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東京に8年住んでいる理由。

上京してきて、よかったことはなんだろう。

ふとそんなことを考える機会があった。

きっかけはとある人のエッセイを読んでいたときだ。

そこには田舎からみた都会の雰囲気が、面白おかしく綴られていた。

僕は石川県の生まれで、東京にやってきて一人暮らしをはじめてから、もう8年くらいが過ぎようとしている。

しかし、自分でもなぜそれだけ長く住んでいるのかわからなかった。

都会の利点は色々なものがたくさんあったり、働くところに困らない、交通アクセスがいいというような理由が思いつくが、それらは僕にとって大したメリットにはならない。

例えばコロナの際、外出規制が叫ばれ、街から人が消えてしまったときも、別に気にならなかった。

僕のように根暗を煮出して濾して、さらに煮詰めたような人間は、平常時の外出すらも不要不急だった。むしろ要だろうが、急だろうが、出かけるとなると、パンデミック度外視で足が重くなった。

それなら食べ物はどうしていたのかというと、あまりに外出が億劫だったため、家には常に箱買いしたカップ麺やら辛ラーメンやらパックごはんやらがストックされていた。

都会なら、配達が早く届くという利点もある。

しかしネットで購入するのはこれらの必需品のみだし、それもなくなる数日前に計画的に新しいものを注文していたので、配達のレスポンスは関係なかった。


住み続ける理由。

それはひとえに『飲みの場があること』だった。

仮に僕が、深夜一時くらいに人恋しくなって、誰かと話したくなったとして、歩いて十分ほどのところに賑わっている居酒屋とバーにいけばいい。

しかもそのうちのいくつかは、店員さんと顔見知りなのだ。

そういうラフな繋がりみたいなものを楽しめる。

理由としてはそれくらいのものだった。

田舎だと、こうはいかない。

繋がりを求めて、真夜中に外にくり出したところで、夜行性の野生動物に遭遇するのがオチだ。いや、大自然との繋がりとかそういう意味じゃなく。

しかもそれにしても、ネット環境があればある程度は苦ではない。

どんなに遠くにいても友人と通話できるし、ゲームの募集に飛び込んでいったりすることもできる。

つまり今の僕は、東京に住んでいる意味があまり見出だせていないのだった。


ネット環境とPS5があって食料に困らければ、例えば火星とか月面基地とかでも生活していける気がした。

でもそういうところに行くためには、ロケットに乗らなければならず、もしも第一宇宙空港みたいなものが建設されるとしたら、やっぱりそれは東京になるのだろう。

みんな同じようにそれに期待して、ここに留まっているのだ。きっとそうに違いなかった。


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