではないと気がつく。
むしろ光さえ感じられるようになっていく。

ゴムの木は、リビングの主ともいえる存在で、当初は見栄え良く、まっすぐに育っていた。
のちに、枝が伸び放題になり、樹形が乱れ、不安定に傾き始めてしまう。
小説の中で、主人公の内面を暗示する道具のように使った。

暗い話ではないと今も思ってはいるが、書き終わった瞬間、「次はお笑いを書いてみたい」と周囲に言ったように記憶している。


ゴムの木とは、実際も長く付き合った。
背は大きくなるし、確かに樹形も乱れやすい。
やじろべえのように左右に枝が伸びてしまうことも多く、そうなると頻繁に若い葉を剪定しなければならなくなる。

切ったあとの若い葉を捨てるのは可哀想…

なんて思ったら最後、ゴムの木を次々と増やすブリーダーになってしまう。

何しろ、この木は簡単に挿し木ができるのだ。
たやすく赤ちゃんのゴムの木が並べられることになり、

可愛いゴムの木、いりませんか?

と友人や近所の方に声をかけ、里親になってくださる方を探さなくてはならない。


というような経緯で、私の育てたゴムの木は、10人ほどの方に養育をお願いすることになった。
その中には、散歩の際に噂を聞いたと直接訪ねて来られる方もいた。

皆、快くもらってくださった。
しかし、2年ほど経つと、

大きくなりすぎた
とか、
下の方の葉が落ちてしまって、形が悪くなった
という声がこちらに届いてきて、その度に申し訳ない気持ちになった。

一度、ご近所の里親さんに頼まれて、やじろべえになったゴムの木を剪定した。
剪定したあと、どこかしっくりこなくて、
再度ハサミを入れた。

これが失敗だった。 
バランスが悪すぎる。

里親さんは笑ってくれたが、結局、私の気が済まなくて、

……交換しましょう

と、当時我が家で育てていた幼児?くらいの可愛いゴムの木をお届けした。

代わりに引き取ったゴムの木は、2年ぶりに我が家のリビングに帰ってきたが、その姿はなんとも哀れだった。

もし、差し上げたゴムの木が、全部返却されることになったら……
ここに並べられることになったら……

笑えない光景を想像してしまい、
「ノークレーム、ノーリターンで」という言葉はこういう時のために使っておくのかと実感した。


今、振り返っても、ゴムの木をバランス良く育てるのは難しいと思う。

しかし、最近のゴムの木は、葉の小さい種類が人気で、それほど樹形も悪くならないのかもしれない。
加えて、斑入りの葉の品種も見かけるようになり、私が育てたゴムの木とはだいぶ印象が違う。

もともとはゴムの木が好きな私である。
葉の小さい、斑入りの葉に惹かれないわけがない。売られている場所では、つい足をとめてしまう。
そんな時、やじろべえになったゴムの木の姿が浮かんできて、しっかりブレーキを踏んでくれる。

実を言うと、差し上げたゴムの木が返品されないか、今も心のどこかで案じているのだ。



この写真は、私がよく知るゴムの木。

ヘッダー写真の方は、フィカス アルテシーマ。
葉の色も明るく、斑入りです。筆で色を塗ったような印象です。惹かれます。(笑)