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議論しても仕方が無い事。今日の写真はケーキ屋さんのクリーム載せプリン。

議論しても仕方が無いのは心の問題。好き、嫌いは好みの問題です。選択肢を提示できても選択する権利の話はできません。損得も議論するのではなく選択肢を提示して選んでもらえるようにしましょう。

議論すべきことは選択肢の内容です。メリット、デメリットを提示した選択肢を作るための議論は無駄ではありませんが、自分たちの意見を通す議論は無駄です。メリットばかりに目が入って選択の権利を自ら放棄しているのです。

自問自答するのは、「心の問題に答えは無い」と知るためです。

嫌いなものを好きになりたいは、心の問題です。苦手な野菜を食べてもらいたいは、心の問題ではなく、嫌いになった原因があるのです。原因を無くすことはできませんが隠すことはできるのです。苦いから嫌いならば苦味の少ないものを調理することでさらに苦味を感じさせないものにできるのです。

苦いのが嫌いを好きにさせることはできません。心は移り変わるものですから苦いものが好きになることもあるのです。

嫌いだと思われている人を嫌いだと思うのは心の問題です。自分を好きだとも嫌いだともわからない人を好きになるのは心の問題ではありません。好いてもらわれている人に嫌われようとするのも心の問題ではありません。

自分の意思で自分を制御できることは心の問題では無いのです。
自分の意思で自分や他人の心を動かそうとするのは心の問題ですから答えは無いのです。

喜んでもらおうとか、幸せになってもらおうとしても、心は結果に対して思うものです。結果を良くしたいために途中経過で無理矢理働くと結果がいくら良くても喜んでもらうことも幸せになることもないのです。

途中経過が幸せでなければ、結果の幸せは差し引かれて無くなってしまうのです。議論が楽しく無いのは、否定する意見が出るからです。否定する意見は自分が楽しく無いからです。楽しい議論とはどのようなものでしょうか?

楽しいと感じるのは、自分の欲望が満たされた時です。

自分の欲望を見透かれた時に否定したくなるのが人です。
相手の欲望を見透かして満たしてあげる提案をしましょう。

見透かしても否定してはいけません。欲望は、心の問題ですから議論しても変わることは無いのです。心の問題では無いのに心の問題にしてしまうから議論しなくなるのです。心の問題なのに心の問題では無いとするから議論してしまうのです。

少子化の問題を心の問題と心の問題以外に分けて議論すべきなのに、子育てに自信の無い人に親なのだから子育ては当然だと議論しないのです。親が体罰をするのは子どもを思ってのことだと事件になってからしか話題にしないのです。

思わず手が出たと罰として手を出すは違うのです。罰は効果がないのです。罰せられたから、罰が怖いからと悔い改めることはありません。「悔い改めることのないように生きたい」と思わなければ同じことの繰り返しになるのです。

悔い改めるは「心の問題」ですから議論しても、説明しても、説得することはできないのです。自分で気づかなければならないことは議論すべきでなく気づく(悟り、達観)のを待ちましょう。

議論すべき事を議論しましょう。会話すべき事を会話しましょう。
議論も会話も選択肢を確認するためにするのです。問題を出して答えは一つではなく複数あるのです。その複数の答えは結果を推定できるものでなければなりません。推定した結果から選択肢を省くと正しい選択肢では無くなるのです。

その選択肢は正しく結果を推定できているのかを議論すべきで省いてはいけないのです。多数決で決められない問題も多数決で決めているのが民主主義です。

議論すべき事をしっかりすれば民主主義でも社会主義でも共産主義でもかまわないのです。

議論すべき事がしっかり議論できないのが問題です。
心の問題、選択する権利は議論してはいけないのです。

嫌は嫌とはっきり言っても嫌な事でも受け入れなければならないこともあるのが社会です。

#たぬきのポッさん #エッセイ #スキしてみて


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