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文章を書くには、ストレスが必要か。

毎日毎日こうして文章を書いていると、気になることがいくつも出てくる。

そのひとつに『休日ほど書く量が少ないのではないか』というものがあった。


僕はいま、書店で働いている。

そこで働くのは楽だし、それなりに面白い。

けれど、それが生涯をかけてやりたいことかと訊かれると全然そんなことはない。

ただお金のための仕事の中で、比較的やりたいことの近くにいられるところを選んでいるだけだった。

でも不思議なことに、休みの日の方が書く量が少ないのだ。

「今日が休みだったら、もっといっぱい書けるのに……」

働きながら、そんなことを考えているにもかかわらず。

逆に言うと、何かを創るとはそういうストレスが必要なものなのかもしれない。

一生夏休みなら、宿題をする者はいないのでは。

思えば小説を書きたいと思ったのも、調理師時代にうつ病を患った反動からだ。

そこからわかるのはストレスに縛られる時間があればこそ、『空いてる時間で書くしかない』というモチベーションや『なんか腑に落ちないなあ』という違和感が育まれるのかもしれない、ということだ。


だとしたら、意識的に自分にそういう負荷をかけることもできるのではないだろうか。

書くこと以外の領域がストレスになれば、もっとたくさん書けるはずだった。

例えばわざとサイズのあわない靴を履けば、歩きにくさというストレスから解放されたとき、カタルシスを感じて、思わず筆をとってしまうかもしれない。

あえてカレーライスを食べる際に箸を使ったりすれば、二本の箸のあいだをすり抜けていくごはんつぶたちにストレスを感じられる。

通勤時にいつもとは違う道、例えば高層ビルの間にかけられた鉄骨を渡るルートなんかを選べば、それはもうとんでもないストレスになることだろう。


よし。

『サイズのあわない靴を履いてみたら』『カレーライスを食べるときに、箸は使わないほうがいい』『高層ビルの間にかけられた鉄骨の上で考えたこと』

さっそく、この三つを記事にする方針をかためていこうと思います。

近日公開予定です。


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