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雨の匂い



集合住宅のゴミ置き場。
一週間ほど前からロッキングチェアが置かれたままになっている。

粗大ゴミとして処分するには、スーパーなどでシールを買い、それを貼って指定された日時に出さなければならない。
このロッキングチェアにはシールは貼られていない。

年季の入った木製のロッキングチェア。
赤味がかった茶色なのだが、擦れてしまったのか、白っぽい部分が目立っている。その褪せた感じが、ロッキングチェアの曲線を柔らかに見せているような気がして、なかなかいい味を出していると思う。
残念なことに、肘掛けが片方、折れてしまっている。置き去りにされているせいもあるのだろう、悲しげな雰囲気が漂ってくる。
迷惑な違法投棄と見なされ、何かしらの手順を踏んでから処分されるのだろう。


特に珍しくもない光景だ。
そう言い聞かせながら、足早に駅へと向かう。
でも今日は、あのロッキングチェアの姿が頭から離れてくれなかった。


自分の中にも、あるよね。

捨てたつもりでいたもの。
長い間放置されたままになっていて、まだ存在し続けるもの。

それは心の中、潜在意識の中にだ。

乗り越えたと思い込んでいる過去の記憶、その悲しみや喪失感、許し難い想い、言わばネガティブな感情だ。

そんなものは、さっさと捨ててしまった方が良いに決まっている。
ポジティブな思考が何より大事だと、本にも書いてあるし、誰だってわかっている。

だが、実際は一筋縄ではいかない。

いくらポジティブを表面に敷き詰めてみても、奥に残るネガティブはなかなか消し去ることができない。
ネガティブな感情のかけらは、しつこく存在し続ける。
そして、何かの折に、置き去りにされた粗大ゴミのように、その存在を認めることになる。

まだそんなところにあったのか……
きちんと捨てきるために、再び向き合わなくてはならない。

捨てることができないのは、確かに自分のせいなのだろう。
そのネガティブな部分を含めて自分というものが成り立ってきたのだ。
ともすると、その部分に寄りかかって生きてしまっているのかもしれない。
こうなると、一層捨てるのが難しい。

年季の入ったネガティブな記憶。
回収してもらえるシールはどうすれば手に入るのだろうか…

せめて小さく裁断すれば、日常のゴミとして捨てられるのだろうか…

どんどん気が重くなるような話ではあるが、不思議なことに気持ちは落ちてはいない。
自分の中にある、捨てきれてないもの…その存在をただ認めるだけでも少し楽になるのかもしれない。

用事を済ませている間に大粒の雨が降り出していた。
帰路を急ぎながら、小道を進んでいると懐かしい匂いがする。
土から香ってくる雨の匂いだ。

結構好きだな、この匂い…

「雨が好き」と言う人は、おそらくこの匂いも好きなはずだ。

小学生の頃によく遊んだ、団地の中の小さな山が浮かんでくる。
当時は日々、ささやかな冒険の連続だった。
小さな山に入り、土を踏みしめた。
虫と遭遇し、時に走って転び、雨に濡れた。
毎日、初めてのことがあり、ワクワクすることがあった。
明日の心配など、していなかったと思う。

今はどうだろうか……

根拠がなくても、先々のことを憂い、心配し、不安になる私がいる。
自分ながら、あきれてしまうほどだ。
けれど、あれこれと想像する力は長けているとも言える。
とすれば、何かのきっかけで、逆に振れることだってあり得るのだ。
何の根拠もなくても、ワクワクした明日を思い描けるようになれるかもしれない。


ゴミ置き場の前に着いた。
ロッキングチェアの姿はもうなかった。処分されるために運ばれていったのだろう。

しばし足を止め、少し広くなったスペースに目を向けていると、雨の音が一層強くなってきた。

「あのロッキングチェア、雨に濡れてしまったかな……」
ふと訳のわからないことを思った。



久しぶりの古民家カフェにて。

雨の匂いには、「ペトリコール」という名前があることを知りました。


※猫は本物ではありません。