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カイゼン研究の第一人者に学ぶ「コンセプト化」の真髄

10/18に出版された、カイゼン研究の第一人者・岩尾俊兵氏による著作『日本企業はなぜ「強み」を捨てるのか』を読了した。私は本書における筆者の主張内容もさることながら、本書の随所に垣間見える筆者のプロフェッショナリズムにむしろ興味を持ったため、本書で筆者が提示したイノベーションモデルの枠組みを使って、筆者自身がいかにイノベーティブであるかを自己回帰的に分析できないか、という興味関心の元、本エントリーを書いた。


本書に興味を持ったきっかけ

noteの「今日のあなたに」で紹介された以下の記事を拝見し、即購入しようと思い至った。とりわけ目を引いたのは、この本が経営現場における実践的な知のコンセプト化について書かれた本である、という触れ込みである。

私がnoteでライフワークとして掲げる「企業/市場の喧騒と抽象思考の極北への探訪」を高度に実践されている方の著作である。私も投資や経営の現場に身を置きつつ、本書の問題意識である「コンセプト化」を通じて世に問えるアイデアを見つけたいと思案する中、この本を手に取った。

この本を目にした時最初に抱いた期待は、本書から「どのように思考すれば実践から本質を抽出し、コンセプト化できるか?」という問いへのヒントを得たい、というものだった。本書はこの問いに対し「安易な答えの提示」を目的としておらず、本書で筆者が伝えたいテーマともややずれる認識である。しかし、この本を手に取った私なりの目的意識に照らしても、本書から窺い知れる筆者の研究姿勢やアプローチから学べることは多い。そもそもこの問いは、研究の最前線で活躍される方の競争優位の源泉と言えるものだ。

従って本エントリーでは、通常の書評的な「筆者の主張の中身」に関する私見を述べるのではなく、このような主張を展開する筆者の、本書から垣間見える問題意識の発露やアプローチ方法を通じて、私の目的意識である「どのように思考すれば実践から本質を抽出し、コンセプト化できるか?」という問いに対し、どのような学びを得られたかをまとめようと思う。

本書の概説

まず前提として、本書における筆者の主張や論の流れを私なりの理解に基づき概説しよう。本書を読み進める上で、最初にきちんと理解しておくべき2つの言葉がある。「経営技術」と「コンセプト化」だ。

経営技術」は本書で新たに提唱された言葉であり「経営に関する手法そのものと、その手法自体を生み出すための実践的な思考フレームワーク」を指す。例えばミスを防止するためのアラートやダブルチェックなどの工夫、および現場のミスを収集するための目安箱のような仕組みなど、上手く経営を行う上での具体的な実践手法やそれを生み出す仕組みの総称である。

コンセプト化」は優れた経営技術から「普遍的な論理だけを抜き出し、モデル化・抽象化」することである。経営技術それ自体は生み出された組織の共通言語や文化などの文脈依存度が非常に高く、よそでそのまま転用できるとは限らない。そこで「経営における個別具体的な事例の共通点を探りながら、抽象的な論理モデルを構築することで、経営技術の文脈依存度を低下させ、世界で通用する理論」の確立を目指すコンセプト化の意義は大きい。

本書によれば、昨今世界を席巻している欧米発の様々な経営コンセプトの源流を、日本企業の優れた経営技術に見ることができる。カイゼンは言うに及ばず、両利きの経営、オープン・イノベーションなども、既に日本企業が実践してきた方法論に依拠するところが大きい。それにもかかわらず、日本発の経営コンセプトは極少数に限られ、海を渡り欧米でコンセプト化された経営コンセプトを日本企業が「逆輸入」しているのが現状である。日本がこのような現状に陥った背景として、筆者は以下2点を指摘する。

  1. 日本への根拠なき悲観論や自虐的自己評価により、(日本の経営技術の焼き増しに過ぎない)欧米発コンセプトを正しく評価できていない点

  2. 日本社会は単一民族国家として文脈に強く依存した緊密なコミュニケーションを強みとし、米国のような多民族国家において要請される(誰にでも伝わる)抽象化・論理モデル化を前提とした議論を苦手にしてきた点

また、このような現状による日本社会への弊害として、筆者は同じく以下の2点を指摘する。

  1. 日本企業の経営陣が欧米発経営コンセプトを妄信し、(既にできている)経営技術を文脈を無視した形で再導入することで、現場が疲弊するばかりか既に自社が保有していた経営技術を放棄する事態にもなりかねない点

  2. 日本企業が開発した経営技術を、日本の産官学がコンセプト化して世界に対して発信できていれば得られたはずの利益を逸失する点

このような課題認識の中、著者はまずご自身が日本発の経営技術のコンセプト化と世界への積極発信を実践すべく、専門領域であるカイゼン研究の事例を用いて最新の研究動向を紹介している。そこでは既往研究と比較した筆者の理論の意義や、「ものづくり経営学」と本書で提示された「カイゼン・イノベーション」「イノベーションそれ自体のマネジメント」「資源とアイデアの滞留理論」の統合による、生産管理を超えた経営一般を統一的に論じる論理的な枠組みへの発展可能性が示唆された。

そしてこれらの根底には、誰しもが「人間こそが価値創造の主役であり、価値創造の障害となる対立を解消し続けるのが経営だ」という信念を持つことの重要性と、このような「価値創造の民主化」つまり各自が価値創造の主役たる当事者意識を持ち、経営知識と経営意識を組織で共有する特徴こそが日本式経営の強みであること、そしてまさにそこに閉塞感漂う日本の現状打破に繋がるヒントがある、という筆者の熱いメッセージが込められている。

本書からの学び

私が本書を手に取った時の目的意識は、前述の通り「では、どのように思考すれば実践から本質を抽出し、コンセプト化できるか?」という問いへのヒントを得たいというものだった。また概説の通り、この問いは本書で筆者が伝えたいテーマとはややずれており、筆者もこの問いに対する「安易な答えの提示」を目的としていない。

確かに上記の問いについて、明確な答えという形では本書では提示されていないものの、まさに著者が研究の最前線で実践している活動そのものが解であり、そこから学ぶべきことは非常に多い。経営コンセプトの提示それ自身が一つのイノベーションだとすれば、奇しくも本書で語られたイノベーション研究の枠組みに沿い、筆者の問題意識の発露やアプローチ方法を整理することで、私なりに本書からの学びを整理したい。

イノベーションのモデル化

本書ではイノベーションを「本質的には地道なカイゼンと地続きな存在」として捉え、プロセスとしてのカイゼンの連鎖と経営判断による連鎖のカットオフという概念を用いて、結果として生じるイノベーションの規模に大小が生じるメカニズムを解説している。またこの発想に基づき、イノベーションを「組織に属するメンバーが各々保有する『アイデア』と『資源』を持ち寄り、より大きな『アイデア』と『資源』の掛け算を作ることで生まれるもの」と定義し、モデル化を試みている。

私の理解したモデルのイメージは、以下の通りである。初期条件として空間に組織メンバーを例えば100人ちりばめ、各々に「アイデア」もしくは「資源」に相当する数値を割り当てる。更に自分より大きなアイデアや資源を持つメンバーを探索する範囲を既定する「視野」と、メンバーが移動し出会うための「フットワークの軽さ」をパラメータとして与える。メンバーが出会った際、より大きなアイデア/資源を持つものにそれらが集約され、アイデアを持つメンバーと資源を持つメンバーが出会うことで、両者の大きさの積としてイノベーションが生まれる。時刻ゼロからスタートし、時間の経過に応じてメンバーが交流しアイデアと資源を移動させていき、一定時間経過後のアイデアと資源の偏在度が、生じたイノベーション規模の大小の分布である。ここで、初期パラメータの設定次第で一定時間後に実現するイノベーション規模の分布が変化するため、本書では初期設定と対応するイノベーション規模の分布を類型化して整理している。

例えば、他の条件を固定し視野のみを上げた集団(本書の科学者集団)では、メンバー各自が広い視野で自他のアイデアや資源を比較するため、それらはあっという間に特定の1名や2名に集約されるが、フットワークが重いためそこからアイデアと資源が出会うために非常に多くの時間を要する。結果として、長時間経過後に大きなイノベーションが一度起きる組織となる。

逆に他の条件を固定し、フットワークのみを上げた集団(起業サークル型)は、よく動くが視野が狭く場当たり的に交流が起き、後半になると各々のフットワークの軽さが逆にあだとなりなかなか接触が起きず、結果として比較的短時間に小さなイノベーションがぽつぽつ発生する組織となる。

さて、我々自身が経営コンセプトというイノベーションを創出するにあたり、上記のモデルと筆者の活動を紐解き考察を進めたい。視野は広いほど、フットワークは軽いほど好ましいのはありふれた帰結だが、今回はモデルでは外生的に与えられるアイデア・資源、そして意思決定としてのカットオフの3つの観点から、イノベーションを生み出す要諦を議論したい。

アイデア:根源的で強い課題意識とニッチトップ性

アイデアは「大きい」方が良いが「大きさ」を何で測るかは難しい。直接的には理論の新規性や説明力の高さなどがアイデアの価値を決めるだろうが、ここでは筆者がどのような思考過程を経てこの理論に辿り着いたのかを読み、イノベーティブなアイデアを生む要諦を探る。結論としては「根源的で強い課題意識」と「ニッチトップ性」が重要だと考える。

そもそも筆者は「カイゼンは小規模な現場の改善に過ぎず、イノベーションとは対比的である」という欧米式の通説への疑問が研究の出発点になったと語っている。更にその疑問に至るにはおそらく「カイゼンの価値はカイゼン・イベントのような矮小な枠に留まるはずがない」「そもそもカイゼンは日本の経営技術のはずなのに、なぜコンセプト化は欧米発がほとんどなのか」「日本がカイゼンコンセプトの発信を主導できれば、閉塞感を打破する可能性が高まったはずなのに」という根源的で強い課題意識が原動力になってきたのだと考えられる。現に本書では、随所にこのような筆者の熱いメッセージが込められている。また筆者は「君は、人として生まれてきて、世の中に何を発信したいのかという問いに答え続けている」とも語っており、ライフワークとしての高い使命感のようなものも原動力であろう。

後者は前者に比べややテクニカルだが、そのような原体験に根差した自身なりの課題意識が研究に独自性を生み、日本でトライしきれていない「日本発のカイゼンのコンセプト化」に先鞭をつけることで、ニッチ領域でアイデアの「大きさ」が他者を上回る可能性が高くなり、モデルからの類推で先駆者として他者からのアイデアの委託を受けられる可能性が高まる。

私も自己を顧みればこれまで投資や経営の実務に身を置いてきたが、たまたま根源的なモチベーションについては以下の記事でまとめていた。本書は改めて自分の課題意識や好奇心の発露を見直すきっかけとなった。

資源:対比構造と起源の追求によるストーリー構築

資源の大きさは、経営コンセプト創造の文脈では、現在自分の環境でアクセス可能な情報源(経営現場、学術機関、知人ネットワークなど)と吸収力の積で定義できそうだ。前者は文字通りのアクセシビリティで、後者は目的意識に照らした視点や背景知識など「疑問を持てる力」である。

筆者が言及した情報源は、①企業への参与観察やインタビュー、質問票調査、②論文や国内外学術機関のネットワーク、③コンサルティングファームやそこに勤める知人であった。カイゼンをテーマに様々な情報源にアクセスし、その調査結果が披露されており、①②に基づく客観的なデータに加え、③の友人の素朴な意識や感覚なども研究のヒントとして言及されていた。

また、②に関連し筆者は様々な経営技術が欧米発でコンセプト化された事例を列挙したが、当時の学術的な要請と結果として生まれたコンセプトの性質の連関性に関する記述が興味深かった。例えばなぜ欧米でカイゼンが「カイゼン・コンセプト」のような矮小な定義域として定着したかという点で、筆者は「研究開発一辺倒へのアンチテーゼとしての改善」というマニフェスト的な位置づけと「近年の、特に海外での業績プレッシャー等による研究の標準化と比較可能性確保」を挙げている。コンスタントに研究業績を上げ続けるべくカイゼンの認識や測定方法が共通化された結果、カイゼンへの見方そのものが固定的かつ矮小な定義域に収まってしまったという見方である。

翻って日本の研究環境においては短期的なプレッシャーが大きくなく、じっくりと関連研究を精読しながら試論的な研究内容を定期的に掲載しつつ、体系的な理論ができたところで一気に世界に発信する、そのような研究活動の土壌が備わっていると分析している。

私が本書の論理展開において説得力があると感じたのは「対比構造により理解を促している点」と「起源を追求し、現在に至るストーリーと整合的である点」であった。様々な事例の並列関係や日米欧の横の比較と、コンセプトの成立過程という縦の流れで立体的に情報を理解できた。逆に、対比構造と起源の追求を意識することが、同じ情報にアクセスした場合の収穫を最大化する「疑問を持てる力」に繋がると感じた。

私が身を置くファンドや株式アナリストは比較的様々な企業と接点を持つ職業と言えるが、特に株式アナリスト時代に学んだ「アナリストの付加価値の本質」に関する以下の見解の通底する部分が多いと感じた。それは「我々はホンダについて、ホンダの社員より詳しくなることは絶対にないが、ホンダのことしか知らなければ、ホンダの強みは分からない」、つまり、相対観こそがアナリストの付加価値だという考え方である。

日々投資先の経営に接する環境は情報の宝庫であるが、漫然と仕事をするだけでは求める情報は得られない。株式市場や複数企業の経営に直接関与し、部分的にでも働きかけることが可能な現環境は非常に稀有であり、日々貴重な機会と捉え「対比構造」「起源の追求」による疑問の芽を養いたい。

カットオフ:強い目的意識に根差した高い視座

最後に、私がイノベーション実現に最も重要ではないかと考えている要素が、このカットオフの概念である。筆者が本書で提示する「カイゼン・イノベーション」は、カイゼンとイノベーションが本質的に地続きであることを主張する理論だが「カイゼンを地道に行えば、いつの日かイノベーションが生まれる」という理解もまた、間違っていると主張する。

たしかにイノベーションの土台にはカイゼンがあるのだが、そこに時間的・空間的に広い視野やビジョンおよび戦略が合わさって初めて、カイゼンがイノベーションへと結実するのだ。

『日本企業はなぜ「強み」を捨てるのか』p. 227

これこそが、筆者が提示するカイゼン・イノベーションの世界観である。先のモデルに照らせば、時間経過に応じ組織のアイデアと資源が集約されイノベーションが発現するが、どこまでカイゼン期間の長さとリスクを許容して連鎖反応をカットオフするかで、結果的に生じるイノベーション規模の分布に決定的な差異が生じることを示している。

この観点でも、本書には面白い例示があった。「井の中の蛙の効用」である。先のシミュレーション事例において、視野・フットワークが共に小さい「ムラ社会型」集団は、所与のカットオフの下では小さなイノベーションを1回起こすに過ぎない集団と結論付けられた。

しかし、アイデアマンと資産家がすぐに結びつく環境が必ずしも良いとは限らない点についても、筆者は言及している。一定期間でのイノベーションの総発生量は多くなるが、小粒なものに留まり、大きなイノベーションに行きつく前にアイデアと資源が消費されつくしてしまうのだ。これを筆者は悪化が良貨を駆逐する「イノベーションにおけるグレシャムの法則」と呼んだ。

それに対しムラ社会型もイノベーションが起きにくいが、世間知らず故に小さなイノベーションに満足せず、地道にアイデアと資源を集め、時間をかけて大きなイノベーションを生むパターンの可能性について触れ、これを「井の中の蛙の効用」と呼んだわけである。

投資の世界でも、株価が上昇しExitしたかったが何らかの制約により見送らざるを得なくなった結果、その後それ以上に株価が上昇し結果的にリターンが改善した、というような事例がある。人間が合理的に予見できる範囲は、世の不確実性を踏まえれば相当に狭いものである。

ここで重要なのは、安易に小さくまとまらず、一定のリスクを許容し大きなイノベーションを生むためのビジョンを持つことだが、筆者は根源的な課題意識から大きな野心を持ち、視座高く研究活動に取り組むことにより、安易にカットオフをしないだろう、ということが言えそうである。

カイゼン研究の第一人者に学ぶコンセプト化の真髄

以上より、筆者が本書で提示するイノベーションモデルの枠組みに基づき、筆者自身のコンセプト化の取り組み(イノベーション)を自己回帰的に分析するという私のチャレンジは、以下のようにまとめられる。

  • 筆者の画期的なアイデアに根底には「やられっぱなしの日本への忸怩たる思い」という強い根源的課題意識が窺え、それが独自の切り口としてニッチトップの優位性も帯びている

  • 筆者は産官学ネットワークという資源をフル活用し、企業間や地域間の対比構造起源の追求という「縦横の疑問の目」に照らし、有象無象の情報源から真に有用な情報を最大限切り取る工夫を凝らしている

  • 現状のアイデアと資源の組み合わせに安易に満足せず、高い視座と大きな野心を持ち、経営学に金字塔を打ち立てるべく研究活動に取り組んでいる

上記が、本書から私が学んだコンセプト化の真髄である。今後は筆者の研究の最前線の詳説もさることながら、筆者をここまで駆り立てる強烈な原体験があったのか、どのような経緯でカイゼン研究に向き合っているのか、その歴史も伺いたいと思った次第である。

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