記事一覧
ゲームと商品の関係 無料キャンペーンの告知
2024年6月4日から6月8日にかけて、ゲームと商品の関係の無料キャンペーンを予定しています。タイトルの通り、ゲーム、特にコンピューターゲームであることと商品であること、この両者がどのような関係にあるのかを扱ったものです。少々堅苦しく、小難しくもあるやも知れないのですが、頑張って書き上げたものですので、ひとまず手元に取り寄せておき、気が向いたときで構いませんので読み進めて頂きたく思います。
ぜひ
カードゲームの物質性
ここでのカードゲームという語は主に、いわゆるトレーディングカードゲーム、TCGを想定している。このTCGも、実物のカードがあるものとないものとの二つに分けられるが、特に前者について述べたい。
TGCにも様々に種類があるが、商品であることは全てに興共通する。やや広くカードゲームという語を用いるのであれば、トランプや花札の類をここから除外できるが、「トレーディング」カードゲームとなると殆ど全てが商品
信仰と宗教とキャラクター
ここでのキャラクターという語は、架空(とされる)の人物を指すもの、といった程度で用いたい。特に、ドラえもんだとかシャーロックホームズだとか、小説なり漫画なりの登場人物などを主に想定している。
ゲームについて色々と考え始めた当時から当然、ガチャはその問題意識の中で少なくない割合を占めていた訳であって、そのガチャにおいて中心的であるキャラクターについても同様であった。現在の筆者の立場としては、キャラ
読書録:『自閉症裁判―レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』
自閉症裁判―レッサーパンダ帽男の「罪と罰」を読んだ。あとがきにおいて筆者が、こんな売れそうもない本を出版してくれて感謝しかない、といった趣旨のことを述べていたのだが、この出版社、洋泉社なのである。ああ、なるほどなと妙に合点がついてしまった。売れる本が良い本であるとは限らないし、売れない本が悪い本という訳でもない。
ともかく、本書の扱っている内容を軽く紹介すると、タイトルにある通り、自閉症との診断
ジャンルとしてのクソゲーと商品としてのクソゲー
クソゲーについて考えてみたい。クソゲーとは何か、と言い換えても良い。クソなゲーム、略してクソゲーである。人は何をしてゲームをクソとするのかというと、不快であるためだ。不快の方向性は、大きく二つに分けられる。ひとつはゲームの芸風とプレイヤーの好みとの不一致、他方はそれ以前のものだ。後者は、例えば読み込むに信じられないほどの時間を要する等のゲームの進行すらままならないようなもの、ゲーム機を破壊する等の
もっとみるいわゆるレトロゲームについて
いわゆる、というのは「レトロゲーム」という語が指す範囲の決定が面倒だし、そもそもこの語が特定のゲームを対象にするものというより、否定神学のような、つまり最新ではないにしても比較的最近に登場したものではないゲームを指した語であるように思えることを反映している。どこにレトロゲームとレトロではないゲームとを分かつ分水嶺があるのか、といったことには踏み入らない。
最初に取り上げたいのは、いわゆるプレミア
本の宣伝と内容の紹介
先日発売しました『ゲームと商品の関係』の内容紹介と宣伝とをば。12月30日から年を跨いで1月3日まで無料キャンペーンの予定。
内容に関しては、今までと同様に商品とゲームとの関係を扱っている。ただ、今まで用いていた商品性と娯楽性の両語に替わり、それぞれ「商品」あるいは「商品の必要性」だとか、後者については「ゲーム」などの語を用いるようにした。
本書がその以前のものから異なるのは、そもそもの「ゲー
遊戯王ウォッシュデュエル
遊戯王の新しい遊び方を閃いた。名付けて「遊戯王ウォッシュデュエル」。
先にどのような俺ルールであるかを説明すると、お互いの手札と山札を全て白紙で遊戯王をしようというものだ。この辺りがウォッシュデュエルたる所以である。
冗談―この記事全てが冗談みたいなものなのだが―はさておき、基本的なルールは普通の遊戯王と同様である。同名カードは三枚までだとか、禁止・制限リストだとか、アトランティスの戦士の
遊戯王マスターデュエル批評
前置き
遊戯王マスターデュエル(以下MD)について少々。有識者やガチ勢の方々から見れば温い内容かも知れませんが、あまりいじめないで下さい。書いている最中にアプデが挟まる形になり、やや時代についていけていない記述が散見されますが、通してください。
ゲームとして
まず、MDにも良い点悪い点があるけども、それがMDに固有のものであるのかあるいは本家(つまりOCG、紙の方)と共通した問題なのかを、あ
『脱成長』を読んだ感想
脱成長、という語は時折目か耳にするのではないだろうか。どうせ猫の寝言みたいなもんだろう、などと思っていたのですが『脱成長』を読む限り、猫の寝言に聞こえていたのかも知れないが、少なくとも当初用いられていた意図としては、ちゃんとした言葉だったんだなぁと反省。
脱成長というのは、フランス語のdécroissantという語を訳したものになる。翻訳というのは文字そのものを訳することはできるけども、その