ある日のゴリラ化。

ある日、ともだちがゴリラになっていた。

むかしはよく一緒に遊んでいて、それでもだんだん疎遠になってしまったから、彼女が東京をはなれたことは知っていたけれど、その後、あう機会はなかった。フリーランスでデザイナーをやっていて、どこかのIT社長と結婚したらしいということを、テレビをみて、初めて知った。

テレビごしでも彼女だとわかったのは、少しのおもかげと、あ、あの子だ、という直感。むかしからの友達だからか、ぜんぜん違うかたちをしていても、わかる。どこかなつかしいという気持ちにすらなった。

テレビのはしっこに名前がでていたけれど、それはもう、あんまり意味はなかった。あの子はゴリラになっていて、その名前は人だった頃のものだった。今はただ、余生なのか、なんなのか、わからないけれど、生きものとしての時間をすごしているのだとおもった。

久しぶりに会いたくなって、思い出すまま、スマートフォンの連絡先をつるつるとすべらせて、彼女にメッセージを送る。元気ですか? 会いたいです、と、送ってから、テレビに出たから気になったとか、有名人に会いたい気持ちとか、そんなしょぼい理由で連絡をしてしまったのかと、自分が少し恥ずかしくて、ほっぺたが熱くなるのを感じた。いまのいままで、思い出さなかったのは事実なのだ。

もうゴリラになってしまったのだから、連絡なんて返してくれないのかしらと、あらためて、うーん、と、考えつつ、コーヒーを飲んでいると、ぷるぷるとスマートフォンがふるえて、メッセージが届いた。「久しぶり、元気です。そちらは、元気ですか? 来週の日曜日なら、会いているよ。」

その文章が、彼女の声で再生されたから、私は嬉しくなって、日曜日、会いに行きます、と、約束を決めて、コーヒーをごくごくのんだ。ネスカフェのゴールドブレンドのブラック。少し薄めに入れるのがお気に入りだ。


日曜日。お天気はきらきら。彼女の家のピンポンを鳴らす。

はい、といって出てきたのはテレビに出てきたIT社長で、あ、こんにちは、と、私ははずかしげに挨拶をする。どうぞ、はいって、とうながされて入ったお部屋はオレンジの光で、木でできた机、ホワイトナチュラル、いすもセットで、背もたれにふかく、茶色くてふかふかの生き物がすわっていた。ああ、久しぶりだ。

今はもう、どれだけ私たちのことが認識できているかわからないんだけどね、と少しわらって、彼女の向かいのイスに手を差しだし、どうぞと言う。私はそのまますわって、彼女に、何年ぶりかな、と話しかけた。連絡がとれたのだから、言葉は覚えているのだとおもう。それでも、彼女が私に会話をかえすことはない。

いつごろからですか?

と、尋ねてみると、紅茶はダージリンでいいですか? と結婚相手は微笑みながら、半年ほどまえ、と、言って、電気ポットに水をそそぐ。半年ほどまえにね、ゴリラ胞子に感染してしまって。

ゴリラ胞子、というものがあって、少しきたない水辺とか、排水溝とか、都会の川のほとりとかに潜んでいるらしい。胞子と言うからには、きのこみたいななにかから、ぶわっとけむりみたいに広がって、もくもくしながら根付くのだろう。たぶん、きたなくしているキッチンとかにもいるに違いない。

そんなゴリラ胞子が肺に根付くと、すこしづつ、ゴリラになってしまうみたいなのだと、いつかテレビが放送していた。手洗い、うがいを忘れずに、きれいにしていても感染することもあるのだとか、ほんとうは遺伝子の問題なのだとか、コメンテーターが知った気になってあれこれ言って、アナウンサーが、気をつけたいものです、と、深刻なふりをしながら、それでは次のコーナーです、と話題をかえた。

「最初はささいなことだったんだけどね」

毛深くなったといって、ほらみってって。そうかな? と僕はあまり関心がなくて、気付けなかった。

彼は、早期発見でどうにかなる病気ではないけれど、と付け足して、結婚相手は彼女の横にすわって優しく頬をなでる。紅茶が3人分用意されていて、彼女も私も、ごくごくと飲んだ。

「ゴリラはね、人間でいうと幼稚園や小学校の低学年程度の知能があるとも考えられているんだって」

そうなんですね、と受け答えながら、私は彼女の濡れたような瞳と、なめらかな毛並みのつやつやに目を向けた。愚痴のようになってしまうんだけれど、と前置きをしてから、彼は言った。彼女をみていると、たまにあちら側に行きたくなってくるんだ。僕は健康で、それは素晴らしいことなのに、人間が嫌になってしまうときがあってね、彼女には夢もあったのに、それでも、どうして僕を一緒に連れていってくれなかったんだと、思ってしまうことがあってね。その気持ちを燃やして仕事に換えているのだけれど。

私はその声を右耳で聞きながら、ぼんやりと考えた。病気の進行具合を考えれば、いまは中学生、小学生くらいなのだろうか。それならまだたくさんの感情が、今の私よりももっと豊か、かつて私が子供だったころと同じくらい、真新しく広がっているのかもしれない。好きなものを好きだと思う力はきっとこの病気でなくなってしまうものではない。それでも、

「彼女が、生きていてよかったです」

それ以上の言葉をこのIT社長に手向けることはできなかった。お茶を飲み終え、またね、と、握手をする。その手は私の知っているのと同じように、少しひんやりと、やわらかい、記憶のなかの彼女の手をしていた。

「よろこびますので、きっとまた会いにきてください」

彼はお辞儀をして、隙間から彼女は少し覗きながら、ドアはバタンと閉まっていった。夕焼けがきれいだ。今日はオムライスをつくろう。

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