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ジブリ映画「君たちはどう生きるか?」徹底解釈〜宮崎駿と宮崎吾朗、ジブリの後継者問題

スタジオジブリ映画の最終回

YouTubeでも動画を撮ったが、これは宮崎駿さんのリアルな親子関係や、アニメ制作における比喩表現が強い作品だ。

この映画は、作品外のスタジオジブリについて、そして宮崎駿さんの親子関係を知らなければ読み解けない。だから作品単体で見ても評価がされにくい。
これまでのスタジオジブリや宮崎駿さん、宮崎吾朗さん、鈴木敏夫さんの歴史を全て知ったうえで、評価ができる内容。
そのため、ドラマでいえば最終話を観たようなもの。カスタマーサクセスTVで、ジブリを以前に取り上げて、実は裏で好評だったため、割り切って徹底的にジブリ映画版 君たちはどう生きるか?の解説を行う。

スタジオジブリの後継者問題

スタジオジブリの経営課題は後継者問題だった。
スタジオジブリはアニメ会社なので、PLの売上として計上されるのは映画ヒット時の売上と版権売上だ。

会社としては、映画制作は宮崎駿さんが作らなければヒットしないため、完全に依存している。
しかし、2013年に宮崎駿さんは引退宣言、2014年に制作部門は解体された。三鷹の森美術館、映像の版権管理、グッズの販売で細々と食っていく路線だ。
つまり、この君たちはどう生きるか?は、アニメ制作チームを解体した後に、スタッフを呼び戻して制作した。宮崎駿さんが最後に撮りたかったのは、スタジオジブリの映像作品としての最終回だった。

君たちはどう生きるかってどういう作品?

1930年代の児童文学作品であり、軍事国家の色を強めていく日本で、社会を認識したうえで自分の意志を持って考えることを解いた名作だ。
貧富の差のような大きな社会課題から、目先にあるいじめのような目の前の社会課題まで、エピソードを取り上げながら、主人公のおじさんがどう向き合えばいいかをノートで説明してくれる。

映画では、この小説が物語が動き出すきっかけ、装置のようなものとして描かれた。
原作では、社会を俯瞰してみる、自分を中心ではなくコペルニクスの地動説のように社会を意識したそのうえで、君はどう考えるか?という投げかけだったが…。

ジブリ版 君たちはどう生きるか?は何を問いかけているか

結論から言えば、ジブリ映画では、宮崎駿さんのクリエイターとして息子との関係を犠牲にし、多くのアニメーターを傷つけながら作品を作ってきたことに対する懺悔とともに、自分はこのように作品に向かってきたが、君はどう生きるか?という、息子へのメッセージと、視聴者への問いかけとして使われていた。

宮崎駿さんの息子である宮崎吾朗さんは、親や周囲から期待されていたアニメ制作者としての道ではなく、本人が志向していた空間設計の方向に歩み出し、現在はジブリパークの展開を中心に、これまでの創作とは異なる事業展開をジブリで行っている。

人の人生とは、本人の選択・本人の意思であって、例え製作者としての自分の意思を引き継いでくれなくとも、それを肯定しようじゃないかという、息子へのメッセージが含まれており、宮崎吾朗さんは生涯大切にする作品になったのではないか。

宮崎駿の息子としての苦労

この作品を理解するのに欠かせないのは、宮崎吾朗さんの境遇の理解だ。
宮崎吾朗さんは宮崎駿さんの長男として生まれた。子どもの頃はほとんど家に帰らない父親で、関係も全くの疎遠だった。
思春期は、親と対話できない代わりに、親の映画を何度も見返した。自分の親の考えを理解したいという気持ちだった。
親の価値観を知ろうとするが、実際の対話は少なく、ぎこちない。宮崎吾郎さんのインタビューをさまざまなメディアで見る限り、宮崎駿さんの父親としての評価はかなり低い。

宮崎駿さんの息子だけれど、アニメ制作ではない道を選んだ宮崎吾朗さん

宮崎吾朗さんは、将来のキャリアに関しては、親のようにアニメ制作に行く道も考えたが、母親にひどく反対された。
これは、君たちはどう生きるかの作品内でもメタファーとして描かれており、アニメ制作の世界(映画における地下世界)に、なんでこんな場所に来たんだ、戻りなさい、と義母に諭されるシーンがある。まさにこんな反対がリアル世界でもあったのだろう。

母親の反対もあり、大学では森林工学を学んだ。
そもそも、宮崎家は代々、技術者や設計者の家系だ。宮崎駿さんの父親も航空機制作の仕事をしている。

その点では宮崎駿さんが例外的で、本来は技術者気質で工学やものづくりが好きな家系なのだろう。宮崎吾朗さんは新卒では建設コンサルタントに就職して、公園の設計や景観管理などの仕事をしていた。

複雑な気持ちを抱えながらスタジオジブリに入社する宮崎駿の息子

その後、鈴木敏夫さんに声をかけられて、三鷹の森ジブリ美術館の建築にあたって、力を貸してもらえないかと、スタジオジブリに入社した。
親とはわだかまりはありながら、宮崎吾郎さんとしては宮崎駿さんに少しでも近づきたいという気持ちがあったのかもしれない。

三鷹の森ジブリ美術館のプロジェクトでは、ずいぶん宮崎駿さんと衝突したらしい。もちろん立場は対等ではなく、宮崎駿さんが一方的に非難する。関係は最悪である。

宮崎駿さんが激怒したゲド戦記

最も亀裂が走ったのが、ゲド戦記のプロジェクトだ。
ゲド戦記は、宮崎駿さんがルパン三世カリオストロの城の後に、どうしても映画化したいと訴えていた作品。これが叶わなくて風の谷のナウシカを作ったという経緯がある。思い入れが強い作品だ。

ただ、当時は原作者OKがでず、千と千尋の神隠しが国際的なヒットをしたことを影響に、当初の希望から20年以上たって原作者OKがでた。
しかし宮崎駿さんはハウルの動く城を作っていた。スケジュール上、制作は不可能だ。
そこで、鈴木敏夫さんより、今は無理だけれどどう映画化できるか調査してくれ、と研究チームとして依頼したのが宮崎吾朗さんだったーー。

そして、宮崎吾朗さんが考える切り口や、絵コンテなどを観て、この人なら宮崎駿さんに潰されることなく映画化できるだろうと、鈴木敏夫さんが宮崎吾朗さんを映画監督にしようと抜擢する。

これが宮崎駿さんにはカチンときた。何十年もアニメ制作に携わって監督業の困難さはわかっており、こんな素人には任せられないと、息子の吾郎さんをこき下ろした。

宮崎駿さんに非難され続ける息子のアニメ制作

息子へのこき下ろしは以降も続いており、コクリコ坂の制作のときは、あいつはダメになると思うからそうなったら俺がコクリコ坂を作る、と全く息子を信用しない言い草だった。
コクリコ坂の制作現場に足を運んでは、壁に貼ってある絵コンテを、全然ダメだと息子の目の前で剥がしたりと、普通に嫌な上司だ。
息子の吾郎さんは、悔しい気持ちで睨めつけながら、自分の能力が至っていない、自分にアニメ制作は向いていない、自分がこの仕事を楽しめていないと、ネガティブな思いで制作をされていた。
親子関係はこの後もずっと悪く、今も関係回復しているとは言い難い関係だ。

宮崎駿さんの老いと変化

宮崎駿さんは、自分がやったほうが上手くいく。息子はダメだから自分が巻き取る。そんな言い草だったけれども、次第にそんなことを言ってられなくなる。
そもそも、千と千尋の神隠し(2001年)時点で既に宮崎駿さんは60歳だ。その後、ハウルの動く城(63歳)、崖の上のポニョ(67歳)と制作を続ける中で、体力の低下、作画スピードの減退を強く感じていた。
そして、風立ちぬ(72歳、2013年)の発表とともに監督引退を発表し、翌年にはスタジオジブリの映像制作部門は解体された。
その後は、実質は版権管理会社になっており、DVDやグッズの売上で細々と経営を続ける会社となってしまった。

しかし、宮崎駿さんはこれまでにも何度も監督引退を宣言しては、戻ってきた。生粋のアニメクリエイターなので、作れる限りは作り続けたい。
今回の君たちはどう生きるか(2023年)は宮崎駿さんは82歳だ。さすがに、これ以上、労働環境が厳しいアニメ制作の現場では働けない。今度こそ、引退を決意した作品だったと思われる。

君たちはどう生きるか?のメタファー(比喩)である、アニメ制作の世界

この作品を理解するには、地下世界と大叔父のメタファーに気づくことだ。
主人公が地下世界に潜り込むが、そこは呪われた地であり、ペリカンが空に飛んでは死んでゆくシーンがある。
これはアニメーターの業務環境の比喩であり、ワラワラという可愛らしいキャラクター(おそらく期待や可能性)が成熟すると、空を飛びたいペリカンがそれを食い殺す。しかし、そのペリカンはワラワラ不足で死んでしまう。潰れていくアニメクリエイターの残酷な比喩表現である。

そんな中、この世界に塔を建てる大叔父が登場する。大叔父は、宮崎駿さんの生き写しのような比喩キャラクターだ。
大叔父は13個の積み木(13はジブリの作品数だ)を前にして、もうこの積み木が崩れてしまう。自分では支えることは出来ない。これを支える仕事を引き継いでほしい、と主人公に懇願するのだった。

本当は宮崎吾朗さんに引き継いでほしかった?

これは、宮崎駿さんが、本当は息子にアニメーターになってもらって、息子として作品制作を引き継ぎ、新しいジブリの支えになってほしいという気持ちが実はあったのかもしれないと気付かされる描写だ。

非常に厳しい表現で息子のアニメ制作を批判し、アニメーターにはそもそもなって欲しくなかったと筆者(藤島)はもともと思っていた。本当にアニメの世界には関わってもらいたくないのかと。
しかし、宮崎駿さんも表では厳しい言葉で非難しつつ、本当は自分の立ち位置まで並んできて欲しかったのかもしれない。厳しい言葉は期待の裏返しで、同じくらい自分を厳しく律して、ここまで上がってきてくれという希望が少しあったのかもしれない。

しかし、主人公はその依頼を断り、創作ではなく現実の世界に戻る。
これは、宮崎吾朗さんがアニメ制作ではなく、現在携わっているジブリパークのような別事業を展開していく方向性へ進んでいることとかぶる。
この意思決定のプロセスを、映画作品上では十分に描いておらず、「なんで断った???」と何も知らない人からすれば思うだろう。
映画の中では、断った理由や、断った後のことについては、描ききれていないようにも見える。これは、実は宮崎駿さん自体も、なぜ息子がその選択をしたのか、息子ではないとわからない。
そもそも描きたいのはそこではなく、自ら考えて、自分の意思で選択したという事実であって、その背景やその後の行方については主要のテーマではなかったのかもしれない。

自分で選択していくというテーマ

原作の君たちはどう生きるか?は、自分で選択していく、というテーマが骨子にあった。
ジブリ版の君たちはどう生きるか?は、宮崎駿さんや鈴木敏夫さんに期待されながら、アニメ制作の仕事を不本意な気持ちも持ちながら行っていた宮崎吾朗さんが、自分の意思でジブリパークというこれまで無かった世界作りを進めようとする姿に、自分での選択するというテーマを重ねられる。

ジブリパークの制作については、宮崎駿さん、宮崎吾朗さんの親子は相当に喧嘩をしながら進めたらしい。
しかし、宮崎駿さんはアニメのプロではあるが、空間作りのプロではない。宮崎吾朗さんが得意としていた空間設計力を活かしたジブリパークを見て、「俺には真似ができない」と何度も褒めたらしい。

周囲の環境やプレッシャー、期待など、自分の選択にはいろいろな他人の思惑がある中、自分が好きな道に進むといい。そんな、ジブリ版の君たちはどう生きるか?のメッセージを映画からは強く受け取った。

宮崎駿の最後、ジブリ作品の最後

このメタファーを十二分に理解したうえで映画を観に行くと、大叔父のシーンで涙が堪えられなくなる。
もうこれ以上はジブリ作品を作り続けることが出来ない。息子ではないと引き継げない。自分の作品はいずれ忘れさられてしまう…。そんな宮崎駿さんのジブリへの愛情、クリエイターとしての悔しさ、他人に頼ることの出来ない辛さなどが間接的に表現されている。

カスタマーサクセス(作品を見て満足)のためには、背景情報となるこの記事をぜひ読んでほしい

宮崎駿さん82歳、宮崎吾朗さん56歳なので、何十年にも渡るアニメ制作、親子関係の対立や期待があっての本作なので、約2時間の映画の枠では抽象表現や比喩表現をするしか伝える方法がなく、それが人によっては作品を理解しがたいと感じさせてしまっているようにみえた。

カスタマーサクセスの専門家としては、それは非常にもったいないことだなと思った。作品の感想を見ても、昔のジブリっぽい表現があって良かった。不思議の森のアリスみたいな感じ?難しくてよくわからなかった…そんなコメントも目立った。

ジブリ映画 君たちはどう生きるか?はネタバレありで見るべき作品

千と千尋の神隠しにあるような、ジブリ流の表現にワクワクするという楽しみ方ももちろんあって、それは自分も楽しむことが出来たけれど、この記事にある宮崎駿さん・宮崎吾朗さんの人生を深く噛み締めながら視聴すると、見えるものが変わってくる。

自分は、この作品はネタバレありで見たほうが楽しめる作品だと思った。見ないと脳のキャパシティが追いつかないので、事前に一定の情報量を持った状態で見にいくべきだ。
何を伝えたいか、ストーリーラインやメッセージ性を理解したうえで、こんな表現で描いているのか。こんな演出をしているのか。と、アニメという媒体の凄さを味わう。知っていても、それを超えてくるアニメの表現力を楽しむ。

なので、ぜひ見る前、見た後の人に対しては、このnote記事をシェアしてあげてほしい。

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