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願望実現の真実~ヤギに命を救われて

4週間前、立て続けに
ショックな出来事が起こりました。

今回は、その出来事を通じて私が得た
願望実現の真実 についてシェアします。

この記事そのものは、
あの出来事が起こってから
1週間後に書いたもの。

やっと気持ちの整理が
つき始めたというか、
立ち直りかけた状態で書きました。

それをそのままシェアします。

なぜなら、その方が本当の私を
より「ありのまま」に伝えられる。

こんな風に思うからです。


ですが、申し訳ありません。
恐らくあなたにとって、これを読む
メリットは何もないかもしれません。

とくに、

・動物を飼ったことがない
・動物は好きではない

のなら、

「おぴこさん。いきなり、
 何おかしな事言ってるの?」

と理解に苦しむ内容になるでしょう。

「じゃあ、なぜシェアするの?」

と思うかもしれないのですが、、、

ただ、

「人生って、もしかしたら
 そういうものなのかも…」

と、今までとは異なる視点を得て、
今後のチャレンジや人生に対する
向き合い方が変わる可能性があります。

逆に、これを読んで
願望実現の真実を知ってしまうと、

「頑張って努力しても
 願った通りにならないなら、
チャレンジする意味がない」

と人生に絶望し、なりたい自分への
チャレンジをやめたくなるかもしれません。

なので、人生に絶望したくない方は
けして読まないでくださいね。

いつも以上にカナリの長文になりますが、
気になる方はぜひ最後までお読みください。

本当は私が死ぬはずだった

願望実現の真実とは、
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
願望は、願った通りに叶わないことがあるが、
時に願った以上のことが叶うこともある
ーーーーーーーーーーーーーーーーー

です。

これは一体どういうことか?

説明するために、冒頭で予告した
「ショックな出来事」から
お話しさせてもらってもいいですか?

実は10月11日4の火曜日。
自宅で飼っていたヤギが死にました。


原因は、蜂です。

その日朝10時ごろから、突然、
自宅の外で蜂が大量に出現。

信じられないと思うのですが、
その数は、部屋の中から
確認できるだけでも数百匹。

家の屋根の一角に蜂が
巣を作っているらしく、
普段から蜂は飛んでいました。

でも、ほんの数匹で、これまでは
襲ってくることもありませんでした。


それが、あの日は

「ブーン、ブーン」

という蜂の鳴き声も大きく、
いつもより多い蜂が屋根の下に
群がっている感じでした。

それで、

「今日はやけに蜂が多いなー」

と思っていたのですが、大して
気にかけてはいなかったんです。


ところが。。。

少ししてから、オスのヤギ1頭が
ものすごい大声で鳴き始めたのです。

それは、発情期の奇声とも違う
けたたましい「奇声」でした。


「これはおかしい」

と思って外に見に行ってみると…?

すでに、ヤギは蜂に襲われていました。


ここまで読んで、あなたはこんな
疑問を感じたのではないでしょうか?

「え? ヤギは逃げられないの?」

と。


それが、逃げられなかったんです。

なぜなら、私が、彼を
ロープで縛っていたから。

蜂の大群が発生した所から2mほど
離れた木に彼を縛っていたのです。


私の自宅の敷地は、50m×40mほどの
広さで周りをすべて頑丈なフェンスで
囲まれています。

だから今までも豚などの
家畜を飼っていた時は、
野放しにして、エサや草を
好きなように食べさせていました。


それならなぜ、
ヤギを縛っていたのか?

その理由は、9月から畑を
作り始め、トウモロコシや
玉ねぎを植えていたのですが、

せっかく出てきた芽をヤギに
食べられてしまったから。

それで畑を守るために仕方なく、
4mくらいのロープで
大人のヤギ4頭を縛り、

今日はこの辺の草、
次の日はあっちの草、

といった感じで、
半径4mの範囲は自由に
動けるような半放牧状態に
切り替えていたのです。

と説明が長くなりましたが、
こんな事情から、そのヤギは
逃げることができなかったのです。

蜂の大群から必死になって
逃げようとしても逃げられない。

そんなヤギの姿を見て
私はすぐにでも助けに行って、
ロープを解いてやりたかった。

でも、一瞬で判断しました。

「ダメだ。あそこに行ったら
 私が蜂に殺されてしまう」

実際、私はその前の日に、
蜂に頭を刺されていました。

人間は蜂に2度刺されると、
ショックで死ぬと言いますよね?

だから、逃げました。

苦しむヤギを見捨てて、
私は独り逃げたのです。

家に戻ると、蜂の大群が
次々と部屋の窓をめがけて
外からぶつかってきます。


ちょっと古い映画ですが、
あなたは観たことありますか?

アルフレッド・ヒッチコックの
パニック・スリラー映画『鳥』。

あの映画では人を襲うのは鳥ですが、
それが蜂になったような感じです。


「ウォー、ウォー」

と、どんどん異常さを増しながら
大きくなっていく彼の奇声。
当時の状況


部屋から一瞬の内に見えた彼の体は、
もう体中が蜂に覆われていました。

その姿を見た時、まるで私自身が
蜂に襲われているような感じで、
恐ろしくてショックでした。

その内に、別のヤギ2頭の
奇声も聞こえてきました。

4頭の大人のヤギの内3頭が
蜂に襲われてしまったのです。

「どんなに痛いだろう。
 苦しいだろう」

「私のせいだ」
「私のせいで、死んでしまう」
「私があんな所に縛らなければ…」

自分がしたことを後悔する気持ち。
自分を責める気持ち。

そんな気持ちに苛まれながら
私ができたことと言えば、、、

仕事中の夫に電話をかけ、
一刻も早く助けに来て欲しいと
お願いすることだけ。


2時間後、夫が
獣医を連れて帰宅。

その時点で蜂は、家の敷地の
外にまで飛び交っていて、
自宅に入ることさえ難しく。。。

なんとか入って、重装備をして、
夫も顔や手を蜂に刺されながら、
3頭のヤギを救出。

獣医にショック状態から
回復するための薬を
注射してもらいました。

が、、、

最初に襲われた雄のヤギは、
その後1時間で死んでしまいました。

他の2頭は助かりましたが、
顔中、蜂の針だらけ。

顔や喉は張れて、

「はー、はー」

と弱く速い呼吸をしています。

明らかに苦しんでいました。


私は傲慢でした

「ごめんね」

「私があんなところに
 縛らなければ…」

後悔と申し訳なさで涙が
止まらない私に夫が言いました。

「自然の中で起こったことなんだから
 仕方ない。オピちゃん(=私)のせいじゃないよ」

と。

その言葉で

「ハッ」

と気づかされました。

一体なにかと言うと、
私自身の「傲慢さ」です。

たしかに、ヤギをロープで
縛っていたのはこの私。

でもあの状況では、ヤギより
大群で襲いかかってきた
蜂の方が圧倒的に強かった。

だからヤギの方が死んだ。

蜂にしたって、自分たちの命を守り
生き抜くために本能で闘ったんだ。

それだけのこと。

全能の神でもない人間の私。
そんな私が、自然界のことを
何とかできるワケがない。

何とかできるワケない自然に対して
何とかしようとしてできなくて、
怒って、悲しんで、落ち込んで…

「私はなんて傲慢だったんだろう」

と気づいたのです。

そしたら、

「もしかしたら死ぬのは、
 私だったかもしれなかったのに。
 彼が自分の身を呈して、
 私の命を守ってくれたんだ」

と思えてきて、

「ありがとうね」

と感謝の想いが出てきました。


死んだヤギが遺してくれた驚きのギフト

私の命を守ってくれたのとは別に、
死んだヤギが遺してくれた
驚きの「ギフト」がありました。

それは全く思いもかけなかった
意外なものだったのですが、、、

あなたは何だと思いますか?

なんと、コレ。

蜂蜜です。

ヤギの救出が終わった後で
町にいる蜂退治の専門家に
来てもらったのですが、

屋根裏に上がってみると
蜂の巣が見つかりました。

その蜂の巣の中に、
蜂蜜が入っていたのです。

「えー!蜂蜜って
 こんな風にできるんだね」

とビックリした私。

夫からスプーンですくってもらい、
生きている蜂と死んだ蜂をよけて
口に含んでみたところ…?


「おいしい。。。」

蜂の巣もそのまま口に入れて
蜜をしゃぶってみたのですが、
ねっとりとした濃厚な甘さで
ものすごく美味しいのです。

そして巣の中を良くみると?

1つ1つの小部屋の中に
育ち始めた幼虫や、
生まれたばかりのような
小さな幼虫が入っていました。

巣から取り出した1匹の蜂は、
お尻に卵まで抱いています。

「そうだよね。蜂だって
 必死に生きて、こうやって
 命を繋いでいるんだよね」

彼らの一生からすれば、
私が目にしたものは
ほんの一部にすぎない。

でも、
蜂の「いのち」の実態を知ったのは
私にとって初めての体験です。

もう本当に、感動しました。

そして、偶然にもヤギの死によって
得られた蜂蜜と蜂の生命の実態に、

「あー、自然って
 なんてすごいんだろう!」

と自然の不思議さに対しても
大きな感動を覚えました。


委ねる生き方

これらの出来事を通して私が
心に固く決めたことがあります。

それは、
ーーーーーーーーーー
委ねる生き方をする。
ーーーーーーーーーー

望む結果を出すことに
執着するのではなく、期待と
コントロールを手放すこと

「何とかしよう」とするのではなく、
「何とかなる」という生き方

そして、起こった結果を
全て引き受ける生き方
です。

これはもちろん、何も
行動せずに家の中でじっと
待っていることではありません。

「こうなったらいいな」
「これができたらいいな」

など。

願望や叶えたいことができた時、

・叶えたいことを叶える
・実現したいことを実現する

そのためにできることや
必要なことはやります。

ただ、それによって
望み通りにならなかったとしても、
結果を否定したり責めたりしない。

そうではなく、
ありのままを引き受けて
進んで行くということです。

なぜなら、

「コレをやれば絶対に叶う!」

なんてことはあり得ないから。

それに、願望実現に必要な
行動をしたからといって

・いつ叶うのか?
・そもそも叶うのかどうか?

これを決めるのは
「私」ではありません。

ーーーーーーーーーーーー
私のコントロールではけして
及ぶことのない領域の、
なにか偉大なチカラー。
ーーーーーーーーーーーー

だと思うのですよね。

「なんか、宗教っぽい」

と感じるかもしれませんが、
ちょっと考えてみてください。

またヤギと蜂の話に戻りますが、、、

人間が動物をペットとしてではなく
家畜として飼おうとする時、
その目的は何でしょうか?

①家族の食用として大きく育て、
肉を食べたり、乳をいただく。

②収入を得るために、繁殖させて
数を増やし肉や乳製品として売る。

ですよね?

夫と私の場合、目的は②でした。

それなのに、
まだ繁殖もしていないのに
突然死んでしまった。

普通なら、

「家畜としての役目を
 果たしてもらえなかった」

「お金にもならず、損をした」

と、人間の都合で
片付けられてしまう話です。


それがどうでしょうか?

ヤギが蜂に襲われて死んだ
(代わりに私を守ってくれた)
ことによって、

・蜂の巣が見つかり、
・天然の蜂蜜が手に入り、
・蜂の「いのち」の実態を
 垣間見ることができた 

のです。

しかも死んだヤギは、
あの後でキレイに裁いてもらい
買い手も見つかりました。

彼は、自らの死と引き換えに
驚きのギフトを遺してくれた。
それだけでなく、家畜としての
役目も果たしてくれたのです。

これはもう、私たち人間の
コントロールできる範囲を
完全に越えています。

何か偉大な自然のチカラによって
もたらされた「恩恵」。
それ以外の何物でもない。

そう思いませんか?

願望実現の真実=プリセッション

これと同じことが、私たちの
人生においてもピッタリ
当てはまると思うのです。

私自身の人生をふり返ってみると、
私はたくさん挫折や失敗もしたけど、
夢やなりたい自分を実現してきました。

それは、

「私がけしてあきらめずに
 チャレンジし頑張ったから」

というような表現で語ってきました。

たとえば、国際看護師の夢。

この夢を実現するため20年間、
自分に妥協せず、必要なことを
コツコツ積み重ねてきました。

そしてチャンスが回ってきた時に
逃さずに掴みに行きました。

それは、紛れもない事実です。


だけど実際は…?

チャンスは私が自分で
創り出したものではなく、
他の人が運んできてくれたもの

イラクやウガンダに派遣される
ミッションに応募したとき。

仲間との競争に勝って
ミッションを手にできたのも、

たまたま同じチャンスを
争っていた人たちの中で
私が優れていたからなのか?

それとも単に、

「新潟県出身」という私の
バックグラウンドが珍しくて
選考員の目に留まり、

「これは試しに
 彼女を使ってみよう」

と思ったからなのか?

それは分かりません。

その時に私の周りに存在していた
縁起(人や環境)と私の実力、
そしてミッションに懸ける
私の想いや情熱といったものが

「カチッ」

とピッタリはまった。

だから、選考に合格し
ミッションを手にできた。

本当にそれだけのこと。

私がどれほど頑張ったとしても、

ーーーーーーーーーーーーーーー
合格できるかどうかは私自身で
コントロールできることではない
ーーーーーーーーーーーーーーー

のです。

”プリセッション” という言葉、
聞いたことがありますか?

私はつい最近、今所属している
コミュニティで学んだのですが、

プリセッションとは、
バックミンスター・フラー氏が
提唱した独自の法則で、、、

運動中の物体Aが
他の運動中の物体Bに
対して力を加えるとき。
物体Bは、物体Aからの力に
対して90度に運動する状態のこと。

この場合、物体Aから加えられる
「主的作用」とは90度に
「副次的作用」が生まれるが、
この「副次的作用」こそが
自然の意図であり、人類の
歴史的な発展を支えてきた、

というものです。
※参考:Wikipedia


「ん? どういうことか
 よくわからない」

と思ったかもしれないので
分かりやすい例を紹介すると、
【ミツバチと受粉の関係】。

なぜ、ミツバチは花に向かって
飛んでいくのでしょうか?

そこに花の蜜があるから。

ですよね?

ミツバチにとって蜜や花粉は
栄養であり、巣に運ぶために
花を訪れているのです。
(=主的作用)

けれども、、、

ミツバチのその行為によって
もっと大きなことが起こります。

そう。

受粉です。

ミツバチは花の蜜や花粉を
集める代わりに花粉の媒介をして、
植物が育つのを助けています。
(=副次的作用)

ミツバチは受粉のことなど
知らないし、考えていません。

それは自然が
意図していることなのです。

それがプリセッションです。


この法則によれば、私たちが
意図することは基本的に叶わない

逆に言うと、

・意図していなかったこと
・期待していないこと

が実現したりするということ。

そしてこれこそが、願望実現の真実です。

私の人生が、今から27年前に
思い描いていた理想やビジョンとは
全く異なる方向へ進んでいる。

つまり、、、

戦争で苦しむ難民のために
何かできる人になりたくて
国際看護師になったのに、

そのためなら、結婚さえ
しなくていいと思っていたのに、

それまでの人生すべてを捧げてきた
国際活動の現場で運命の人と出逢い、
結婚してウガンダへ移住までした。

他の人からしたら、

「なんで、そうなるの!?」

と、欽ちゃん風に
ツッコミたくなるような
この事実を考えると、、、

プリセッションは私たちの人生にも
まったく当てはまると思うのです。

もちろん、理想を思い描いて、
計画通りにちゃんと行動できて
望む結果を得られたら、
それは本当にすばらしい。

ただ、、、

結果を出すことに
しがみつくのではなく、
日々目の前のことに心をこめて
淡々と粛々と取り組んでいく。

望み通りでない結果が出ても、
それこそが私より大きな自然が
意図したことなのだと受け止める。

「なぜ、こんなことになったんだ!」
「私はこんなにやってきたのに」

と出せなかった結果に執着して
自分や他人や環境を責めたり、
裁いたりするのではなく、
流れに逆らうのではなく、

「私の期待が違っていたんだね」

と受け止める。

そしてまた
一歩一歩進んで行く。

私のメンター的な人が
教えてくれました。

「自分の人生の流れを
 信じることが大事」

だと。

AKBのプロデューサー
秋元康さんが作詞された名曲
『川の流れのように』の中に
こんなフレーズがありますよね。

♪♪♪
ああ 川の流れのように
おだやかに この身を
まかせていたい
♪♪♪

https://www.uta-net.com/song/1420/

「こんな風に生きていこう」

と決めました。

これが今回の出来事を通して
私が心に固く決めたことです。


ここまで読んでくださり、
本当にありがとうございます。

あなたは、何を感じたでしょうか?

「頑張って努力しても
 願った通りにならないなら、
 意味がない。」

と思って、
なりたい自分へのチャレンジを
やめたくなったでしょうか?

それとも、、、

「人生何が起こるか分からない。
 だからオモシロイんだ」

「だからこそ、自分が今
 できることを楽しみながら
 全力を尽くし進んで行こう!」

と思ったでしょうか?

もし良かったら、あなたの感想や
考えを下のコメント欄に書いて
私に教えてくださいね( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )❤︎

それでは、
最後までお付き合いくださり
ありがとうございました。


追伸:救われた自分の命に向き合う

この出来事があった2日後。
今度は子ヤギのオピちゃんが
突然死んでしまいました。

わずか5ヶ月。

産まれる瞬間の感動を私に
プレゼントしてくれたオピちゃん。

3週間前くらいから自分の
名前を覚えて、私が呼ぶと

「メー」

と返事をして、
後ろからチョコチョコ
付いて来たオピちゃん。

しだいに冷たくなっていく
小さな身体に手を当てていると、

「救えたかもしれない命を
 救うことができなかった…」

という想いがまた湧いてきました。

コントロールを手放せていない
自分に気づきました。

生き残った他の2頭も、
蜂に刺されたことで、頭や
顔の神経がやられたのでしょう。

顔や目が腫れ、もともと
可愛くはなかった顔が
ますます醜い顔になり、
耳は垂れ下がったまま。

呼んでも反応しないので、音が
聴こえなくなったのだと思います。

草を食べようとしても、
顎や舌を上手く動かせず
飲み込むことができません。

そんな彼らの姿を見る度に
胸が痛くなります。

そして先週、昨日と生き残っていた
2頭もついに短い生を閉じました。

1日1日、懸命に生きていました。
生きるために生きていました。

彼らが守ってくれた私の命。
彼らと自分の命にしっかり
向き合い、使っていきます。

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