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岩手県の民俗学(胆沢の民話)

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岩手県の胆沢という地域に伝わる民話や伝説を紹介しています。 民俗学的に価値のあるものだと思うので、目にとまった人の記憶に、少しでも残って伝わっていけばいいなと思います。
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#歴史

秋田街道夜話【岩手の伝説⑫】

秋田街道夜話【岩手の伝説⑫】

参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館

※夜話・・・やわ。夜の余暇にする話。

秋田街道といえば、水沢を南北に通ずる往還(現在の国道四号線)を、

駒形神社あたりから右折して、板谷林(いたやりん?)、浅野、

広岡を経由、尼坂にある追分(指導標)を左に見ながら、

林福野(りんぶくの)を通って、供養塚の東端に入り、

あとは一直線に出店(でだな)、土橋(どばし)、愛宕、

市野々(いち

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御種の松【岩手の伝説⑨】

御種の松【岩手の伝説⑨】

参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館

今を去る三百七、八十年前、当時の領主によって御種松(おたねまつ)が植えられ、その善政でわが村も、いたる所に人家が見られるようになりました。

しかし、そこここの林という林は、用材や薪炭材(しんたんざい)として、

頻りに(しきりに)伐採されましたが、植林はしなかったので、果ては切株さえ掘り起こされるようになり、再び蝦夷時代の草原を思わせる有様にな

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民話前九年の役【岩手の伝説⑧】

民話前九年の役【岩手の伝説⑧】

参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館

※前九年の役・・・平安時代後期の、陸奥国(東北地方)で起こった戦い。永承六年から康平五年まで。源頼義らの軍が、陸奥国の豪族安倍氏を滅ぼした。名称や期間は諸説あり、奥州十二年合戦とも呼ばれる。様々な伝承が残る有名な戦い。

安倍の貞任をして落城などありえないと、豪語せしめた衣川の館は、なるほど堅固なものでありました。

※安倍の貞任・・・あべのさだ

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タデ沼の主【岩手の伝説⑦】

タデ沼の主【岩手の伝説⑦】

参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館

言い傳えによると昔、蜂谷の人達は、水沢の町に出ることを非常に恐れていたといわれております。

その訳は、今のところ、どういう理由によってか明らかにされてはおりません。

ですから生活必需品を買うためとか、生産品の販売のためには、水沢に出る道より二倍も時間のかかる難所の永岡の道路を通って、金ヶ崎の町に出たということです。

その道は、尿前川を太郎左

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鶴供養の話【岩手の伝説③】

鶴供養の話【岩手の伝説③】

参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館

昔、二ノ台に一人の猟人(かりうど)がいました。

その猟人は、鉄砲を射てば百発百中という名人でありました。

昨日は鳥、今日は獣と、猟に出た日は、一日として肩に獲物のない日はありませんでした。

毎日のようによく獲れるので、猟人の生活は次第に豊かになり、その心は高慢になってきました。

そこで近所の人には、誰一人として、彼と喜んで交際する者がない

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