時間のコイン
立ち寄った蕎麦屋さんで、ご迷惑をおかけしてしまった。
注文を終え、テーブルに広げていたメニューを元の位置に片付けようとして、箸の入れ物をひっくり返してしまったのだ。
すごい音が店内に響いた。
プラスチックの箸はかなりの量だった。常時あんなに入れておくものなのか、大きいコップのような入れ物に70本以上の箸があったと思う。その全てがテーブルと床に散乱した。
すぐにお店の人が二人駆けつけてくれた。
片付けを手伝いながら、申し訳ないとひたすら反省した。仕事を増やしてしまったからだ。
散乱した箸を集める。
箸を洗う。
拭く。
入れ物に詰める。
それをまたテーブルに運ぶ。
これだけの作業は時間もかかる。
全くもって余計な仕事だ。
ほどなく、嫌な顔もせず、またもやパンパンに箸が入った入れ物を持ってきてくれた。
時は金なり。
私のせいで時間を使わせてしまったのだから、お金を払うべきなのかもしれない。
今回は客という立場なので、当たり前のように人の時間をもらってしまった。
普段私に関わってくれる人たちはどうだろうか……
この夏も、
長電話に付き合ってくれた人がいた。
紫陽花で素敵なリースを作ってくれた人がいた。
拙いSNSの発信に優しいコメントをくれた人がいた。
私のために使われた時間は、その人にとって貴重なものだ。
なのに、お金をもらうことは重大な事がらであっても、時間をもらうことに対しては軽んじていることが多い。
そんなことを考えていると、ゲームに出てくるコインの映像が浮かんできて、チャリンという音まで聞こえてきた。
いただいた時間のコインはチャリン、チャリンと日々貯まっていく。
喜ばしいことなのだが、このコインは貯めてはいけないような気がする。
有り難いと思いながらコインを受け取り、次は自分が誰かのために時間を使う。当然のように循環させていく。
貯めないことに価値がある、そんなコインだと思う。
いただいた時間のコイン、少し貯まってきたなあと秋の夜長に感じている。