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女/性 なぎさ「彼女の膜」 (前編)


2ヶ月前まで、彼女の身体には赤ちゃんがいた。
同棲中の彼との間に授かった命だ。

交際がスタートして少し経った頃、彼から「子供はいらない」「結婚はしない」と言われたそうだ。前妻との間に子供が数人いることが理由らしい、確かにその状況で新たに子供が欲しいなんてなかなか思わない。よっぽどの子供好きかすごーく裕福かでもない限り、そんなこと思う男性っているのだろうか。

子供がいるってことを、好きになってしまってからお付き合いがスタートしてから明かされた。二人の出会いはマッチングアプリで、そこにはそんな記載はなかったらしい。それはちょっとどうなのよと、私は思う。やっぱり彼女もそう思うらしい。でも、好きになってしまった後じゃあしょうがない。そんな諦めとモヤモヤを抱えていたところに、まさかの妊娠。
彼女の口調から期待があったことをなんとなく感じる。彼を好きだからこそ、子供が出来たら彼の考えも変わってくれるんじゃないかと期待してしまう気持ち、分かる気がする。私を好きなら私の身体が傷つくことを選ぶはすがない、私と一緒にいたいならせめて籍を入れてくれるんじゃないか。そんな風に「愛されている」期待を希望を持ってしまった。「子供はいらない、産むのは自由だけど、一緒に暮らすとかそういうのは出来ない」という彼の意思は「愛していない」という意味のように聞こえた。彼の意思が愛の物差しではないと自分を言い聞かせても、一度聞こえてしまった言葉は消すことができない。

2人は、というか彼女は避妊を全くしていなかったわけではないらしい。彼女が生理不順からピルを服用していたからだ。いつか子供が欲しい、母になりたいと思ってはいたものの、彼は望んでいないし自分の年齢的にも諦めたほうがいいのだろうとピルの服用を続けていた。本当は子供が欲しいけれど、彼の状況を考えれば仕方ないのだと自分を諦めさせた。彼を好きだし、もし彼と別れてしまったら自分にいい出会いがあるのか分からない。30代後半の女性の複雑な心情は彼女の表情をいっそう不安げにさせていた。だからこそ彼がマッチングアプリで子供の存在を記載していなかったことにモヤモヤする。

それにしても、ピルを飲んでいるのに妊娠!?と私は驚いてしまった。もちろんピルの避妊率が100%ではないのは知っている。でも、服用していて妊娠した人を見たり聞いたりしたのはリアルだと彼女が初めてだ。
「飲み忘れたりしててピルを正しく飲めてなかったのかなと思う。生理が遅れたり不正出血もあって、体調悪いなあと思って内科に診てもらう予定でいたら妊娠していた。だから、妊娠していたことになかなか気がつけなかった」と淡々と言う彼女。あまり抑揚のない声や話し方なのは、彼女の "いつも" なのだろう。内面を表に出すことを抑えている人の独特さが彼女を覆っていた。抑えている人って全身に薄い膜を張っているみたいに感じる。自分を守っているような卵の殻の薄皮みたいなやつ。彼女は本当は違う人格のある人なんだろう。


好きな人との子だし、もともと子供が欲しかった彼女が産みたいと思うのは当たり前の感情だ。法律で中絶が可能なのは21週6日目までとなっている。妊娠12週以降は「中期中絶」に区分され、初期の中絶とは違い通常の出産と同じように赤ちゃんを出産する。と言っても、まだ育っていない赤ちゃんだから人工的に陣痛をおこして死産としてお産する。妊娠が発覚したときには中期中絶の時期だったことも彼女が産みたいと思った理由のひとつかもしれない。中期中絶は母体にかなりの負担がある。悪阻もあるし、その他の妊娠初期症状もあって自分の身体が母体へと変化してることをかなり実感するんじゃないかと思う。
中期中絶を行っている病院の数は少ない。数日間の入院も必要で、通常の出産の時と同じ陣痛やお産の痛みがあり、身体の負担が大きいから回復にも時間がかかる。私は出産を経験しているけれど、自分の身体が急激に変化していくことに強烈な違和感を感じていたし、自分の体内で別の生命が作られているという事実が怖かった。心も随分と不安定になっていて通常の自分とは違う性格のようにも感じていた。心も身体も私から私が離れてゆき、どんどん自分を失っていくような怖さもあった。彼女は産む妊娠ではないのだ、産まないのに娠初期症状に堪えたなんて、どれだけ苦しかっただろう。普通は赤ちゃんに会うために身体の変化や痛みや不調にがんばって堪えるのに、悲惨すぎる。

なぜか婦人科の医者は横柄で無配慮な人が多い。女子供には敬語を使わないって決めてるのか、上から態度の偉そうなタメ口おじさんがやたらいる。ホルモンバランスがめちゃめちゃな時に一番話したくない類の昭和な男性が医者として登場するんだから、女性の婦人科探しは傷つけられる前提&メンタル崩壊覚悟の戦いだ。彼女も色んな目にあったらしい。本当にお疲れ様。



どうしても話をしていると「それでその時、彼は?」と彼の様子を聞いてしまう。彼が全て悪いわけではない、わけではないけれど、彼女の苦しみを痛みを負担を心細さを、彼はどの程度理解してるんだと思わずにいられない。30代後半の女性の中絶は、若い頃とはその意味が違うように思う。そういう重みも本当に理解しているのだろうか。彼は自分の責任として中絶費用を全額出したのだそうだ。中期中絶の費用は高額になるけれど、そんなことで責任が終わるものか。なんていうか「お金を出したんだから、それ以上のことを求められても困る」っていう意味のお金にも感じる。彼女が送ってきた私へのメールに<費用は責任として全額彼が出してくれた>という一文があり、その時点でそうじゃないよなぁと思っていた。引っかかる、私は納得できない。

「あなたは納得しているの?」
ほとんど無意識に彼女に聞いていた。
「彼を許せるの?」とも。


※後編へ続きます。
女/性 なぎさ
写真・文 SAKI OTSUKA







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SAKI OTSUKA
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