失恋を振り返る「思い出の街に行ってきた」
─── 2023年秋
3年ぶりにできた彼氏
ヒーローくん。しかし、コミュニケーション不足により、たったの2ヶ月で別れてしまった。
ヒーローくんの住む街は
私が、1年以上前から「移住したい!」と言っていたほど大好きだった。
別れてしまっても、大好きな街はもっと大好きでいたい!
そう思い、自身の誕生日である冬
ヒーローくんの住む街に行ってきました。
もっともっと好きになることができた。
良い思い出で終われた。
でも・・・今日、
再び行ってきました!!笑
この街には、1社目の同期であり
頻繁に連絡を取るほど仲の良い、お友達夫婦が昔から住んでいる。お友達は・・・数ヶ月前に流産を経験。
1番最初に、私に報告してくれた。
「辛かったね・・・」
なんて言葉は簡単にかけられない。
直接2人のもとへ会いに行くことにしました。
これ以上の会話は、センシティブな内容なので割愛しますが、何よりも嬉しかったのは「2人とも前を向いていたこと」です!!!その様子は、伺ったお家の中に入った瞬間伝わるほどでした。
あぁ・・・書いていて涙が出そうになるほど、2人の強い姿が、、なんというか、安心したというか・・・私も元気をもらったというか・・・
こんな時に欲しい語彙力!笑
でも本当に良かった。
そして、2人に届けたいモノがありました。
(少し話をそらします)
─── 夜。2人と駅で解散。
駅前は、ヒーローくんとたくさんの思い出があります。
ヒーローくんを好きになった瞬間。
お互いのことを知れた瞬間。
別れた瞬間。
今の彼氏、ふうとに電話した瞬間。
ヒーローくんと別れた日、
終電を逃し、我に返った深夜2時。朝型のふうとが私に電話をくれた。失恋を1番に報告した人だった。深夜4時まで、私の話を聞いてくれた。6時に起きる人なのに・・・
まさかこの時、
ふうとが将来彼氏になるだなんて、結婚を考えるだなんて、いったい誰が思ったんだろう…。
思い出の街で、1番に思い出したのは
元彼ではなく、今の彼氏。「今」私が大好きな人でした。
上述の記事のとおり
ふうとと私はお互い、直前の大失恋の後は、お互いが1番に助け合っていた。その時は、何もない、ただの友達だったのに・・・
感慨深い。
人生、何があるか分からない。
ただ、今日友達夫婦と話す中で
ふうととの幸せがあるのは、間違いなく「ヒーローくんのおかげ」というのを、さらに実感した。
恋愛へのトラウマ。
人を好きになることのトラウマ。
好きな人と一緒に過ごすことのトラウマ。
これらを、たった2ヶ月で全て取っ払ってくれた。
楽しいモノに変えてくれた。
だから私は、ふうとと何のためらいもなく、今を幸せに過ごせている。
既婚歴のある人は無理。
タバコ吸う人は無理。
長男は…嫌だな。
自分の時間を大事にしたいから、遠距離恋愛がいい。
こんな酷いことを・・・
この春まで平然と言っていた私なのに、全て当てはまっているふうとと私は付き合っている。遠距離で付き合ったのに、名古屋に引っ越す。
「ふうと自身」が好きだから、
こんなレッテルは飾り物としか感じない。
そう、心から思えることができたのは
やっぱり、ヒーローくんのおかげだ。
大好きな街に行って、
1番最初に思い出したのは
ヒーローくんではなく、ふうとだった。
だから今日は、この街を散歩しなかった。
何も買わなかった。
写真も撮らなかった。
それはもう、1月に十分おこなった。
でも・・・
大好きな街に行って
1番、感謝を伝えたいのは
今も、これからも、ヒーローくんだ。
冒頭に描いた「花束を君に」の
この部分の歌詞。これは、ヒーローくんに届けたいです。太陽のような人!と、彼は私に言ってくれていた。でも私にとっては、ヒーローくんも太陽でした。
この歌詞は、ふうとに届けたい。
「愛しい人」と2回、言いたくなるくらい、今はふうとがとても愛しい。ふうとには、友達だった3年も含めて感謝しかない…。讃えるには、称えるには足りないや。
「花束を君に」
という歌は、宇多田ヒカルさんが亡きお母さまに届けたモノです。私が一番好きな歌手。いろんな思いがこもっている歌ですが、私は、自分が歌う時、届ける時は
その時自身が感じたことを
本来の意味とは異なって伝える。
それが私のなりの「歌の捉え方」です。
そして最後に、冒頭に書いた以下の歌詞。
これは・・・
お友達夫婦。ヒーローくん。ふうと。
この3人に届けたいです。
涙色とは、とても悲しい意味を指す。
でも「美しい色」という意味もあります。
ここでいう「涙色」は、美しい色を伝えたい。
ありがとう。大好きな街!
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