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今朝は5時過ぎに起きました。朝の血糖値の測定、血圧の測定をやめたからです。4時起きだったのですが、インスリン注射から飲み薬に代わっただけですが時間的に楽になりました。注射の痛い思いをしなくなるのです。でも油断してはいけません。食事療法は一生続けるのです。朝はルイボス茶。今日の写真は朝食です。

パンとルイボス茶の朝食。朝から野菜炒めをいただきます。野菜をたくさん食べてから糖質を摂るとゆっくり消化されて血糖値が一気に上がることを防いでくれます。

病気にならないように気を使う。病気になったら病気と向き合って気を使う。死を迎えたら気を使う事ができないから死と向き合って恥ずかしく無い生き方をするのです。恥ずかしいと思う気持ちが大事です。

武士が生死をかけた戦いに挑むのは恥をかかないためです。
逃げることを恥と思うから無謀な戦いをするのです。

逃げるのではなく生きるための策です。
策士策に溺れるという諺があるように策も恥だと思うから考えないのです。
卑怯な行いも恥、潔くないのも恥、恥をかくのなら美しく死んでいきたい。

恥は心の問題です。

ではこのように思ってはどうでしょうか?
死ぬまで生きる。生きる事から逃げるのは恥である。
生かすための策と生きるための策、策士、策で生きる。
卑怯と思われても、潔くないと思われても、生きて汚名を受ける覚悟がいるのです。生きる事に執着して何が悪いんだ。

生きる見本となって天寿を全うして死んでいくのが永遠に生きる事になるのです。

人は身体と知識と心がバランスよく働いて生きているのです。
こうでなければならないと決めているのは自分の心です。
知識が心を不安にさせたり安定させたりするのです。
心と身体のバランスが崩れると病気になります。

生きる事に執着しなければ弱い人間は簡単に死んでしまうのです。
自衛の為に他人から生きる権利を奪う事を許すのに、自衛の為に命を奪われても許せないのが人間です。これは大きな矛盾です。

自分が生きる為に他人を生かす。他人が自分を生かしてくれる。これには矛盾がありません。生きる事に方向が向いているからです。

死にたいと思っている人と死んでもらいたいと思う人がいたらそれは殺人ではありません。死にたくないのに殺されたならば殺人です。殺す気もなく殺してしまったら過失致死で殺人ではないのです。死にたくないのに死なせたくないのに死んでしまったら死にたくない人からは殺人だと思われて死なせてしまった方から思うのは過失致死もしくは無罪です。

これは大きな矛盾です。死にたくないのに死んでしまったら天国に行けないから死にたくないと思わないようにしようと思うのは間違いです。

人間はいつか死にます。その原因は病死と事故死と自然死になるのです。
自殺は病死と同じです。死にたくないのに死ぬのが病死です。死ぬ事がわかっていて死ぬのが自然死です。死ぬ事を知らぬ間に死ぬのが事故死です。

一般的な言葉と一致していませんが心のあり方から分類してみました。

病気でも事故でも死ぬ事が理解できて納得できて死ねば自然死です。死ぬ事に疑問があれば病死です。疑問もなく納得もできずに死ぬのが事故死です。

死ぬことへの疑問に答えられて納得できればいつ死んでも自然死です。自然死を目指して生きるのが幸せだと思うのです。自然死を迎えるまでは生きているのです。生きている間に何ができるのでしょうか?

欲望を満たすことでしょうか?欲望は際限なく湧いてくると理解していれば欲望を満たす事はできないと気づくでしょう。

目の前の難儀を一つずつ片付けていく。難儀に気づけばすぐに取り掛かる後回しにしていたら死ぬ事ができなくなるのです。知識的に解決できなければ学ぶのです。時間的に解決できなければ次の世代に引き継ぐのです。
困ったを助け合って、協力し合って、分かち合うのです。

平等や平和、同じにこだわってはいけません。みんな違って良いのです。困ったを助けるだけで良いのです。他人の幸せを奪ってはいけないのです。

統一してはいけません。無秩序の中にこそ答えがあるのです。
困ったを解決する為の秩序が新たな困ったを生んでいるのです。

小さな秩序を作りましょう。小さな秩序の及ぶ範囲は小さくて良いのです。大きくしようとするから矛盾が発生するのです。

#たぬきのポッさん #エッセイ #スキしてみて

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